上信電鉄 デキ3+スハフ42 2173

昨日、9月18日土曜日に群馬県の上信電鉄で、デキ3がJR東日本のスハフ42 2173を牽引して、高崎~下仁田間を往復しました。

これは、JRが行っている群馬デスティネーションキャンペーンの一環として開催された「ぐんまの中小私鉄フェア2011」ものです。

JR東日本からは、7両ある旧型客車のうち、スハフ42 2173とオハ47 2266が上信電鉄に貸し出され、オハ47は、「ぐんまの中小私鉄フェア2011」の会場となった上信電鉄 高崎駅構内に留置され展示されました。一方、スハフ42はデキ3に導かれ、上州路を下仁田まで往復しました。当日は、SL「レトロ碓氷」も運転されていましたので、群馬県内で2本の旧型客車が走りました。

最初にこの情報を聞いたとき、今から十数年前の西武E851が引退に際して、12系を借り入れ運転したことを思い出しました。

デキが旧型客車を牽引するということで、是非撮影に向かうべく、準備を整え、朝5時に起きて、いざ高崎へ。上信電鉄に乗り換え、運が良いのか悪いのか冷房が故障して、窓が全開できる車両に乗り込み、9時18分発の電車で下仁田へ。窓から外を見ると、南高崎~根小屋の鉄橋付近には、既に何人かがデキを待っていました。10時22分下仁田着。途中のセブンイレブンで糧食を補給し、歩いて20分程度の千平~下仁田間の撮影場所に到着。まだ、列車通過2時間半前ということもあり、数名が待っている程度でしたが、13時10分過ぎの通過時刻には、4~50名くらいに膨れ上がっていました。

てっきり、デキが重連で客車2両くらい引くのかと思っていましたが、デキ1は故障しており。旧型客車は、一両が高崎駅構内で展示に使用するとのことで、デキ+旧型客車1両という模型のような編成となりました。

折返しは、1時間弱ですので、反対側に異動し、待機。すこしづつ山影や高圧鉄塔の影が伸びてきましたが、何とかクリアし撮影できました。

また、歩いて下仁田まで出て、下仁田発14時48分の電車に乗り込みましたが、途中で撮影帰りのファンが大量に乗り込み、超満員に。電車は約4分ほど遅れて高崎に到着しました。

高崎では、16時まで開催されていた「ぐんまの中小私鉄フェア2011」に何とか間に合い、デキ3とスハフ42。車庫の中のデキ1。ED31 6を撮影することができ、帰途につきました。

最後の夏

今日の関東地方は、しとしとと雨の降り続く日曜日となりました。

その雨の中、8月で定期運用から離脱する国鉄型車両を追いかけました。

一つは、JR東日本の113系。もう一つは、関東鉄道のキハ350形です。

早朝、土砂降りの中、成田線大戸~下総神崎間を行く113系です。晴れていたら、結構人が集まったかもしれませんが、雨でしたので、私のほか一人だけでした。8月末で、定期運用から撤退とのことですから、この区間を走るのは、あと何回でしょうか?鹿島貨物を待つ間、いつも顔を合わせていましたが、ここで、出会うのも最後かもしれません。正に涙雨です。

 

一旦自宅に戻り、午後、再度出陣です。まだ、雨はしとしとと降り続いています。

7月22日金曜日から8月28日の金土日曜日に、キハ350形が限定運用で、走っています。今日を逃すと、来週の3日間しかありません。

守谷~新守谷間を行くキハ350形です。随分田舎のようですが、つくばエクスプレスの走る守谷駅のすぐ近くです。

小絹~水海道間の水海道車両基地の脇を行く、キハ350形です。後輩が見守っています。

バリバリの現役時代は、どちらかといえば、あまり写す気にならなかったような車両たちですが、今の車両と比べたら、個性的で温かみのあるような気がします。

来週がラストチャンスです。

天気がよければ、最後にもう一度会いたいものです。

遜色急行 113系 急行 伊豆

昨日7月2日と本日7月3日、東京~伊東間で、幕張の113系4連×2本(116編成横須賀色+117編成湘南色)を使用した団体臨時列車「113系で行く 急行伊豆の旅」が運転されました。

手近に済まそうと、昨日、早起きして、田町駅東京方で撮影してきました。(蛇足ながら、準特急先輩は、景色の良いところに遠征されたようです。)列車出発二時間半前に、田町に到着しましたが、既に、先客が4名。最終的には、20名程度になりました。

列車は、東海道線のE231系・211系・185系。東海道新幹線の300系・700系・N700系。京浜東北線のE233系。山手線のE231系とひっきりなしに往来しますが、あまり面白味の無いものばかりです。

写欲が湧くのは、185系・211系・300系でしょうか?

