米手作市様の秘蔵写真をじっくり拝見しました。この5コマの写真からいろいろなことがわかります。最初のコマ、キハ02の2連の右手は木炭倉庫で木炭の俵が積まれています。当時 各家庭の暖房には火鉢が活躍していました。線路の先の石積みの跨線橋。今も石積みかどうかはわかりませんが、跨線橋は現存しています。その後方に煙突が見えます。ヤマタノオロチ伝説で 日本で最初にお酒が造られたとされる木次。その木次で今も盛業中の木次酒造さんの煙突です。2コマ目、機関庫の前のキハ0728とC56107ですが、この機関庫は今も健在です。
細かい格子窓は波板になり、煙抜きの煙突はありませんが、4線の車庫は今も現役です。
3コマ目、キハ024の車内風景。運転席に掛けられたタブレット、苗木を持ち帰るおじさん、低い背もたれの座席にきゅうくつそうに座る乗客たち、実にレールバスの雰囲気がよく伝わってきます。4コマ目、坂を下ってきたキハ025。タンタン、タンタンとレール音が聞こえてくるようです。5コマ目はキロ25を含んだ55系5連の「ちどり」号。当時の配置表では2個エンジンのキハ55は広島に5両いるだけで、米子にはキハ26だけです。さぞゆっくり、ゆっくりとエンジン音高らかに坂を登ったのでしょう。各停はキハ02や07、C56の混合列車の時代ですから、「ちどり」号はまさに木次線の華だったことがわかります。さて木次駅や出雲坂根駅の近景を添えて、米手さまはじめ、貴重な写真を残して頂いた先輩方への御礼とします。