国鉄キハ44000その後の一つ、キハユニ156 投稿日時: 2012年9月7日 投稿者: 和歌山ふるさと通信員 キハ44000、第二次増備型の内の一両です。第一次と異なり、窓がバス 窓です。その後キハ09になり、液体化式に、さらに改造でキハユニ15と なりました。兵庫県の加古川線には、湘南型正面の車が3両在籍したそう でそのうちの一両、キハユニ156です。 1965年8月29日、719D 加古川線野村駅、現在の西脇市駅で撮影。 写真左は728D。ちなみにフィルムは、Agfa color でした。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関三平先生から会員諸氏へ お知らせ 人と鉄道と-機関士編- ホームぺージ投稿不可、コメント送信不可の障害について 緊急メンテナンスのお知らせ 京滬(北京~上海)高速鉄道 開業日は7月1日に決定!正式発表! 中国の新幹線に豪華なCRH380B登場予定! 台湾鉄道全線乗車の旅 Part14 内湾線
良い色が保てていますね。1965年、と言えば昭和40年、オリンピックの翌年でした。8月は前田氏と、祇園石段下での目にしみる「同志社チェアー」で名を残す前川氏といっしょに北海道へ旅をしていました。 返信 ↓
加古川線のキハユニ15は、その後、1980年(昭和55年)10月の改正で全廃されました。 最後まで残ったのは、加古川気動車区の3・6・9でした。 一足先の1980年7月19日付けで廃車になったキハユニ15 3は、関 三平先生の書かれたキハ44000の成れの果てで、馬面のご面相が、窓が小さく整形され、その整形あとが残っており、より不細工になっていました。 手前味噌ですが、鉄道ファン1981年1月号(237号)125ページのPOSTに、当時高校生だった若かりし私が投稿しておりますので、宜しければ、ご覧ください。 返信 ↓
良い色が保てていますね。1965年、と言えば昭和40年、オリンピックの翌年でした。8月は前田氏と、祇園石段下での目にしみる「同志社チェアー」で名を残す前川氏といっしょに北海道へ旅をしていました。
加古川線のキハユニ15は、その後、1980年(昭和55年)10月の改正で全廃されました。
最後まで残ったのは、加古川気動車区の3・6・9でした。
一足先の1980年7月19日付けで廃車になったキハユニ15 3は、関 三平先生の書かれたキハ44000の成れの果てで、馬面のご面相が、窓が小さく整形され、その整形あとが残っており、より不細工になっていました。
手前味噌ですが、鉄道ファン1981年1月号(237号)125ページのPOSTに、当時高校生だった若かりし私が投稿しておりますので、宜しければ、ご覧ください。