給水塔の話はおもしろかったですね。
久しぶりに全員参加でワイワイやれて良かったです。
それならばと、大阪通信員さんからご下命がありましたので成り代わりまして探偵さんに調査を依頼致します。
と言いますのは、先日通信員さんのご自宅へ訪問致しましたところ、奥座敷に9㎜ゲージの複線を引いて、DF50の引く旧型客車を走らせておられました。その時「ぶどう色の旧客3等車でアルミサッシというのはあるだろうか?あれば作って走らせたいが、もしなければ偽物(最近の用語ではフェイク)だ!と罵倒されるのは貯金・勉強・親孝行を座右の銘にしてきた老身には堪えられない」と仰ってました。
そこで探偵の皆様にお願いです。
通信員さんの安らかな老後を保障するためにも「アルミサッシを付けたぶどう色の旧客3等車」の写真があるならば見せてあげてください。
私のアルバムには旧2等車はあります。3等車もありますがモノクロのため青か茶色か判然としません。
なお、旧客の青色化は昭和39年から始まっていますので、それ以前に撮影されたなら茶色(ぶどう色)です。
宜しくお願い致します。
旧型客車の更新のトップバッター、オハ36がスハ42から改良工事を受けたのが1959−60年と言われますので、私は青い塗装のオハ36しか見たことがありません。更修出場後の塗装が何色か、だったでしょう。
あとオハ41は2等車格下げで普通にアルミサッシュ茶色だったです。
また10系のナハ10の新車時代は普通に茶色塗装、新車時からアルミ窓、扉は折戸でこれは質問の対象外でしょう。
オハ36だけは異例の感じで、室内の木目ニス塗りを進駐軍接収車みたいな若草色のペンキ塗りで、「年寄りの若返り」みたいな不自然さが溢れた室内およびデッキ部だったことは、記憶に残っています。
K.H.生さん
じつは私も手持ちの写真がモノクロのため車体がぶどう色か青色はの判断がつきません。従って昭和39年以前の撮影によるアルミ窓車があれば間違いなく「ぶどう色のアルミ窓3等車」といえます。
と言っていたら「日本映画の鉄道シーンを語る」http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-entry-440.html
というブログに「舞妓の上京」という映画の紹介がありました。1961年(昭和36年)製作の日活作品で田代みどりや浜田光夫が出ています。この映画の冒頭で京都駅を発車する客車がオハ36で、まさしくアルミ窓です。これなら間違いなくぶどう色の旧3等車です。
ぜひご覧下さい。
「舞妓の上京」
twitterで話題になっていました。
京都の半玉さんが、取り立てで、花のお江戸に出て行き、慣れぬ環境で女の武者修行みたいなストーリー。
ローマの休日みたいな王妃ものにしないのは、さすがに現実的な関西人。
主役の田代みどりさんは、僕はアイドル時代を知らずに、後に日本初のおしどりデュオで、ディスコ調のヒットソングを歌っています。
これは僕のコレクションより。
つなきとは三原綱木のことですか?
そうです。今や大御所のブルコメの三原綱木と珍しい歌って踊れる夫婦デュオをやっていました。
懐かしいオハ36だ41だと聞けばつい一言。といっても詳しいわけではなく、まして本題の「ブドウ色のアルミサッシ車」でもありませんが、このやりとりに触発されたので、昭和49・50年頃に嵌っていた客車列車編成調べのメモをもとに、当時目についた客車についてコメントさせて頂きます。主に山陰線と紀勢線ですが、当時は元優等列車用客車の近代化改造(塗色ブルー化)が進み、オハ35系にも改造が及びつつあった頃です。
まず43系で未近代化車(ぶどう色)です。S49.9.22京都駅留置スハフ42113米イモ、10.21神志山オハ4617天カメ、11.23下関46603広セキ、11.24岡見46604米ハマ、50.2.2園部スハ43408米イモ、43315米イモなどを記録しています。
次に話題に上ったオハ41の編成です。S49.11.23広EF581〔広〕Ⓑスハフ4278広ヒロ+オハ41301広セキ+305+302広ヒロ+303+502+Ⓑスハフ4239+オハ4154+7+6+8+Ⓑスハフ4241。青いスハフ42の3両に挟まれた計9両の41で組成された朝の通勤通学列車です。牽引機が58のトップナンバーというのも嬉しくて、スポッター冥利に尽きる記録になりました。
