街並みとともに ~京都のバス~  〈2〉

四条通のバス

では昭和の京都を走ったバスを、街並みとともに見て行きます。繁華街である四条通も、昭和47年の市電四条線の廃止後、代替バスも含めて、公共交通はバスが中心になります。単区間のワンマンもありましたが、郊外から入る系統には多区間のワンマンカーが走り、まだまだツーマン車が多く走っていました。

四条河原町を行くツーマン、16号系統みぶ行き、バスは「京2い・239」で、昭和40年製いすゞBR20のツーマン車、16号は始終発、径路をたびだひ変更していたが、この時期は藤森神社~みぶだった。南部に狭隘区間があり、長らくツーマンのまま残っていた。背後は「京阪特急」の大型ネオンも懐かしい四条河原町東北角で、いまは阪急系のコトクロスになっている(昭和52年)。

四条河原町下る、背後にオープンしたばかりの百貨店、四条河原町阪急を見て、競うように走る2台のバス、左は京都交通の快速バスの祇園発園部行き、バスは「京2い26-65」で、三菱ふそうB8系(年式不明)、後部が隠れているが、これは珍しい3扉バス、もともと中扉だけのツーマンだったが、ワンマン化改造し前後扉を増設した。中扉部は車内に座席が増設されていて閉鎖、実質は2扉として運用されていた(ただ拡大して見ると中扉に「入り口」表示が見える)。この時代、京都交通は、祇園から国道9号線沿いに快速バス、急行バスを頻発していた。四条河原町下るにも、有人窓口、待合室のある案内所もあったが、平成16年に経営破綻し、紆余曲折のあと、現在は京阪京都交通となっている。右の市バスは「京22か11-25」の41甲系統の醍醐車庫行き多区間ワンマンカーで、昭和49年製の日野RE100、この時期、市中心部から山科・醍醐地区へは、京阪バスとともに、市バスも路線を広げていた。平成9年の地下鉄東西線開業時に、醍醐車庫が閉鎖されて、京阪バスに一元化された(昭和52年)。四条通のかつてのターミナル、四条大宮を右折する18甲系統の四条烏丸行き、バスは「京22か11-00」で、昭和49年製の三菱ふそうMR410、京福電鉄の四条大宮駅も懐かしい。開業時からある駅舎は、昭和61年に建て替えられて、現在の日本生命ビルのなかに取り込まれた。四条大宮東南には、現在ではほとんど活用されていないバスプールがある。かつては、路線バスの折り返し、発着に頻繁に使われていて、四条大宮がターミナルだった面影を伝えていた。そのひとつ、京都駅前~比叡山の101号系統も、四条大宮に立ち寄って客を乗せていた。前回の104号の高雄行きと同様に、定期観光バスの車両が使われていた。バスは「京22か・269」で、昭和46年製の日野RE100、「うじ」の愛称が付いている。比叡山行き市営の路線バスは、昭和58年に廃止されている(昭和49年)。

こちらは、本来の定期観光バスに使うため回送中のシーン、バスは上とは一番違いの「京22か・270」、「ひがしやま」の愛称がついている。

 

3 thoughts on “ 街並みとともに ~京都のバス~  〈2〉

  1. 18甲号系統は三条京阪ではなく、四条烏丸ですね。
    当時は市バスセンターもあり、四条烏丸発が多かったですね。
    また、18甲号系統のような区間便も四条烏丸発がおおくありました。

    • GENZOさま
      ご指摘ありがとうございます。訂正しておきました。「東土川」始発と来ると、反射的に「三条京阪」行きと思ってしまいました。恐る恐る始めた市バスシリーズですが、皆さんに見ていただき、感謝しています。さすがに仔細なことは何も覚えていませんが、資料を調べて記すのも脳の活性化と思ってやっています。

  2. ひとつ訂正です。
    中ごろの記事で京都交通バス「京2い26-65」を3扉と記しましたが、隠れている部分には扉はなく、前中の2扉でした。京都交通のふそうB8系バスには、中扉のみ、前中扉、前後扉、そして中扉に前後扉を増設した3扉と、さまざまな様式の扉がありました。

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