昨年末になりますが、地元の新聞で気になるニュースを見つけました。京都にある東山ユースホステルが廃業するという記事で、利用客の減少と建物の老朽化を理由に、40年の歴史を閉じると結んでいます。記事によると、現在、ユースホステルは258軒、会員数6万人、利用客は年間47万人ですが、ピークの昭和47年には585軒、会員63万人、利用客は340万人にも達していたと言います。
昭和47年といえば、ちょうど特派員の大学生時代と重なります。確かに、その当時、大学生の旅行と言えば、ユースホステルしか選択肢はありませんでした。休みともなれば、猫も杓子もユースを使った観光旅行、ユースはすぐ予約で満員になり、ハガキで申し込んでも断られることが多く、スケジュール作りに難渋したものです。
ユースが満員だったり、近くになかった場合、止むを得ず駅前旅館に泊まったこともありますが、高い、汚い、まずいで、いい印象は全くありません。片やユースは、一泊二食で公営450円、民営550円という、考えられないような破格の宿泊料ながら、一部を除いては、設備・食事とも十分に満足がいくものでした。
学生時代といえば、全泊夜行という猛者もいましたが、特派員は体力的な自信がなく、夜行は最大でも連続3泊までとし、その間は必ずユースに泊まるようにしていました。
思い返せば、高校生から始まって社会人に至るまで、実に多くのユースホステルを利用したものと改めて思います。北から南まで、夏も冬も、ユースを基地にして写しまくった若き日々を、写真とともに少し思い返してみましょう。
▲ユースに一泊するたびに会員証にスタンプが押される。今も大事に残している会員証を見ると115泊していることが分かった。100泊記念にもらえるバッジも大事に残している。カメラは、その当時の愛機、アサヒペンタックスSV
小生はあまんじゃくゆえ、学生時代は、「青春の出会い」みたいな演技が苦手で、ずっと避けていました。
ですが、結婚し子供が出来て、貧乏旅行の必要がうまれてからは、心を入れ換えて、リサーチもし、たびたび利用するようになりました。
伊東にあった東海バス直営の伊東ユース、富山の岩瀬浜からさらにバスで30分行った終点の富山県営ユースなどは、思い出深いです。
その後経営母体の余裕が無くなり、近年次々と消えていきました。
でも、今では10年来シニア会員費を払って、急な旅行などに重宝に使わせてもらっています。
この1月末も東京に行ってきましたが、小田急参宮橋で降りて、代々木の青少年センター(東京オリンピック村)にある代々木ユースに泊まりました。
ここは46年前の国際イベントの際の建築物だと思いますが、環境がよく、整備状態も良い方だと思います。
何より個室で3000円は都心新宿では魅力的です。
大浴場もありますし、朝食はバイキングで食べられ450円。門限22時を守る程度に新宿で飲める自信のある方にはお勧めでしょう。
あと、淘汰の反面、新しく始められる方もおり、そういうのを見つけるのも楽しいです。
宿の当たり外れの面白さは、旅の一つの魅力だと思いませんか。
代々木ユースに泊まり青少年センターの大食堂で朝、朝食を食べながら見ていると、シニアの方も何人かおられます。
初老の男の一人旅は、大いにやるべきでしょう。ただひとつ、しょぼくれた姿は見せないよう、特に外国からの若い人たちはたくさん来ており、見ています。
英字新聞を広げるくらいの気概と、老いを知らない好奇心を持って是非、旅に出て下さい。
私はそのあと、鉄道博物館に行ってきました。