「昭和の電車」シリーズの次回の予想を立てるが最近は全く当たらない。国鉄モハ63形から始まった「63シリーズ」が長く続き、次は「改造連接車シリーズ」が始まったが僅か2回で終わった。次は大阪市電の改造連結車、終戦直後の南海と続いたので「終戦直後シリーズ」が始まるのかと思いきや、予想に反して今回はキハ44000形が登場した。
兵庫ふるさと通信員様よりキハ44005→キハユニ156をカラーでUPしていただきましたので、気動車に詳しい諸先輩方を差し置いて解説を試みた。
キハ44000形は、昭和27年から28年にかけて新製された電気式気動車で、DMH17Aエンジンに直結した300Ⅴ100KWの直流発電機を駆動し、発生した電力で後部台車に架装した45KW×2の主電動機を駆動した。
27年8月44000、44001が日本車輌(支店)で44002、44003が汽車会社で作られ千葉気動車区木更津支区に配置された。翌28年3月44004~44007が日本車輌、44008~44011が新潟鐵工所で、44012~44014が東急車両で作られ、44004~44008が木更津支区、44009~44014が大原区に配置された。木更津支区は主に房総西線(現内房線)、大原区は主に房総東線(現外房線)で使用されたが、土気~大網間の勾配区間でのパワー不足のため、程なく成田区に転属した。27年製と28年製では側面のスタイルが異なり、27年製はクハ86の初期車を3扉にしたようなスタイルに対し、28年製は窓が2段化され、上窓はHゴム支持(通称バス窓)になった。関 三平さんのイラストは先頭車が27年製、2両目は28年製で描かれている。
昭和32年4月の称号改正でキハ09形(1~15)となったが、同年度中に液体式とキハユニ15形(1~15)に改造され、全車千葉を離れて北海道を除く全国に分散した。
昭和50年3月末の配置表では、それ以前に廃車になった5、7、15以外の12両が健在で、山形区に4、水戸区に8、10、13、加古川区に3、6、9、浜田区に14、岡山区に1、11、徳島区に12、人吉区に2が配置されていた。
キハユニ151
キハ44000→キハ091、昭和33年3月大宮工場で改造されキハユニ151となった。当初鳥取区に配置されたが37年に岡山に転属して55年8月廃車になるまで在籍した。47年頃正面に貫通扉を設置した。/上:岡山駅 (44-10-19) 下:正面貫通化改造後/岡山駅 (49-11-23)
キハユニ153
キハ44002→キハ093、昭和32年12月大宮工場で改造されキハユニ153となった。当初鳥取区に配置されたが37年に岡山区に転属、更に48年9月に加古川区に転属して55年7月廃車になるまで在籍した。フロントガラスを小さなものに交換したため不細工な顔になった。/加古川区 (49-5-12)
キハユニ154
キハ44003→キハ094、昭和32年12月小倉工場で改造されてキハユニ154となった。改造後から52年7月廃車になるまで一貫して山形区に在籍した。47年頃正面に貫通扉を設置した。/余目駅 (41-9-5)
キハユニ156
キハ44005→キハ096、昭和33年3月大宮工場で改造されてキハユニ156となった。改造後から56年5月廃車になるまで一貫して加古川区に在籍した。/加古川駅 (49-5-12)
キハユニ1514(連結面)
キハ44013→キハ0914、昭和32年12月大宮工場で改造されてキハユニ1514となった。当初加古川区に配置されたが、49年9月岡山区に転属、更に50年3月浜田区に転属して54年11月廃車になった。/加古川区 (41-3-6)
【参考】
キハ44500→キハ15→キハユニ15
キハ44003~44014の新製と同時期、液体式気動車の試作車としてキハ44500~44503の4両が日本車輌で新製された。キハ44003~44014と同一スタイルで大宮区に配置され川越線で試用された。
昭和32年4月の称号改正でキハ15形(1~4)となり、34年度中にキハユニ15形(16~19)に改造された。改造後16、18は豊岡区、17、19は小郡区に配置され、昭和50年度廃車になるまで転属することなく在籍した。
キハユニ1517
キハ44501→キハ152、昭和35年3月大宮工場で改造されてキハユニ1517となった。50年11月廃車になった。/広島駅 (40-3-27)
【その他】
キハユニ154と同じ日に撮影した「行先板」と「愛称板」を紹介する。
盛岡~秋田間を花輪線経由で結んでいた急行「よねしろ」の行先板で、夏の期間中は船川(昭和43年4月男鹿に改称)まで延長運転されていた。追分から直接船川に行かず、一旦秋田まで行き、船川線の定期の普通列車に併結され船川まで運転された。
急行「月山2号」の愛称板。「月山」は上り2本、下り1本という不思議な列車で、上りの「月山1号」は酒田~山形間、「月山2号」は酒田・鶴岡~山形~仙台間の運転であった。
下りは、仙台~山形~鶴岡・酒田間1本のみの運転で、愛称は「月山」であった。従って「月山2号」の愛称板を表示する列車は上りのみであるが、専用の愛称板が存在した。