300系は、1時間に一本程度しか走ってきません。

その中で、偶然、485系「NO・ DO・KA」が走ってきました。

さて、本題の113系急行伊豆の話です。

以前、鉄道ピクトリアル NO.768 2005年11月号で「遜色急行」という特集がありましたが、その中には、113系で運転された記録はありません。

まあ、人気の113系にあやかったものだと思いますが、急行らしいのは、前面幕と、横サボのみで、車内設備はもちろんのこと、運転時間も快速以外何者でもありませんでした。まさに「遜色急行」でした。ちょっと無理があったように思います。快速「中伊豆レジャー号」でもよかったのでは・・・

ただ、それだと急行料金取れませんが・・・

折角なら、正面を153系か165系の塗わけにして欲しかったのは、私だけでしょうか?

震災の影響で中止となりましたが、185系湘南色の「いでゆ」の方が、まだ、筋が通っている気がします。

実際に運用された、豊田の115系6連を使用した急行「かいじ」「かわぐち」。新前橋の115系を使用した急行「ゆけむり」「あかぎ」「なすの」。幕張の113系を使用した急行「うち房」も期待したいところです。

能勢電51号 最後の日々

米手作市先輩が、能勢電の記事を投稿されていましたので、触発され投稿します。

昭和56年12月19日、氷雨のような雨の降る日を最後に、能勢電 川西能勢口~川西国鉄前間が廃止されました。

私は、当時、高校三年生。受験シーズンの一ヶ月前でしたが、居ても立っても居られず、親の目を盗んで、51号に別れを告げにいきました。最終日とあって、車内は、ラッシュ時並の大混雑でした。

その二ヶ月前の昭和56年10月23日朝が少し寒く感じられる秋晴れの日の朝。黙々と働く51号を撮りにいきました。通勤時間帯でしたが、人影もまばらでした。今考えると、当時でさえ、何ゆえ残っていたのか不思議なくらいの区間でした。当時は、51号が主に使用されており、ごくたまに61号が走ることがあったようですが、私は、51号しか撮影していません。最終日も51号でした。運転は、朝夕だけ昼間は川西能勢口駅の西の端に留置され、昼寝していました。

51型の背景に写っている大きな農業倉庫とケヤキの大木、グランドは、今では、マンションと阪急百貨店となり、往時の偲ぶのは、線路敷き利用した道路ぐらいでしょうか?

がんばれ! ひたちなか海浜鉄道

5月1日に、ひたちなか海浜鉄道で、撮影会があり参加してきました。

ご存知かも知れませんが、ひたちなか海浜鉄道も東日本大震災で大きな被害を受け、全線で運転を見合わせており、7月開通を目指しての復旧工事が行われています。現在、代行バスによる輸送が行われています。

那珂湊駅の到着する代行バス 以前の茨城交通時代の鉄道車両同じ塗わけです。

今回は、被害が少なかった那珂湊駅構内を利用して、日ごろ営業運転しているときには、撮影できない7両の車両(現役の車両が8両いて、単行で使用したとしても、2両必要なので、車庫にいるのは、多くても6両となります。)集めての撮影会です。残念ながら、1両(キハ3710-01)は、阿字ヶ浦寄りで地震に遭遇し、那珂湊に回送できず参加できませんでしたが・・・

地震の被害が大きく自社線も不通という状況の中、このようなに催しを開催していただいた関係者の方のご英断に感謝します。

最初は、那珂湊駅一番線 阿字ヶ浦方 ミキ300-103+キハ3710-02+キハ37100-03 勝田方那珂湊駅三番線 阿字ヶ浦方 キハ205+キハ222+キハ2004+キハ2005と留置されていましたが、その後、入れ替えが行われ、6両並びが実現しました。

那珂湊の構内全線使用しての6両並びです。左からキハ3710-02  ミキ300-103  キハ2004  キハ2005  キハ205  キハ222

旧型気動車の並びです。準急色・急行色・一般色・旧一般色

那珂湊駅勝田方 左よりキハ2005  キハ2004  ミキ300-103  キハ37100-03

駅の裏の倉庫が崩れていたり、那珂湊の魚市場前の岸壁が一部海中に崩落していたり、傷跡は残っていますが、魚市場では、威勢のいい声も響いていますし、ちゃんと営業もしています。

那珂湊駅裏手の倉庫 中には山車が入っていました。元気な祭りが再開されることを祈ります。


那珂湊の魚市場前の岸壁

魚市場で買い込んだ格安な海産物を土産に、一日も早いひたちなか海浜鉄道の復旧と茨城県の復興を祈りながら、帰途につきました。

がんばれ ひたちなか海浜鉄道!