最後にナハ10系のブドウ色車です。10系は新製車であり近代化対象ではありませんでしたが、北陸トンネル火災事故の検証から、車内の難燃性に問題ありとされ、早期廃車とされたためぶどう色で残った車が多かったのでよく目撃しました。その中から極め付きの編成です。S49.11.3亀山924レ到着時DF5038〔亀〕Ⓑオハフ3310天カメ(亀山止)+スユニ6123+ナハフ1014+ナハ10100+103+フ1015+マニ6068(924レは後の寝台付き「南紀」号で名古屋行。スユニ61以降は天リウ。Ⓑは青色車)。余談ですがS50.8.7には大阪駅でⒷスハフ42に挟まれたナハ10系4両の福知山行を見ています。ここでは割愛しますが、幹線・亜幹線では近代化された青色オハ36とされなかった茶色スハ42同士の編成も結構ありました。
米手作市様
通りすがりにちょっと横を向いたら旧3等車でぶどう色のアルミサッシ車の写真をお探しとの事、こんなものでよろしいでしょうか?オハ472022福フチです。綾部で1985.5.18の撮影です。旧型客車の末期で廃車解体待ちの状態でした。旧2等車の格下げ車は結構あるみたいですが旧3等車はありそうで案外ないですね。
コメント失礼いたします。
この客車は1980年代まで茶色、木製窓枠で、未更新のまま生き残って、最後の最後に、窓の状態が悪すぎて、他車の廃車流用品で、84年頃にアルミに変わった。
どうもそのような経緯に思われます。
画像を探してみました。
http://air-int.kokuden.com/rail/pc/pc43/oha47-2022.htm
1900生さん、
貴重な記録、ありがとうございます。
さすがメモ魔の面目躍如ですが、これは茶色アルミの証明にはなりません。上記のような絶対証拠を見せてください。なにぶんご隠居はうるさいのです。
田中敏一様
よくぞ立ち寄ってくださいました。茶色アルミのカラー写真がないため記憶だけで話すことになってしまいイマイチ迫力がなかったのですが、これで奥座敷のご隠居も納得してくれると思います。
これは私が撮った茶色アルミのオハ36103です。両隣に青を繋いでいるのが微妙な違いで判ります。
これもイレギュラー車両です。
北海道のオハフ62に、寒冷地故に窓を取り替えたものが複数あり、外部塗装茶色のままのアルミサッシュとなったものがありました。
60系故、急行用更新車ではありませんが、ご参考程度に。
1980年8月岩見沢
これは珍しい!というか知りませんでした。
オハ61系でアルミ窓に換装された車があったとは・・
でも車掌室はそのままですね。
米手作市 様
田中敏一 様
過日の京都でのOBランチ会で引っ越しの片付けで出てきたカセットテープ聞いてみたいと言う米手作市さんに古いラジカセが有るよと。米手さんの引き取りをNゲージの旧型客車の走行で歓迎しました。小生は茶色の旧型客車が好物で「客車の鬼」と称される権威ある米手さんに、アルミサッシに換装された茶色三等客車はあったのか尋ねました。できればカラー画像が見たいと難題を吹っ掛けたところです。あれば早速Nゲージ編成のアクセントに一両をと思っていました。
なかなか三等車のカラー写真が見つからず消沈していたところに、田中さまが通りがかっていただき、貴重なカラー写真を投稿いただき喜んでいます。福フチはその昔、米手さんと二人で客車区を訪ねたことがあります。その頃の福知山駅ではホームに弁当箱を抱えた駅弁売りの方の姿が見えたものです。
国鉄時代の旧型客車はウインドウシルとヘッダーを統一した車体規格にして各種の客車を長年作り続けました。このため種類の違う車両混成の長編成でも絵になるもので、国鉄人の律義さが偲ばれます。座席車から寝台車への改造、軽量近代化改修、台車の使い回しなどで形式が変わりまくりましたが、それを追うのも、老旧型客車愛好家の楽しみです。
米手さま田中さま有難うございました。これで安らかな隠居暮らしが過ごせます。
格下げ車、オハ41型には、前身の特2時代にアルミサッシュになったものは多くありました。
これは非冷房で昭和40年代前半まで残った旧スロ51だと思われます。
山陰本線の下り列車に1両交じるオハ41は、長門地方の魚を朝早く、ブリキの箱に詰めて、門司や小倉の料亭や高級住宅街に売り歩く”カンカン部隊”の行商のおばちゃんたちの専用車でした。
この風情が見られなくなって、どのくらいになりますか。北九州の経済もすっかり穏やかになりました。また山陰本線は気動車1〜2両で、行商の人が乗るスペースもありません。
これは朝1本あった門司直通で、EF30が付け代わり、終点に向かう行商の婦人が室内にいるのが判ります。1977年5月下関
K.H.生さん
これまた珍しい車をありがとうございます。
調べてみますとオハ41370は元スロ512ですね。デッキを一カ所増設して、台車をTR23に履き替えて重量を減らした格下げ車です。
同じ物は撮っていませんが、一番違いのスロ513をご覧に入れます。札幌で撮りました。