道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ③

クローバー会「ホームカミングデー」の感動の余韻に浸る間もなく、デジ青復帰します。集まりでも、デジ青について述べさせてもらいましたが、投稿する側からすれば、あれこれ議論する前に、とにかく投稿を続けることが最善の道だと思い、私もセッセと載せて行くことにします。

浜小清水

大正14年の開業、当初は「古樋」という駅名だったが、市街地の小清水が、8キロほど内陸側にあるため、「浜小清水」と改称された。急行が健在な頃は停車駅で、駅も二面三線の交換駅で、側線も多かった。いまは対向式の二線駅になっている。浜小清水を発車する網走行き、C58+客車3両、側線には多くの貨車が留置されていて、貨物扱いも多かったことが分かる。左手のオホーツク海には流氷が広がる。

斜里岳をバックに北浜~浜小清水を行く、釧路行きの列車の後部(以上、1972年3月)

浜小清水郵便局の記念消印、ラッピング(?)されたキハ40系が描かれている。▲▲DISCOVER JAPAN時代の駅記念スタンプ。初夏の原生花園を行くキハ40系、浜小清水付近

知床連山をバックに、一直線の線路を走る(以上2010年6月)

原生花園への観光客向けに、北浜~浜小清水にある臨時駅の「原生花園」、列車が停まるのは5月から10月の間。

斜里(現・知床斜里)

大正14年の開業。知床半島の付け根に位置し、宇登呂方面へのバスが発着するなど、以前から知床の玄関口に当たるところから、平成10年に「知床斜里」に改称されている。

斜里で発車を待つ622レ C58 119の牽引、この列車は、斜里が始発の網走行き、当時はここから根北線も分岐していて、乗換客も多く、機関支区もあった。▲▲アジビラを煙室扉に貼り付けた623レ、C58 83の牽引。

 

ルピナスが咲く斜里川を渡る。▲▲2007年に観光センターの入った駅舎に改築された(2010年6月)。

 

 

 

斜里郵便局の記念消印、跨線橋から見下ろした2面3線の駅が描かれている。▲▲斜里駅入場券。

 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ③」への2件のフィードバック

  1. 8年の違いですが1980年の斜里です。
    SLの煙は疾うに消えていましたが、62系客車とDE10の牽く混合列車は健在で、九州の肥薩線で大畑のループで見て以来。嗚呼と一瞬声が出ましたが、何しろ雨で寒い一日だったことを覚えています。夏の終わりの早さに内地に戻って嘆息いたしました。1980年8月31日斜里

  2. 総本家青信号特派員様
    車両は入っていませんが、1枚目とほぼ同じ立ち位置から撮った43年後の浜小清水です。久しぶりに2015年6月に途中下車をしましたが、旧駅舎は1999年に撤去され、2000年に道の駅「はなやか(葉菜野花)小清水」として再出発したようです。道の駅には駅長さんがいますが、鉄道の駅は駅員無配置となっています。これも共同利用駅というのでしょうか。
    道の駅に車で来ていた若い女性のグループが、キハ40が停車するのを見て「この道の駅、電車も停まる」とびっくりするような発言をしていました。現在の来客は、鉄道で来る人より当然車で来る人の方が多いのですが、本来の鉄道の存在が忘れられて、ちょっと寂しい気がしました。
    一部が側線であった鉄道用地を使用した道の駅の広大な駐車場には、陸上自衛隊の各種特殊車両が停まっていました。たぶん指定休憩所にもなっているのでしょうが、日本の北方防備は大丈夫なことを改めて確認しました。

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