「カレチ」という漫画

先日、ふと手にした講談社のモーニングという漫画の見ていましたら、「カレチ」という作品が掲載されていました。モーニング自体は、週刊ですが、月一回の連載の作品です。

文字通りカレチ(専務車掌)がモデルになった作品で、舞台は、昭和40年代後半の大阪車掌区。そこに勤務する新米カレチ荻野の奮闘と成長が描かれています。

DRFC OB諸兄の身近な国鉄が舞台です。

今まで連載をまとめたコミックも発売されており、今まで、コミックを買ったこと無かった私も購入してみました。因みに御代は、一冊533円(税別)です。

中身は、読んでのお楽しみですが、なかなかのものです。下記の内容が描かれています。

ご興味ある方は、是非、立ち読みではなく、購入してご覧ください。

続編を期待しています。

新年あけましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。

昨日、今年の鉄はじめとして、成田臨を撮影してまいりました。

山陰は大雪とのことですが、ここ関東地方は穏やかな三が日です。

2011-1-2 9835M 成田線 安食~下総松崎

ご承知の方も多いと思いますが、首都圏各地より成田山新勝寺を目指し、多くの臨時列車が設定されます。私が毎年通っている自宅近くの成田線我孫子口は、普段E231系しか走っていませんが、この時期は、バラエティが豊富になります。とはいっても、以前のあったような、客車列車やJR東海からの乗り入れなどは無くなり、183系・189系・485系ばかりですが・・・

ここでは、まだまだ、国鉄色が元気に活躍しています。1月下旬まで楽しめます。

国鉄色といえば、正月三が日設定されているホリディ快速鎌倉が115系で運転されているので、今朝は、早起きして東川口まで出かけてきました。

2011-1-3  9524M  武蔵野線 東川口

 

昨年2月のダイヤ改正で、快速むさしのから115系が引退しましたので、もう武蔵野線を行く115系の姿が見られないかと思っていましたが、まだ健在でした。

このホリディ快速鎌倉は、以前は、大宮始発でしたが、この正月三が日設定分は、大宮ではなく南越谷始発でした。逆光ですが、従来走っていなかった区間で、撮影しました。

ゴールデンウィークや秋の三連休にも運転されていますが、今度のゴールデンウィークにも115系の姿を見たいものです。

大連に行ってきました。

先週の金曜日から日曜日にかけて、会社の旅行で大連に行ってきました。

土曜日一日自由行動の時間がありましたので、午前中は、満鉄本社とアジア号。午後は、バス約一時間かけて旅順まで行き、「坂の上の雲」で話題の二百三高地や水師営などを見学した後、一日二往復しかない列車で、二時間弱かけて戻ってきました。

朝一番に、宿泊したフラマホテルから歩いて10分ほどの旧満鉄本社にある満鉄の資料館へ。事前に調べたところ、無休とのことでしたがカギがかかっており開いていません。棟続き隣に行っても、手で追っ払われる始末。そうこうしている内、駄目もとでガイドブックに書かれていたところに電話をしたところ、日本語のできる方が出て、やっとカギを開けてくれました。ひとり入場料として50元払って入場。中では、日本語がとても上手なガイドさんが付っきりで、満鉄の歴史をガイドしてくれました。

展示物がある部屋は、撮影禁止でしたが、総裁室は撮影可能でした。

そののち、金庫や会議室を見学。満鉄のグッズがあるみやげ物販売コーナーへ。

残念ながら、どれもなかなかのお値段で手が出せませんでした。一つだけ満鉄のマークが入った帽子掛けを3000円で購入しました。

旧満鉄本社を後にして、タクシー(8元)で勝利橋をわたり、パシナが保存されている鉄路錫炉安装工程公司へ。

アーチをくぐった先の扇形庫の中に、お目当てのパシナが居ます。ここもカギがかかっており、カギを開けて見学させてもらうのに50元かかります。カギを開けるだけで何の案内もなく、50元もとられます。きっと、ここの人たちのこずかいとなっているのでしょう。それにしても高いです。

雨の当たらない庫に入っていますが、撮影に不向きです。なんとか前面だけは、撮影できました。

運転台にも上れますが、やはり日本のSLと比べると一回りも二回りも大きい感じです。

感動のパシナの見学ののち、再びタクシー(8元)で、大連駅に出て、バス(7元)で旅順に・・・駅前で交渉して、戦跡めぐりのタクシーをチャーター約3時間で100元です。

