1900生さん、この事故を覚えておられますか?
続報です。
⇧先日亡くなった吉田さんはこの事故の話をよくされたいた。
⇧春は温帯性低気圧が発生すると、台風まがいの被害をだすことが多い。
⇧この年は36年10月改正で気動車特急が大増発されるが、その記事はもう少し先に予定している。
片町線にまだC11が走っていた。
⇧七尾線はC56が走っていて、行く機会はなかったが写真を撮りたかった。そのうち線路もなくなってしまった。
スキャンが進まないので遅れ遅れで申し訳ありません。小さい事故記事は飛ばして行こうかと考えています。
京阪樟葉駅の事故は、中学2年の時でした。樟葉駅には、渡り線があったのですが、その上に事故を起こした急行(1300+1650+1650+1301)が停車したため、枚方市~八幡町間が単線運転になり、同区間に代行バスが運転されました。代行バスから見ると、ラストの1301は、築堤からずり落ちていました。
1301は、復旧時、幕板が広くなり、スタイルが変わりました。
藤本さん
1301は復旧させたのですか!
知りませんでした。てっきり廃車処分したと思い込んでいました。
よくこんな地方の小事故まで蒐集しておられましたね。事故記事にかける米手さまの熱意が伝わってきます。そして1300脱線事故まで出ましたね。詳細は藤本さまのご解説の通りです。ほかに知っている事故としては、昭和42年に発生した蒲生信号所(野江駅の西寄、現JRひがし大阪線との交差地点の少し京橋方の、複々線が上下2線になる分岐・合流点)で合流中の普通に後続の急行が側面衝突したものと、中書島駅の三条方にあった渡り線で宇治発三条行2000系スーパーカーの脱線があります。前者は急行運転士の信号無視、後者は原因不明のせり上がり脱線でした。前者はその後運転保安度向上のため関西私鉄初のATS設置に繋がり、後者は後に宇治線直通廃止の一因になりました。
あと事故ではありませんが、一部区間運休でバス代行等を行ったものとして、樟葉駅上手の上り線へダンプカーが転落、防止柵に寄りかかり車両限界を侵し線路障害になったものと、四条駅上りホーム下の鴨川側壁が異常出水で崩落したため、三条~七条間を単線運転したものがあります。前者は出勤のため三条駅に着くと行先表示器に「特急八幡町」とあってビックリ仰天、同僚社員と一緒になったので阪急回りで出社することにして、途中河原町駅で振替票を阪急の助役さんと一緒に群がるお客さまに配布応援ののち1時間半ほど遅れて出勤しました。異常時応援の表彰などはありませんでしたが、勤怠上は遅刻のため、理由を説明して遅刻扱いは避けられました。
後者は上記区間の下り線を使っての臨時ダイヤが組まれ、特急・急行のみが三条発着で普通は七条で折返しました。三条行は七条で客扱いののち交差点を渡り、七条上手の渡り線でスイッチバックして下り線に入り、さらに折返して向かいました。当時は20分ヘッドで片道5分と想定して通票代わりの指導員が添乗、先行電車の三条到着を待っての運行で、充分可能な計画のはずでしたが、開始当日は不慣れもあって想定通りにはゆかず、ダイヤ混乱もあったようでした。
保安設備の整備や改良で事故が減少してきたのは喜ばしいことですが、人為的な原因によるものはある意味永遠の課題かもしれません。
1900生さん、
ありがとうございました。
文中にあった蒲生事故は、現在療養中のわらくろ屋社長と東北を旅行中に知りました。ユースでテレビをつけたらニュースでやっていて、ビックリしたのを覚えています。中書島の事故は逆カントだったと聞いたことがありますが・・・
あと、置き石で5000系が脱線したのもありましたね。
米手作市さま
5000系の脱線、ありましたありました。記事で残されるだけでなく、記憶もお確かなようですね。この事故は家内の友人で札幌在住の人から「TV視て、京阪が脱線してるよ!」との電話で知りました。翌日に上司とケガをされた乗客のお見舞いに行かされました。
中書島のはカーブ途中のポイントで確かに逆カントでした。ただ開業以来それまでに何事もなく通過しているため、逆カントの理由だけで脱線したわけではありません。全国に数多ある同様ポイントでも事故は起きていません。前にも書いたかと思いますが「脱線」は鉄道にとって永遠の命題なのです。