加古川のキハユニ15

関先生・米手作市先輩のキハ44000の投稿から、そのなれの果てのキハユニ15・16の話題で盛り上がっているようですので、加古川気動車区に配置されていたキハユニ15 三兄弟の写真を投稿させていただきます。

加古川気動車区には、キハユニ15 3・6・9が配置され、主に加古川線の郵便・荷物輸送に活躍していました。

まずは、キハユニ15 3です。

1980年3月18日西脇駅にて撮影したものです。

長男のキハユニ15 3は、電気式のキハ44000からの改造車です。窓が原型より小さく改造されています。このキハユニ15 3は、一足先に1980年7月19日付で廃車になっています。

次男のキハユニ15 6です。これは、液体式のキハ44500からの改造車です。1980年9月21日西脇駅での撮影です。首都圏色になっています。

三男のキハユニ15 9です。次男と同じく、キハ44500からの改造です。

上記と同じ1980年9月21日に撮影しましたが、撮影場所の記載がありません。加古川線の西脇~加古川のどこかです。ドアを開けて走ることなど今ではとても考えられません。

同じくキハユニ15 9が西脇駅に到着したところも撮影しています。

これらのキハユニ15は、55-10のダイヤ改正で姿を消しました。

8 thoughts on “加古川のキハユニ15

  1. デカンショまつり号さん
    この投稿を見落としていました。失礼しました。
    これまた貴重な写真ですね。西村さんの写真で、キハユニ153は「お公家さん顔」と書きましたが、よく見るとわざわざ改造して窓を小さくしてありますね、何故でしょう?大きく見やすくするのは分かりますが、小さくとぼけた顔にするのは意味があるのでしょうかね?
    それと、恥ずかしながら「首都圏色」というのも初めて知りました。あの色は首都圏専用だったのですか?気動車はあの色に順次変わっていくものと思っていました。

  2. 米手先輩
    コメントありがとうございます。
    大きなガラスは割れやすかったからかなあ?
    EF58の小窓化のようですね。
    窓の周囲に線があるのも不思議です。

  3. 79年度生の私たちは翌80年5月の新歓旅行の行先が篠山に落ち着いたので、私は早速ひとり山陽電車で別府を目指し、別府鉄道撮影後に、高砂線から加古川線に乗り換えて、厄神で首都圏色のキハユニ156を捉えて、合流した仲間と三木線に乗り換えて、三木折り返し、石野駅で「石野真子同盟」奉祝新歓行事で、新入生を巻き込んで、ポスター広げて万歳三唱・記念撮影(馬鹿です)、その後は厄神から鍛冶屋線直通キハユニ159に乗り込み、DT18か19のゴム板バネの悪乗り心地を堪能しました。

    デカンショさんがお書きになっている西脇はすべて野村のことだと思います。それか現西脇市駅ですね。
    鍛冶屋線の西脇駅と、加古川線終端部、谷川までの区間に存する新西脇駅の距離間は大変近く、新入生ラリーよろしく、数名の者を走らせました。
    あと、9番が川沿いに走る風景は、鍛冶屋線内の西脇ー市原間に唯一あった川沿いの区間ではと思います。加古川でなく支流の杉原川に沿って、一瞬急流に近い風景があったことを思い出します。
    最後に1段上昇窓の3は残念ながら、この日は遭遇出来ませんでした。
    正面窓の小型化改造の理由は、推測ですが正面の裾を後年、切り欠いて、前面面積を小さくした際の強度不足の補強くらいしか、考えられません。
    電車の80系に較べてキハ44000系の車体強度は貧弱でしたので、登場時の馬面顔のステップから回り込んだ裾の長さも、その辺りに理由があったのではと推測します。

    • なるほどなるほど
      お公家さんの間抜け顔は強度不足を補うためですか!
      それが正解でしょう。でも、これ一両だけというのはナゼか?と新しい疑問がわきます。FE58の小窓化も。

    • K.H.生様
       車内の写真を有り難うございます。
      ほぼ想像通りでしたが、米手さん仰るところの「後ろゴッツン」が改めて実感できました。やんごとないお顔と共に。

    • KH生さま
      コメントありがとうございます。
      撮影場所は、西脇駅です。
      当時、加古川線・鍛冶屋線は、終点の鍛冶屋までいかない列車は、野村ではなく西脇が終着でした。西脇は、みどりの窓口がある主要列車の発着駅でした。西脇発野村経由谷川行という列車もありました。なお、野村は、現在西脇市と改称されています。1990年3月31日の鍛冶屋線廃止まで野村駅でした。

  4. デカンショまつり号様、ご無沙汰です。
    前面窓の小型化は、事故等の何等かの理由でガラスが破損、復旧に際し同サイズの窓ガラスがなく、他サイズの窓ガラスを転用したのではないかと思われます。DF50 1号の1E側の前面窓が同様に、試作型の大窓から量産型の小窓に改修されています(昭和55年6月)。K.H.生先輩の推察にたてつくようで申し訳ありません。
    またキハユニ16の運用についてもコメントがあるようですが、「鉄道資料」(114or116)に天鉄局管内の気動車運用表が掲載されていました(昭和47年3月15日改正分)。オリジナルの投稿のコメントにあるキユニ19や、他局の「しらはま」の運用など個人的には興味深かったのですが、残念ながら購入していません。

  5. 四方先輩
    ご無沙汰しております。
    コメントありがとうございます。
    先輩のお好きだった、四国には、キロハ18改造のゲテモノのキユニ15とかキニ15がごろごろしてましたね。
    高松運転所訪問の際、DF50とともに撮影させていただきました。

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