最後は、中国で現存する最古駅舎といわれる旅順駅に車をつけてもらい、大連から来る快速 K7329次の到着を待ちます。定刻は、旅順着15:58ですが、少し遅れて到着しました。

到着後、機回しして、旅順発16:25 大連着18:14の普快6332次となります。編成は、前から6両硬臥+1両軟臥+6両硬座+1両行李車の14両編成です。長距離列車の間合い運用のようで、旅順~大連に関係ないようなサボがつけられていました。   旅順大連間の硬座は、4.5元で、硬臥や軟臥には、乗車できないようでした。車内では、地元民がトランプ賭博をやっており、さながらギャンブルカー状態でした。

定刻に、大連に到着。隣には、和諧と書かれたHX30680という電気機関車に牽引された快速 ウルムチ行が停車していました。

いつか、機会があったら乗ってみたいものです。

175系??

DRFC関東連絡網で話題になっている185系湘南色の特急「あかぎ」の写真をお送りいたします。

本日、田端運転所で開催されましたJR東日本の旅行商品「びゅう」主催の「寝台特急 北斗星・カシオペア」牽引機関車撮影会の旅に参加しましたが、その都区内フリー乗車券を使って、撮影会前に東十条に出かけ、4004M特急「あかぎ4号」で運用中の写真です。

7連+7連の14両編成で、上野寄りに湘南色となった185系が連結され、前橋寄りは、従来の185系です。サロには、懐かしいグリーン帯が描かれています。

賛否両論ありますが、ここまで来たら、いっそのこと、登場時、153系の急行「伊豆」と併結していましたので、後ろも旧踊り子色にするとか、157系の特急「あまぎ」や「白根」をイメージしたものもあってもよいのではと思ってしまいます。

私的には、165系塗色(私にとって、80系より身近な存在でした。)の185系ですので、中をとって、175系と命名しました。

肝心の撮影会は、EF81の星カマとカシオペア色、EF510の北斗星色とカシオペア色 合計4両を並べた撮影会です。都区内パスと弁当、弁当の掛け紙(何ゆえか、弁当にかかっておらずご丁寧に封筒入りでした。)、市価1000円と書かれた北斗星携帯ストラップつきで3300円でした。高いか安いかこれも判断が分かれるところです。

 

成田スカイアクセス開業と253系N`EXラストラン

一昨日の2010年7月17日、成田スカイアクセスが開業しました。また、JRでは、253系成田エクスプレスのラストランがありました。

地元ということもあり、双方を撮影してきました。

成田空港行きの初列車は、京浜急行の神奈川新町を5:20に出た553Hアクセス特急です。京浜急行の1000系が充当され、地元の印西牧の原駅を120キロに近いスピードで通過していきました。

 

二番列車は、新線区間では、160キロ運転を行う新型スカイライナーです。先日、試乗会で160キロを体験しましたが、なかなかのものです。

京成上野を6:30に出たスカイライナー1号です。途中、日暮里では、出発式が行われたようでしたが、定刻どおりです。

 

三番目は、京浜急行の三崎口を5:05に出た557Hアクセス特急です。京浜急行の600系が充当されました。この車は、他の電車と違い方向幕を使用していたため、「成田空港」との表示がしっかり撮影できました。

四番目は、都営地下鉄の西馬込を6:33に出た601Kアクセス特急です。京成電鉄がこの成田スカイアクセスのために新造した3050系が充当されていました。

成田空港行きの初列車から4本目まで、自宅近くの印西牧の原付近で撮影しましたが、いずれの電車にもヘッドマークや装飾の類はされていませんでした。京急車はともかく、京成の車両ぐらいは期待したのですが・・・・高速走行のため、無理なのかもしれませんね。

一旦、自宅に引き上げた後、JR成田線に移動し、佐倉~酒々井間で、JR東日本横浜支社主催の「253系成田エクスプレスラストラン」の団体臨時列車を待ちます。炎天下で待つこと二時間。陽炎が立つ彼方から、253系6連 Ne-07編成がやってきました。現役時代は、12連ですのでちょっと短いN`EXです。鹿島貨物の撮影の合間、30分ごとに走ってきた253系に、ここで出会うのも最後かと思うと不思議な感じです。

スカイアクセスに続き、こちらもヘッドマークの類は、一切つけられておらず、一般の営業列車と同じいでたちでした。

イベント列車”EXILE山手線”

