「人と鉄道と」3回目は蒸気機関車の機関士です。
▼1962年3月23日、日豊線・竜ヶ水-鹿児島間、機D51687【人】の単機運転。機関士らしき右側の人、ヘッドライト装着で保線区員らしき左の人。二人して敷物に座り、線路や設備の移動点検でしょうか。まさか、右手の噴火湾見物とは違うでしょう。こんな光景の出会いは最初の最後でした。
▼1965年8月29日、福知山線・篠山口駅、ホームに写る機影は逆行運転のC11280【吹一】、上り客736列車の機関士がC11の日陰で、下り準急『丹波1号』との離合を待っていました。
▼そして今度は5ツ先の駅、福知山線・相野駅。急行『白兎』との離合待ちで機関士は一服。真夏の車内は暑くて、子供はホームに出たが、ホームもかんかん照り、思わず頭に手を。
▼1966年10月1日、関西本線・加太駅、京都発亀山行き、上り客728列車、急行『かすが3号』との離合待ち。腕章を巻いた機関士と助士がホームの片隅で一服。出発時刻は20時59分です。
▼同上、728列車全景。さしずめ「夜も撮る」でした。ホームには駅員の姿も見えます。
▼1964年3月17日、東北本線・小繋駅、本務機の機関士と助士が動輪周りを点検中です。前に2両のD51補機を付けた、所謂蒸機機関車「三重連」です。
走行中のD51前面の二人ののんびりとした姿。こういうのは私も始めて見ました。ところで日豊線の宮崎~鹿児島間の蒸機はライトパシフィックC55、C57が客貨両用に使われていたと思いますが、吉松~人吉の矢岳越えの人吉区のD51も同区間の運用に入ることがあったのでしょうか。それとも単機なので試運転か回送か何か臨時入線なのでしょうか。
福知山線吹田1区のC11は懐かしいですね。篠山口から大阪に向かうのがバック運転でたまに撮ったり乗ったりしました。しかし、機関車の影を写すカメラアイとテクニックはありませんでした。
東北線の三重連は伯備線同様見たことがありません。一昨日東北新幹線「はやぶさ」に乗ってきましたが、岩手沼宮内あたりを通過する時蒸機時代を想像しながらE5系3時間の乗車は隔世の感がしました。
準特急様
こういうことに、筆者はあまり詳しくなくてすみません。鹿児島鉄道管理局館内のD51は、仰せの人吉機関区の他は出水だけですね。南延岡にもいましたが管理局外。宮崎にはいなかったですね。宮崎-鹿児島間の運用に人吉機が使われていたかどうか。詳しい人教えてください。