大垣の朝

9月8日【23326】でINUBUSE氏が養老線に転属した正統派ラビットカーの夜景等の投稿をされたが、1週間前の8月29日のこと、名古屋に行った時、昼前まで時間が空いたので、これ幸いと養老線を訪れた。

東京駅6時発「のぞみ1号」で出発、名古屋から東海道本線快速に乗継ぎ、大垣発8時43分桑名行に乗車して次の西大垣駅で撮影した。
乗車した桑名行は(←大垣)モ611+サ571+ク511で、旧車号はモ1801+サ6109+ク1901の元名古屋線と元南大阪線の混合編成であった。中間のサ571はク6109として新製され、後日運転台を撤去したため大垣寄りの妻面に丸味があり窓配置が変則になっている車両であるが、この車両に乗ったため撮影はできなかった。
以下、撮影順に紹介する。

西大垣9時発大垣行→9時16分発桑名行/モ612+ク512
旧車号はモ1802+ク1902で平成5年3月に転入している。モ1800形とク1900形は昭和41年に新製された名古屋線の通勤型車で各4両作られた。

9時29分大垣行→9時45分回送入庫/ク524+サ564+モ624
旧車号はク6114+モ6018+モ6017で平成5年6月に転入している。モ6000形は昭和38年に新製された南大阪線の通勤型車で新製時はラビット塗装であった。サ564はパンタが付いているため「M」に見えるが電装解除されている。

9時40分揖斐線運用車の回送入庫/モ602+サ552+ク502
旧車号はモ1657+サ6153+ク1752で平成5年3月に転入している。元名古屋線と元南大阪線の混合編成である。モ1650形は昭和38年(1651~1655)と41年(1656~1659)、ク1750形は40年に1751・1752がモ1600+ク1700形の増結用として作られた。モ1651~1654の4両は57年6月京都線急行新田辺~京都間5連化の時、新田辺区に転属して連結面に簡易運転台を取付け、京都寄りの先頭に連結されていたためご存知の方も多いと思う。
中間のサ552は養老鉄道唯一のトイレ付車両であるが、普段は施錠されており、団臨に使用時のみ使用される。サ6151形は、モ6000形のT車として43年にサ6151~6153の3両新製されている。

9時56分大垣行→10時14分桑名行/ク523+サ563+モ623
旧車号はク6108+モ6016+モ6015で平成5年12月に転入している。前歴等は前述のク524他3連と同じである。

10時27分発大垣行/ク521+サ561+モ621
旧車号はク6101+モ6012+モ6011で平成4年6月に転入している。そろそろ切り上げないと間に合わなくなるため、この電車で戻ったため、大垣駅で先頭のク521の撮影のみに終わった。(以前は全車両撮影できたが、線路際にホテルが建設されたため<大垣寄りの先頭車のみとなった)もう少し頑張ると、この電車と揖斐線の回送入庫が撮影できるが、そこは止むを得ないところである。

留置車/モ604+ク504
旧車号はモ1659+ク1952で平成6年7月に転入している。モ1659は昭和61年、ク1952は62年製で異系列同志の連結である。桑名寄りのク504のみ撮影可能であった。

INUBUSE氏が撮影された元正統派ラビットカーモ6858+モ6857のク506+モ606はあいにく車庫の中で、出庫は18時30分とのことで、帰りにリベンジしようとも思ったが、かなり暗くなるので今回はパスした。

養老線を初めて訪れたのは、現役時代昭和42年7月23日のことで、改造されていたとはいえ旧養老鉄道や伊勢電の車両を見て、近鉄にもこんな車両があったのかと驚いたものである。その後何回となく訪れ、そのたびに車両のバリエーションが増え、志摩線改軌で不要になった元三重交通の車両も転入した。その後元名古屋線のモ6301系列、モ6441形にほぼ統一されたが、新性能化、冷房化が推進され現在の車両になった。

現在の車両も昭和40年代に作られており、車齢を考えるといつ廃車になってもおかしくない。加えて近鉄では少子高齢化による乗客減により運転本数が減少傾向にあるため、今後南大阪線、名古屋線の比較的新しい車両に置き換えられる可能性もあり、引き続き注目していきたいと思っている。

ちなみに42年7月23日は、ロギング太郎さんと行動を共にし、養老線の後、岐阜の行くと市内線の単車の最終日、午後は名鉄金山橋で流電モ3400形、名古屋駅でキハ90を撮影した。

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