スクラップブック 事件・事故編・第11回

鶴見事故の続きです。
この事故をリアルタイムに見た世代はまだまだ多く居られるのではないでしょうか。
その時の感想など、書いては頂けませんか?
特に関東に居られた方々は大ショックだったのでは、と拝察します。

それにしても石田総裁は大変な役回りでした。
新幹線開通、三河島事故、そしてこの鶴見事故と、一番苦労された国鉄総裁だったのでは。

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スクラップブック 事件・事故編・第11回」への7件のフィードバック

  1. 米手作市様
    他にコメントがありませんので、国鉄の歴代総裁について整理してみました。
    政府官庁によって直接経営されていた国有鉄道事業を、独立採算制の公共事業体の日本国有鉄道(通称:国鉄)として1949年6月1日に発足し、1987年4月1日の国鉄分割民営化によりJRグループに移行するまでの38年間に10人の国鉄総裁が就任しました。
    以下、敬称を略しますが、氏名と就任期間と退任・辞任理由です。

    1代 下山定則 1949年6月1日~1949年7月6日
    *下山事件に遭遇し急逝
    2代 加賀山之雄 1949年9月24日~1951年8月24日
    *三鷹、松川事件と桜木町事故で引責辞任
    3代 長崎惣之助 1951年8月25日~1955年5月19日
    *洞爺丸事故、紫雲丸事故で引責辞任
    4代 十河信二 1955年5月20日~1963年5月19日
    *三河島事故の対応後、新幹線建設費問題で2期目の任期満了に伴い退任
    5代 石田禮助 1963年5月20日~1969年5月26日
    *鶴見事故対応後、新幹線を開通させ、高齢により勇退
    6代 磯崎叡 1969年5月27日~1973年9月21日
    *「マル生運動」の違法性指摘・現場混乱を受け辞任
    7代 藤井松太郎 1973年9月22日~1976年3月5日
    *スト権奪還ストに対する対応の責任を取り辞任
    8代 高木文雄 1976年3月6日~1983年12月1日
    *国鉄再建に関して政府の圧力を受け辞任
    9代 仁杉巌 1983年12月2日~1985年6月24日
    *国鉄独自の再建案の責任を取り辞任
    10代 杉浦喬也 1985年6月25日~1987年3月31日
    *最後の国鉄総裁。JRグループに移行により退任

    1代から3代までは、事件・事故の責任を取る形で辞任し、6代から9代までは赤字になった国鉄再建の対応方の理由により辞任しています。曲がりなりにも任期を全うし退任に至ったのは4、5、10代の3人でした。

    • 快速つくばね様
      コメント、ありがとうございます。
      歴代総裁を、こうして列挙してみたことがないため感慨深いものがあります。リアルタイムには存じませんが、下村総裁は下村事件で歴史として知っています。
      加賀山・長崎両総裁はお名前の記憶はありませんが三鷹・松川・桜木町事件と洞爺丸・紫雲丸事故、特に紫雲丸事故はハッキリと記憶しています。十河総裁以降は同時代を生きたものとして懐かしさを伴って思い出します。特に十河総裁は「鉄道ファン」創刊号に祝辞を載せておられたのを、表紙の名鉄特急のオレンジバーミリオンと青空の鮮やかさと共に思い出しました。

  2. 印象に残った総裁は、何と言っても石田総裁です。小生の雑誌遍歴は、小学生時代は、子供の科学→模型と工作でした。中学生になって今でも読んでいる、ピクやTMSに移っていきましたが、小・中時代の模型と工作には、大きな影響を受けました。この雑誌は、対象が鉄道だけでは無かったが、たびたび鉄道特集号を出しています。この記事は、昭和40(1965)年9月号の、特集・日本の鉄道車両の冒頭頁です。小生は中2で、石田さんが国鉄総裁であることは知っていたが、こんなところでお目に掛かるとはビックリでした。今はちょいとヒネクレ爺さん的な小生ですが、当時は純粋な中学生でしたから、国鉄総裁が我々中学生に期待してくれているのかと、感激したものです。我々も、当時の石田総裁の年齢に近くなっていますが、今の子供に対しても、こう云う態度で臨んでいかにゃイカンなぁと反省しきりです。

  3. 京王の社長(元国鉄九州のおえら方だった)の葬儀の時、お鉢が回ってきて磯崎叡元国鉄総裁の案内役を仰せつかったことがあります。

  4. 準特急さんのように直接の面識はありませんが、テレビで見た雰囲気では、石田総裁はなんか村のおじいさんという雰囲気で、十河総裁は鉄道が好きな老鉄道マンというように感じました。

  5. 石田礼助は十河信二の盟友であり、三井物産の社長を勤めた経済人。
    民間からの登用は国鉄再建の最初の一歩で、戦前は物産の海外支店長を各地でこなし、実利もあげられる人物でした。
    城山三郎の小説「粗にして野だが卑にあらず」は石田礼助の生涯を描いたドラマとして30年前に話題になりました。

    十河信二は石田の二つ早生まれ、二人とも19世紀に誕生した戦後社会の立て直しに奔走した人物です。
    十河の新幹線待望論、後藤新平の薫陶を受けた広軌鉄道建設への情熱は、死後何十年も経って、新幹線がなかったらの検証が進み再評価となりました。
    四国生まれの満鉄出身の十河の評伝は、JR東海系のウエッジから「不屈の春雷」という本が出ていて、現役時代の出張時、新幹線ホームで上巻を買いました。下巻は取り寄せないと買えず、未だに入手していません。

    東京駅か品川か、新大阪の構内書店でウエッジの単行本を揃えて置いてくれていたら買うのですが、なんとも社風に漂う新自由主義ゆえか、薫陶ある先人の本を置く店も無いという現実には、鉄道ビジネスの行末が心配になる時があります。

    • K.H.生さん
      いつもながらの博識には感銘を受けます。
      書かれる文章はマスコミ出身らしく簡潔にしてウイットに富み、そして必ず入る香辛料の如きシニカルさがなんとも心地よい!貴兄の文章は大好きです。
      これからも期待しています。

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