今まで見た一番へんな客車列車

今まで見た一番変な客車列車をご紹介します。

昭和55年8月28日に運転されたものです。DD511187+スハフ14+オハネ15+オハ12+スハフ12+オロネ10+スロフ62という編成です。配給列車のようにも見えますが、れっきとした営業列車です。大阪→福知山→綾部→西舞鶴→豊岡→和田山→姫路→大阪の経路で運転された大阪鉄道管理局主催の「いい旅チャレンジ20000キロ号」という団体列車です。機関車には、ヘッドマークはありませんが、客車の前後には、マークが取り付けられていたようです。

1980.8.28 福知山線 生瀬~武田尾

当時は、団体列車の時刻が掲載された雑誌はなく、もちろんインターネットもありません。国鉄職員に知り合いがいたら、局報を見せてもらうという手法もありましたが、そのようなつてもなく、駅や旅行センターの団体募集チラシを見てあたりをつけて撮影に出かけました。

模型で再現してみたい編成です。

加古川のキハユニ15

関先生・米手作市先輩のキハ44000の投稿から、そのなれの果てのキハユニ15・16の話題で盛り上がっているようですので、加古川気動車区に配置されていたキハユニ15 三兄弟の写真を投稿させていただきます。

加古川気動車区には、キハユニ15 3・6・9が配置され、主に加古川線の郵便・荷物輸送に活躍していました。

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尼崎港線の関連グッズ

連続投稿申し訳ありません。

総本家青信号特派員先輩の「廃駅をめぐる【3】」のコメントで書かせていただいたDD13 256の車番とサボです。

DD13 256は、1966.3.7 汽車会社で製造され、姫路第一機関区に配置、その後1968.10.3に吹田第一機関区に転属、1984.2.4再び姫路第一機関区に戻り、1986.10.27廃車となっています。

続いて、サボです。

一番上は、川西池田行×大阪行のサボです。所属は大宮です。

川西池田~尼崎港で走っていたころの、宮原客車区から送り込むためのサボでしょうか?送り込みの列車番号などわかりません。ご存じの方、教えてください。

二番目は、川西池田⇔尼崎港×尼崎港⇔川西池田のサボです。所属は、大池です。

三番目は、塚口⇔尼崎港×大阪行のサボです。所属は、大塚です。尼崎港線で活躍したのち宮原客車区に帰るためのサボでしょうか?塚口でどのような入換が行われ、宮原には、どの列車に併結され帰っていったのか?興味津々です。こちらもご存じの方、教えてください。

 

尼崎港線 最後の日々

総本家青信号特派員先輩の尼崎港線の記事に触発され、尼崎港線の最後の頃の写真を投稿します。

私が訪れたのは、1981(昭和56)年3月24日と27日、31日です。

24日の朝の821/822列車はDD13 101 大吹一 の牽引でした。

まだ、あまり人はいませんでした。

客車はスハフ42 2162 大ミハで、木製の板で作られたサボでした。

3月27日は、尼崎港から塚口のきっぷを買うために出かけました。準常備式の普通乗車券を手作業で発行するため時間がかかります。ろくな写真を撮影できませんでした。821/822列車の牽引機は、DD13 376 大吹一でした。

最終日の3月31日、塚口から尼崎港に向かう最終の下り823列車です。

客車は2両に増結されDD13 256 大吹一 には、保安要員がたくさん乗っています。金楽寺~尼崎港間です。

急いで尼崎港に行き、本当の最終列車 上り824列車に乗ります。

遠くから撮影していなかったことが悔やまれます。

塚口到着後、木製のサボは、「好きな人もっていっていいよ!」と言ってサボの近くに陣取っていた人が持って帰られました。

うらやましかったです。

広島行(呉線経由)のサボ

今回、ご紹介するのは広島行(呉線経由)のサボです。裏は、新大阪行(呉線経由)で、大 向と書かれていたますので、向日町運転所持ちのサボです。向日町運転所開設・新大阪駅開業が1964年ですので、それ以降使用されたものです。これも浮き文字といわれるものです。先般の諸先輩が投稿された呉線の蒸気列車の何かに使用されていたものかもしれません。経由の表記も前回の三角行のように下にあったり、今回のように右にあったり、経由の経が略されていたり、ローマ字があったりなかったりいろんなバリエーションがあり興味は尽きません。

今回のものは、新幹線開通から岡山開業までの間、新幹線に接続し、翌朝に広島に到着する夜行急行列車に使用されたものと思うのですが、いかがでしょうか?

