大垣の夜

9月5日の夜 岐阜あたりで急遽宿泊することになり、ネットで検索し大垣駅の横のホテルを予約しました。またとない機会なので 荷物を置き養老鉄道の西大垣駅へ向かいました。

西大垣駅です。本社や車庫が併設されており、乗務員交代も行われ 養老線の業務の中核的存在です。
中線もあり車両撮影しやすい所です。
次の電車を写したい旨 駅員に断わり 反対側のホームで待っていると なんと一編成しかないラビットカー色の電車がやってきました。

モ606とク506の編成です。もと南大阪線のモ6857とモ6858です。(昭和38年5月製造)
昔 河内松原在住の時 よく乗った正統派ラビットカーモ6800形32両、モ6850形8両のうち生き残っている2両です。当初この色でしたが徐々にマルーンに塗り替えられていき この2両は2009年9月にこの色に復活しています。
本日9月8日、「~ラビットカーのリバイバル塗装車に初めて乗れる~吉野線開業100周年記念列車ツアー」が運転されるようで この車両のふるさと南大阪、吉野線でも4両編成がリバイバル塗装車となるようです。車番は6051-6052-6171-6136のようです。元ラインデリア車の冷房改造車で、過去ラビットカー色の経験のない車両ですね。
ふるさとから遠く離れたところで 毎日頑張っているこの2両のラビットカー、末永く活躍してほしいと思っています。

次の電車は標準色 といっても近鉄本体の車両はツートンカラーとなっていますので単色塗装は養老鉄道の標準色ですね。

同じ場所での モ613とク513です。(元名古屋線のモ1803とク1903)
暗い中での手持ち撮影でしたが ライトの光の印象的な写真となりました。


大垣駅まで乗って来た ク524-サ564-モ624 の3両編成です。
もと南大阪線の ク6114-モ6018-モ6017 です。(昭和41年10月製)
42年3月末に名古屋から大阪に引っ越したころの最新鋭車で きれいなラビットカー塗装でした。
現在 養老鉄道は3両編成7本、2両編成6本 計33両 全車両近畿日本鉄道が所有しているとのことです。

次はおまけの樽見鉄道です。

専用ホームで発車を待つ ハイモ295-315 池田満寿夫デザインの特別塗色だそうです。
貨物列車が無くなり、客車も無く、今は気動車6両のみで 頑張っています。

大垣駅の北口は再開発され 商業施設などでにぎわっていますが、南側は以前からの雰囲気が少し残っており その一角にヨ8000が2両置かれていました。貨物駅とのことです。

ヨを見たところで食事に行きにホテルに戻りました。
犬伏

大垣の夜」への2件のフィードバック

  1. INUBUSE様
    大垣駅横のホテルは名鉄谷汲線、揖斐線の撮影で泊まったことがあります。帽子をかぶった北陸の女性社長のホテルです。それにしても就寝まえに一仕事で頑張ってますね。私も西大垣の夜景は次回行きたくなりました。大垣はよく老春18切符利用の時の乗り換え駅で養老線ホームには昔は6421や5820など気になる車両がいました。
    南大阪線は河内松原のご自宅にお邪魔したことがあります。お父さんが南海(電車ではなく当時強かったホークス球団)ファンであったことを覚えております。南大阪線はラビットカーが有名で白っぽい原色も若干記録しておりますが、6601等20メートル大型車に混じって15、6メートルのゲテモノ車両があり、もう少し熱心に記録すべきであったと後悔しております。

  2. 準特急様
    コメントありがとうございます。
    父のこと覚えていていただきありがとうございます。熱烈な南海ホークスファンで、その昔大阪球場によく連れて行ってくれたことを思い出しました。南大阪線は松原在住時(S42~50) 毎日見て乗っていましたが、身近過ぎて・・・・。もっと写しておけば良かったと同じく後悔しています。当時は新性能車への置き替え時期で小型車、大型車、新型車 さまざまな車両が有った良い時代でした。

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