今日、5月27日日曜日、縁あって、イベント列車”EXILE山手線”なるものに乗車してまいりました。

大崎駅14時42分発、大崎着14時42分着の内回り山手線でしたが、集合受付は、13時過ぎ、既に大崎駅周辺には、EXILEファンが集結です。

EXILEのラッピングされた231系が大崎駅2番線に据え付けられ乗車。車内吊りをはじめとした、広告もEXILE一色です。

車内は、EXILEファンの女性(95%ぐらい女性でした。)。

みんな受付で渡された青色の法被姿です。

南アフリカで開催中のサッカーのサポーターにも負けないくらいの熱気です。

途中、徐行運転や池袋で停車したものの一時間で山手線を一周してまいりました。

池袋では、間違って、乗車できるものと思い、扉近くまで、来られる方もいらっしゃいました。

通過駅は、逆に加速して通過した駅もあり、不思議な一時間でした。

大役を終えた231系。大崎駅で回送を待ちます。表示は、団体のままです。

回送される231系。EXILEの全国ツアーの成功をお祈りします。

東京都交通局「2010路面電車の日」

路面電車の日(6月10日)を記念して開催された東京都交通局「2010路面電車の日」に行ってきました。

今回の目玉は、

距離を越えて、時代を超えて・・・・都電荒川線と阪堺電車が入れ替わる!?都電荒川線と阪堺電気軌道の「PR相互乗り入れ」開始セレモニーでした。

都電と阪堺電車それぞれ一両がお互いの旧塗装に塗り替えて、それぞれの路線で運行するという企画で、先日のレポートにあった江ノ電と嵐電と同じような企画です。

10時半ごろ荒川電車営業所に到着。8801と8804を並べた撮影会の真っ最中でした

8801と8804の並び

その後、8804が出庫。8801に牽引された6086が姿を現しました。

姿を現した里帰りの6086

8801が出庫して行き、6086が11時開始のセレモニーを待ちます。

6086の前で、司会者の鉄道女優 史絵さんがスタンバイ。

司会者の史絵さん
11時からセレモニー開始。同時刻 阪堺電車でもイベントが行われているとのことでした。

東京都交通局長の挨拶。続いて、南海電鉄の取締役の挨拶。荒川区を選挙区に持つであろう来賓の都議会議員の紹介。特大切符の交換に続き、いよいよ、車庫から阪堺電車旧塗色となった7511の登場です。
塗変えられた7511の前で、巨大切符と記念撮影

なかなか落ち着いた色です。来年まで走るようですので、関西の方も、東下りされた際には、是非お立ち寄りください。

キハ52ありがとう号撮影顛末記

そもそもの始まりは、3月はじめ、DRFC-OB数人に に三連休に、大糸線「キハ52ありがとう号」を撮影しに行こうと話したことから、物語は始まります。関西組数人と関東組数人が「行こう」、「行く予定がある」と言っていたのですが、一人抜け二人抜け、最終的に参加したのは、関東組の大先輩の準特急氏と小生のみでした。

出発、数日前の週間天気も、三連休中日だけは、雨の予報!

いやな感じはしていましたが・・・

3月20日夜、家でほろ酔い気分になったあと、新宿23:54発の快速「ムーンライト信州81号」に乗車するために、最寄の私鉄駅に自転車で向かいましたが、猛烈な南からの向かい風で、歩いたほうが早いくらいでした。ギリギリ駅に到着。新宿を目指しました。

途中は、何の支障も無く、新宿に到着。

寝酒を確保し、快速「ムーンライト信州81号」の入線を待つことしばし・・・長ナノN101編成が入線してきました。昨年夏、準特急さん・ロギング太郎さんと佐久間レールパークへ行ったときは、E257系でしたので、少し損した気分です。5号車モハ189-28の車中の人となりました。ところが、発車時刻の23:54になっても一向に発車しません。強風で遅れている接続列車の待ちで、5分の延!

夜のとばりが降りた、中央線を一路、西に向かいます。

次のハプニングは、日野駅を過ぎたあたりで、豊田・八王子間に支障物があるということで、徐行運転開始、豊田駅で停車すること30分。支障物の撤去が終わり先行の電車が運転再開し、続いて、わが快速「ムーンライト信州81号」も運転再開です。所定0:40の八王子に30分延で到着。ここで、準特急さんが乗り込んでこられました。

先輩を差し置いて、こちらは、寝酒が体中に回り、酔っ払い状態です。準特急氏も強風の影響でなんとか八王子にたどり着いたとのことでした。

快速「ムーンライト信州81号」は、更に西に向かいます。10分停車する塩尻の手前で目が覚め、塩尻で、ホームを駆け回り快速「ムーンライト信州81号」をカメラに納めました。もうこの頃には、所定の時刻に戻っていました。塩尻駅停車�� 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1525

塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1525

塩尻駅停車�� 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1528

塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1528

ほぼ、定刻の5:40過ぎに白馬に到着。銀箱や三脚を持った輩が大量に快速「ムーンライト信州81号」から吐き出されました。駅の待合室も超満員。その上、強風の影響でしょうか2度ほど停電し、駅の中は、真っ暗! ここで、6:56発の5321Mを待ちますが、待合室のあまりの混雑に、駅前の右手二階の早朝営業の食堂に退避。準特急氏と650円の朝定食を食べながら、5321Mを待ちます。
白馬駅のホームから見た東の空に上がる月の様な不気味な太陽
白馬駅のホームから見た東の空に上がる月の様な不気味な太陽

朝食後、5321Mの到着時間が近くなり、ホームに向かいます。定刻になっても5321Mは姿を現しません。ホームからは、これからの一日を暗示するような不気味な月の様な太陽が望めました。10数分遅れて、5321Mが到着。二両編成の車内は、鉄ばかり・・・南小谷に到着すると、7:51発の423Dは、本日強風のため、運休とのこと。手際よく、糸魚川バスの代行バスが用意されており、南小谷に残る準特急氏と別れ、代行バスの列に並びました。ただ、満員に近い20メートルのE127系二両の乗客を小型バス一台で受けるのは無理があります。やっと乗り込みましたが、車内はすし詰め!つり革につかまるのがやっとです。乗り込めない人は、何時来るかわからないが、バスを手配しているので、そちらを利用してほしいとのこと・・・そうこうしている内に、本日の「キハ52 ありがとう号」は、強風のため運転中止となったことがアナウンスされますと、超満員のバスからあきらめて降りる方がおり、何とか座席を確保。8時10分過ぎ、超満員の代行バスは、糸魚川に向けて出発しました。

大糸線 423D代行バス

糸魚川駅に到着した423D代行バス

 

途中、律儀に各駅に寄り、約1時間で糸魚川駅に到着。運転中止になった「キハ52 ありがとう号」は、JR西日本の粋な計らいで、4番線に据え付けられており、強風と雨の中、撮影会が行われていました。

糸魚川駅 4番線にて「キハ52 ありがとう号」

定刻から大幅遅れ1531M クモハ419-14と並ぶキハ52

北陸本線は、軒並み遅れ、運休続出なので、「キハ52 ありがとう号」を撮影後、早々退散し、帰京する事にしました。これには、昔の苦い記憶があるからです。

大学1年生の夏、青春18切符を使って関東地方と飯田線を追い求めて、893-2氏・大ミハ氏と旅を始めたものの、富士川橋梁の流失で行く手を阻まれ、やむなく豊橋の木賃宿に泊まることを余儀なくされ、退却するにも退路を阻まれ、豊橋から名鉄と名鉄の代行バス、その後東海道線の醒ヶ井あたりでも代行バスにお世話になって、ほうほうの呈で帰宅したことが脳裏をよぎりました。

定刻より大幅に遅れて入線したきた、1531M 419系D14のクモハ419-14の車中の人になり、直江津を目指します。この時点での計画では、直江津10:51発長岡12:21着・12:33発越後湯沢13:50着・15:05発水上15:43着・15:48発高崎16:51着・17:02発上野18:50着の予定でした。

クハ419-4 前面の列車愛称表示部分が埋められている 直江津駅

直江津に約30分遅れの10:10過ぎに到着。駅で聞いてみると10:51発の1333Mは運休。その後の12:16発1335Mも運転の見通しが立たないとのこと、何でも直江津~柏崎間は、9時から15時くらいまで、強風で運転見合わせとのことでした。気を取り直して、仕方なく、ほくほく線経由で帰ろうと、車中のアルコールを売店にて購入していたところ、10時50分過ぎに放送が入り、柏崎・長岡方面に行かれるお客様は、改札前に集合してくれとのこと。行ってみると、代行バスを柏崎まで手配したので、それを利用して欲しいとのことでした。迅速な対応に感謝・・・

駅の南口に誘導され、行ってみると既に頚城バスの大型観光バスが待機。16名のお客さんと直江津駅の主任さんが乗り込み11時20分前に柏崎駅に向けて出発。途中、笠島と青海川以外のすべての駅に停車。潟町は、6名が乗車。柿崎では、柏崎から直江津に向かう代行バスと離合しました。ただ、途中、運転抑止されているのに、不思議なことに踏切で、EF510の単機を待ったり、雨の中、青海川~鯨波の名撮影地では、3人の鉄チャンがカメラを構えていました。