三角行きのサボ

調子に乗って、三角行きのサボを投稿します。

三島行きと同じく大宮のもので浮文字です。経由入りで熊本経由となっています。

裏は大阪行き 同じく熊本経由です。熊本経由以外で大阪から三角に鉄道では行けないはずですが、三角というあまり聞き慣れない場所に行く客車なので、親切に表記したものと思われます。それにしても大阪から三角にいく列車があったこと自体驚きです。きっと天草に渡る人たちが乗車していたんでしょうね。

しかしながら、手持ちのサボのなかには、大阪から長野や田口(妙高高原)に行くものがありますが、北陸線経由か中央線経由か表記のないものもあります。どういう基準だったんでしょうか?

エキスポこだまのサボ

デカンショまつり号です。

PCが壊れてしまい、新しいPCを購入しました。少し遅くなりましたが、エキスポこだまのサボを投稿します。

大 宮 (大阪鉄道管理局 宮原客車区)のサボで、収集家の中では、浮文字と呼ばれているものです。裏面はなく、青焼きコピー(懐かしいですね。)の大阪行きが貼られています。ご承知の通りエキスポこだまは、上りのみの運転でしたので、大阪行きは、他の臨時列車運転の際、大阪行きとして使用したものと思われます。

他、いろんなサボが手元にありますので、折を見て発表したいと思います。希望の行き先などありましたら、リクエストお待ちしています。

スロハ38の形式図

先輩方のスロハ38談義を拝見していて、果たしてスロハ38なる車両はどういう車輛だったのか?調べたくなり、手元にある「客車形式図 1959」のページを開いてみました。
3ページに記載がありました。
ダブルルーフで、3軸ボギーのTR-71・73を履いた車両で、マロネ37・マロネフ37からマハ47を経て改造された車両だったようですね。
ちょうど真ん中でロ室とハ室が分かれており、にロ室は、窓とシートがあっているようですが、ハ室は窓割と関係なく座席が並んでいたようです。
昭和33年末では、形式図VC03434のものが25両・VC03470のものが11両・VC03471のものが14両と結構活躍していたようです。

阪急「974」と「853」

阪急の「974」と「853」のガラクタです。

「974」は、名車920系の6次車で、1948年5月川崎車輛製の943~947 973~977の10両のうちの1両で、京阪神急行として戦後最初に投入された新製車です。ただ、資材調達の制約から、名目上ながら、戦災復旧もしくは、更新となっており、「974」は、京阪807となっています。末期には、944+969+939+974で組成され神戸線の支線伊丹線で活躍していたようです。

「853」は、当初700形として、1949年8月ナニワ工機で、700~704、750~754の10両が新製されたうちの1両で、ほどなく800形と改番されました。「853」は、1950年に開催されたアメリカ博覧会のPRのため、クリームとブルーの塗分けに塗装されたようです。末期には、803+967+937+853で組成され宝塚線の支線、箕面線で活躍していたようです。

「974」と「853」の阪急社紋を比べてみると、神戸の市章違いがあるのがわかります。

豪快に走り去った阪急710系の成れの果て 静態保存しています。

準特急先輩や湯口先輩の貴重な阪急710系の写真の後で、お口汚しですが、我が家に阪急710系の成れの果てのグッズがあります。「714」の車体側面切り抜き番号です。3ドア化された後の側面番号です。準特急先輩の元気に活躍していたころの「714」の写真を見て、思わず投稿させて頂きました。部品収集が好きで、コツコツ阪急の車体番号を収集しており、そのコレクションの一つです。旧型車ばかりですが、2ドア車である320系や900系。920系、800系の側面番号は、社紋の下に車体番号がありなかなかいいものです。阪急の旧社紋は、大阪市章と神戸市章が重なったデザインですが、神戸市章が輪郭だけのものや普通のものがあり、興味が尽きません。阪急の旧型車の写真続編期待しています。合致する番号がありましたら、また、投稿させていただきます。

