九州の列車 〈10〉 盲腸線の終点で
前項の佐世保から、松浦半島に沿った路線が松浦線(現・松浦鉄道)でした。運輸上の中心は機関区のある佐々で、ここから分岐していたのが、今回紹介する臼ノ浦線です。周辺には、小規模な産炭地があり、積出港への運炭を目的に佐世保軽便鉄道によって昭和6年に建設された762mmで、国有化、改軌ののち、戦後に臼ノ浦線となりました。佐々~臼ノ浦間3.8km、中間に駅はなく、旅客も朝3往復、夕1往復で、国鉄のなかでも、最小部類の盲腸線でした。終点の先に石炭の積出港があり、訪問した昭和44年にもまだ石炭列車が走っていました。▲臼ノ浦駅で発車を待つ824D、門サキのキハ10 29単行、ホームは一面だけだが、石炭列車も運転されているため十分な側線があった。終端部は積出港と隣接していて、石炭を船に積み替えていた。折返し時間は4分だけで、慌ただしく発車、数人の乗客があったように覚えている(昭和44年3月)。
▲朝に佐々から323Dに乗り、8:32に臼ノ浦着、折り返し4分で、駅舎撮影、入場券購入を行い、赤枠の8:36発824Dで臼ノ浦を去った。始発を出ると、次は終着となる臼ノ浦線、3.8km、乗車6分の路線で、列車は、朝3往復、夕1往復、一日4往復。貨物が廃止されると、たちまち用がなくなり、近くの世知原線とともに、昭和46年12月に廃止されている。
▲途中には佐々川を渡る鉄橋があった。積み出しを終えた“返空”の石炭車を牽くのは、門鉄デフのC11だった。佐世保軽便鉄道時代の橋台が残っていた。
▲最初、昭和42年に佐々を訪れた時には、臼ノ浦線などで使われていたレールバスのキハ02が健在だった。レールバスは各地の閑散線区で使用され、一時は重用されたが定員が少ないのも嫌われて、次つぎ廃車になり、訪問した昭和42年時点で残っていたのは、佐々区のキハ02の5両だけで、松浦線から分岐する盲腸線、柚木線、臼ノ浦線、世知原線の3線で使用されていたが、昭和44年3月に廃車となり、上掲のキハ10に置き換えられた。
総本家青信号特派員様
1968年4月8日に佐々機関区で元祖レールバスのキハ02 10の車内を撮っていました。
運転台です。
快速つくばね様
いゃ、驚きました。私も全く同じキハ02の車内を佐々で撮っていました。扇形線に留置のキハ02は、清掃用の段があって、誰も居ないことを幸いに、勝手に車内へ入って撮影したものです。車内に入って、肩よりも低い背摺りに驚きました。正面に転車台が見えていますから、同じ場所ですね。しかも、撮影日を見て、びっくり、私は1年前の昭和42年4月3日でした。快速つくばねさんの影を追うように(?)、私も各地へ出掛けていた時代です。
松浦線支線の話題は、今日でこそ廃線跡マニアの訪問等で記述が出るようになりましたが、40年以上昔は、九州の鉄道ファンでも語れる人はおらず、廃止が昭和40年代前半ゆえ、大変難易度の高いテーマでした。
貴重な写真と、1980年前後の探訪の記憶を繋いでいるところです。
そもそも軽便規格の旧佐世保軽便時代の前に「岡本彦馬運炭鉄道」があったなんて知識は、臼井茂信氏の機関車の系譜図を読んでいないと、皆目分からない、肥前在住者でも知りません。
私は在学中の帰省時に、いつもの地元の友人と「無茶ツーリング」で80年にいくつか探訪して、予備知識がほぼ無いので、前述、佐々川の鉄橋跡が2つ痕跡があり「これは軽便時代では?」の推理を考古学的に建てました。
今の時代から見たら他愛のない論考ですが、当時はそれほど情報源が乏しかったのです。
いくつか撮影物がありますので、コメント欄に出します。私が新規スレッドを出してもほとんどレスがつかず過去帳入りするので、それなら普段やっているSNSの活動の方がやる妙味があるというのも、悩ましい所です。
まずは撤去されずに残っていた臼ノ浦の駅名標
臼ノ浦のホーム
佐々を出るとすぐに残っていた国鉄時代の鉄橋そのままと、軽便時代のピアの跡
先輩は行かれていないと推測しますが、臼ノ浦の駅より海側に積出港の設備が残っており、炭鉱がなくなった筈なのですが、1980年に貯炭している風景を目撃しています。九州に多い火力発電所のための、一時保管場所なのかもしれません。
最後は佐々駅の構内風景 松浦線が改軌された時点で設置された扇形庫は、機関区廃止後は木造部分が撤去されて、「墓標のよう」とジャーナル誌に掲載された写真がショッキングでした。それも遠い思い出です。
その”墓標”が遠くに写っています。
写真はいずれも1980年8月8日
私は臼ノ浦駅ですぐ折り返していましたので、積出港は全く知りませんでした。以下の写真は、臼ノ浦線の石炭列車ですが、九州では珍しいボギーの石炭車です。台車から見ると、セキ1000だとお知り合いから指摘がありました。積出港と言い、貨車と言い、松浦炭鉱は意外と規模が大きかったこと、改めて知りました。
K.H.生さま
臼ノ浦に行ったのは、私だけと密かに思っていました。まさか、廃止後に訪れた人がいるとは!
それほど、松浦半島のはずれ、支線のさらに支線の終点にある、当時でもほとんど知られていない駅でした。1980年ごろの遺跡の数々、廃止後、10年以上経つのですが、明瞭に残っていたのですね。貴重な写真を公開いただき、ありがとうございました。写真は、臼ノ浦駅舎です。
続いて、始発の佐々駅です。腕木信号の数からしても、かなりの構内配線があったことが分かります。