バスが駅前に入れない駅では、雨の中、直江津駅の主任さんが制帽のあご紐を使用して風で、帽子を飛ばされないようにしながら、駅にお客さんが居ないか確認されており、鉄道員の真摯な対応に脱帽です。

直江津~柏崎間代行バス バスの団体名を表示するところにJRと書かれている。柏崎駅

そうこうしている内に12時40分過ぎに、柏崎に到着。接続の長岡行き13:09発1335Mを待つことにしました。この1335Mは、本来、直江津始発ですが、今日は、直江津~柏崎が不通なので、長岡方面から来る列車が折り返すことになるとのことです。ただ、その折り返し列車の到着が遅れ、出発が20分程度遅れるとのアナウンスが入りました。

手持ち無沙汰で、駅のベンチに座っていると、長岡方面に三つの光を発見、目を凝らしてみるとボンネット車ではありませんか?残念ながら写真の撮りやすい2番線には入線せず3番線に入線しましたが、先日、能登を引退した489系H1編成を使用の読売旅行が募集した団体臨時列車でした。帰ってから調べてみると、19~21日にかけて敦賀・舞浜間運転された団体臨時列車で、柏崎は、所定4:37通過のものです。柏崎で抑止かと思っていましたが、しばらく停車の後、直江津方面に向け、静かに出発していきました。また、下りのEF81牽引のコンテナも轟音とともに通過していきました。

団体臨時列車 クハ489-501   柏崎駅

 

同じく団体臨時列車 クハ489-1   柏崎駅

生活の足である定期の旅客列車を運休させておきながら、団体臨時列車や貨物を走らすJRの対応については、????です。

さて、出発が遅れた1335Mで長岡に到着。長岡14:31発115系二連の1740Mで越後湯沢15:51着 16:45発の1742Mまで時間があるので、駅構内の日本酒入りの温泉800円で、時間をつぶすことに。以前夏に来たときは、ほとんど人が居ませんでしたが、スキーシーズンということもあり駅構内は、大混雑!女性用のお風呂は、2~30分待ちのようでした。

16:45発の1742Mは、115系4連のL3編成です。今では、数少なくなった0番台MM`ユニットが組み込まれ、AU712で冷房改造されており珍車です。残念ながら水上駅の到着が遅れ、接続の17:29発750Mの時間もありも、撮影できず残念でした。

750Mで新前橋に出て、6分遅れの750Mを接続待ちしていた3940M快速アーバンのグリーン車二階席に座って、ほっとしたとたん睡魔に襲われ、目覚めたら日暮里を通過。長い一日が終わりました。

成田新幹線のなれの果て

7月17日の開業に向け、成田新高速鉄道で新型スカイライナーの試運転が始まりました。

3月14日には、空港第二ビル~印西牧の原間で三往復、初めての160キロ運転での試運転が開始されました。

ご存知の方も多いと思いますが、新鎌ヶ谷から成田空港間は、成田新幹線のために用意された線路敷を利用し、北総鉄道・千葉ニュータウン鉄道・成田新高速鉄道が建設されています。

建設中止から三十数年の時を経て、成田新幹線の計画が実現します。

塗装も相まってなんとなく、新幹線の様に思えてくるのは、私だけでしょうか?

成田エクスプレス新型車両 車両展示会

仕事の関係で、2009年9月8日火曜日に品川駅9番ホームで実施された成田エクスプレス新型車両 車両展示会に参加してまいりましたので、レポートします。

事前に手元に、展示会の招待状が届きましたが、封筒・招待状ともN‘EXのイメージカラーのもので、JR東日本の熱の入れようが感じられました。

展示されたク繝・?259-7

展示されたクロE259-7

品川駅9番線に展示されたのは、6両編成1本でした。7番線には、乗務員訓練用のE259系の6

連が2本停車していました。

雑誌などで、既に掲載されている通り、グリーン車は、本皮張りのいすで、2-2の座席配置。普通車も同じ2-2の座席配置です。

デッキ部との仕切りは、グリーン車は、木目調の両開き自動ドア。普通車は、ガラス

の両開き自動ドアですが、ガラスのは、スーツケースなどが当たって割り

ることは無いようにできているとは思いますが、少し不安です。

驚いたのは、クロE259車端部にある電動車いす対応の大型洋式トイレです。鉄道車両

の車内とは思えない広さと落ち着きがある空間です。

グリーン車車内

グリーン車車内

普通車車内

普通車車内 デッキの仕切りがガラス製

電動車いす対応大型トイレ 

253系では、旅客の編成同士の移動はできませんでしたが、259系では、移動が可能となります

。昔のキハ82系を思い出しました。

前面貫通路の舞台裏

前面貫通路舞台裏
車両と車両の間の下の方には、大きなダンパがとりつけられおり、結構目立ち

ます。車体間ダンパ
見えずらいですが、車体間ダンパ

10月1日より、下り N‘EX3 9 13 15 25 29 31 39 43 49 上りN‘EX4 8 12 16 26 30 32 40 44 50に投入され、約1/3の259系となります。