115系三昧の夏の一日

8月中旬、JR東日本のホームページを見ていると、湘南色の115系の臨時快速「むさしの奥多摩号」が大宮~奥多摩間運転されると書かれていました。115系が青梅線に入線することは珍しいことです。

インターネットで検索すると、運転日は、7月28・29日、8月4・5・11・12・18・19日で、ヘッドマーク付で運転されているようです。ただ、115系の調子が悪く、運転が中止になったり、E233系の代走になったりで、あまりうまく走らない臨時のようです。

そろそろ引退も囁かれている115系ですので、一念発起して、18日土曜日に青梅線に出かけることにしました。いろいろ行程を検討すると、当日南越谷~鎌倉間運転されるスカ色の115系M40編成を使用した「ホリデー快速鎌倉号」の回送も撮影できるようなので、準特急さん・新所沢都民さんに、「宜しければ、いかがですか?」とお声をお掛けしたところ、前日にも関わらず、参加するとのことでした。

当日、始発電車で最寄の北総線印西牧の原駅を出発、浅草・神田経由で新宿へ。前日に購入した新宿6:38発の183系全車指定臨時快速「みたけ・おくたま探訪号」に乗車、一路御嶽を目指します。車両は、前後に特急のシンボルマークが付いたOM103編成ですが、幕がないため、「臨時」表示です。乗車率は、新宿出発時点では、10%も満たない状況でした。

所沢新都民さんは、この列車を途中で撮影するとのことでしたが、拝島での乗り換えに失敗し、結局のところ撮影できず、御嶽で三人集合となりました。

この面子が揃うと、過去の経験から雨の確率が高いのですが、やはり期待通り小雨がポツポツ降るような状況の下、川井で下車。川井から御嶽方面に戻った旧東川井信号所跡で、115系湘南色の快速「むさしの奥多摩号」を撮影。

川井駅に戻り、新宿から乗車してきた快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影しました。

川井駅から古里駅に行き、中線に長時間停車の快速「むさしの奥多摩号」の回送を撮影したころには、日が差してきました。

その後、今度は、スカ色115系の「ホリデー快速鎌倉号」を撮影するため、武蔵野線へ。当初は、駅間でとも思ってましたが、再び雲行きが怪しくなり、結局、屋根のある西国分寺駅で、1時間ほど、回送を待ちました。

やって来た「ホリデー快速鎌倉号」の正面幕は、快速のままでラッキーです。

そのあと、元お召し機のEF8181もやってきました。

東所沢に回送後、再び、鎌倉に回送される列車まで、二時間弱。昼食ということで、西国分寺駅周辺を探しましたがお店がなかなか見つからず、やっと見つけたお店で、生ビールと刺身定食で、前半の反省会と相成りました。

再び、ホームに上がると夏の日ざしが差しており、順光で回送を撮影できました。残念ながら、今回は、幕が回送となっていました。(本来の姿ですが・・・)

ここで、新所沢都民さんと別れ、再び準特急さんと青梅線へ。この頃には、夏の日差しが照りつけて、腕が痛いほどです。雨の原因は???

青梅駅で下車し、奥多摩よりに歩いて、快速「むさしの奥多摩号」の回送と快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影した後、朝撮影した旧東川井信号所に舞い戻り、快速「むさしの奥多摩号」撮影した後、青梅で解散となりました。

115系三昧の夏の一日でした。

なお、「ホリデー快速鎌倉」は、豊田区の115系M40編成で運転されてきましたが、先日発表されたJR東日本の秋の臨時列車運転計画では、183系となっていました。115系の引退の日が近づいてきたようです。