道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑦

釧路湿原のなか、車窓に釧路川を眺めながら、細岡に到着する。いかにも道東の駅らしい、ゆったりとして、きれいに掃き清められた駅だった。C58 127の牽く、網走行きの混合列車と交換する。

細岡 (ほそおか)

広大な釧路湿原を眺めて到着する。昭和2年の開設、駅名の由来は、鉄道建設の際に監督官の姓であるとする説もある。当時は二線の相対式の駅構造だった。通過する釧路発根室標津・小樽行き「大雪3号」。

駅前には白樺が一本、駅前と釧路川の間に、数軒の集落があるだけで、あとは湿原が広がっていた。▲▲駅名標貨物は、客貨混合列車以外にも、貨物列車の設定もあり、DE10が単機で相当長い貨車を牽いていた。この日は、一日、細岡駅の背後にある丘から釧網本線の列車を撮り、C58 413の牽く釧路行き627レで引き揚げた。通過する釧路発根室標津・北見行き「しれとこ3号」と交換(以上、1972年3月)。

昭和の時代と、平成の時代の細岡駅、駅舎は1993年にログハウス風の駅舎に建て替えられ、一線のみの棒線駅になった。現在、一日平均の乗客は0.2人で、釧網本線では唯一の一日平均1人未満、JR北海道の“極端にご利用の少ない駅”になってしまった。

 

細岡の入場券。「記念消印」は、付近に郵便局がなく、「細岡」の記念印はなかった。

 

遠矢 (とおや)

釧路湿原もここまで来ると、ようやく途絶えて、住宅も散見できるようになる。駅は昭和2年の開設、「遠矢」は、アイヌ語の「トーヤ(湖畔)」に由来し、洞爺湖と同じ語源となる。面白いのは、地名は「遠野(とおや)」が当てられていたが、駅名は岩手県の遠野駅と区別のため、「遠矢」としたものと思われる。細岡~遠矢の丘からDE10の牽く貨物を見る。その後、昭和63年には、この区間に釧路湿原駅が新設された(1969年9月)。

遠矢を通過する釧路発根室標津・北見行き「しれとこ3号」、キハ22とキハ56の混成の編成(1969年9月)。

遠矢駅の入場券。▲▲最近の遠矢駅、釧路市のベッドタウンとして、住宅が建っていて、駅をまたぐ陸橋もある。

 

遠矢郵便局の記念消印、1988年に改築された駅舎を描く。

 

 

 

 

 

 

(「道東の駅を“記念消印”で巡る」 釧網本線編おわり)

 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑦」への1件のフィードバック

  1. もう今年になりますが、3月18日のダイヤ改正で、山田線の平津戸駅、日高本線の浜田浦駅が廃止になり、本欄で紹介した釧網本線の細岡駅は、4月~11月のみ営業で、冬期は休止とアナウンスされています。書きましたように、一日利用乗降が0.2人と言われ、釧網本線では最小の乗降となっています。私は細岡駅には格別の思いがあり、1968年9月、初めて訪れた北海道で、釧網本線の混合列車に乗って、細岡駅で交換のため、数分の停車しました。木造の白木づくりの駅舎、花壇もある手入れされた構内、見渡すと釧路湿原の広がる車窓、忘れられない駅となりました。

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