職を失った253系は、波動用となるとか、特急「草津」「谷川」の185系を置き換えるとか、いろんなうわさがありますが、果たしてどうなることやら・・・・結構、車体にガタがきているものもあるようなので、固定式の椅子だけでなく、相当手を入れないといけないかもしれません。

先日、JR東日本の規則が改正されました。転用を念頭に置いた改正と思われる部分がありましたので、ご紹介します。もともと253系は、成田エクスプレス専用車であり、特急料金は、A特急料金を適用となっていましたが、成田エクスプレス以外で、B特急料金区間で運用の場合、その適用をするという改正です。

209系の転用劇の前例もありますので、楽しみです。

最後は、7番線には、乗務員訓練用のE259系の写真です。後ろに、9番線の車両も写っています。

レトロ横濱撮影記

昨日、関東在住のDRFCクローバー会の3名、レトロ横濱を撮影してまいりましたので、ご報告いたします。

前日の土曜日の天気予報では、曇りの予報でした。

当日9時に、東海道線川崎駅下りホーム神戸方先端に集合したのは、準特急さん・新所沢都民さん・小生 デカンショまつり号の3名です。

品川から横浜への回送がまだということで、一旦、東海道線で横浜へ、横浜から京浜急行で一駅品川側の神奈川に戻り、思い思いの場所で、回送を待つこと30分強。いよいよEF641001+旧型客車7両+EF65501の回送が来ました。(一枚目の写真)

その後、京急神奈川駅で、再集合。残り少なくなった京急OLD1000系で上大岡へ、そこから京急自慢の2100系快特で金沢文庫。こんどは、800系の普通に乗換え、次の撮影地の最寄り駅安針塚へ。安針塚へ着いたには、小雨が降り出していました。傘をお忘れの準特急さんは、駅近くスーパーで、ビニール傘をご購入。糧食を補給の上、帝国海軍 横須賀鎮守府がおかれた横須賀軍港時代は、要塞地帯ということで到底、撮影が許されなかったであろう場所で、レトロ横濱1号を待つこと小一時間。この頃には、雨はすっかり本降りに・・・・この雨の中、雨に煙る横須賀軍港を背景に、EF65501をおしりにつけたレトロ横濱1号がやってきました。(二枚目の写真)

さらに、待つことしばし、隣の横須賀で折り返しのEF65501を先頭にしたレトロ横浜2号を撮影。(三枚目の写真)  元来、EF16などを置き換えるために生まれ、イベント用に茶色に塗られたEF641001より、特急専用機として生を受けたEF65501のほうが、いいと思うのは、私だけでしょうか?

ずぶぬれになったあと、安針塚に戻り、再度、京急利用。今度は、600系と、毎回乗車する車が違いました。一駅乗った後、逸見で下車。横須賀のどぶ板通りならぬシャッター通りを通って、雨の中、横須賀駅へ。

この後の撮影も躊躇するくらいの雨でしたので、3・4号は、安置欲に駅撮りすることに一同異議なし!上り横須賀線の車中の人になり、ロケハンしながら大船へ。長時間停車する大船は、既に大勢の鉄に占拠されていました。再度、流浪の民となり、東逗子に戻り、ここで、3・4号を迎え撃つことにしました。

雨の中、東逗子駅久里浜側先端でレトロ横濱3号を待ちました。四枚目は、帽子をかぶった準特急さんとEF641001のツーショットです。私の本命は、EF65501のお尻でした。準特急さんすみません。

今度は、東京方に移動し、レトロ横濱4号を待ちます。駅員の方から親切にも、ちょうど15時10分の通過時刻は、下りの電車とかぶるよというアドバイスをいただきましたが、もうここまで来たら動けません。運を天に任せて、レトロ横濱4号を待ちました。運よく横須賀発が1分の延。かぶられず撮影することができました。五枚目・六枚目。

撮影終了した頃、同じくクローバー会の逗子在住のシグマ太郎さんが長靴姿でご登場。しばしの逢瀬を楽しみました。

以上、レトロ横濱撮影記でした。