江若交通⑨ ボンネットバスの最終日(2)
昭和57年2月15日、江若交通ボンネットバス最後の一台の最終日てす。もうイヤッと言うほど撮って来ましたが、最後をどうしても見届けたく、平日でしたが、仕事を放り投げて、堅田入りとなりました。しつこく続けて来た本稿の最後として見ていただきます。▲最終日の若狭街道を行く、最終日のボンネットバス、この日も湖西地方は早朝に雪に見舞われた。雪をかぶった樹林のなか、ヘッドマークを掲げて特別運転中の姿を。
▲お馴染みの「途中」の集落を行く。当日のボンネットの運用は、堅田9:47→10:50細川15:40→堅田16:55の通常運行のほか、細川の間合いを利用して、特別な運転も行われた。▲この日は、乗客増を予想して、細川行きは2台の続行運転となったが、平日とあって意外なほどファンの数は少なかった。ボンネットは2台目の便となり、一般乗客は先頭車に乗るため、ボンネットは貸切状態、各所で停車して、最後の撮影サービスをしていただいた。すっかりアイスバーンとなった、花折峠でも停車・撮影のサービス。▲10:58に終点の細川に到着、いつも駐泊する懐かしい木造庫に入庫する。右は、細川行き2台続行のもう一台、886バス。
▲バス側面の経由幕、細川の時刻表、細川の住居表示。▲いつもなら、この庫に長時間駐泊だが、この日だけは、特別な運転のため、すぐ外へ出て待機、タイガーランチジャーを携えた乗務員もあわただしい。▲細川折り返しの間合い利用して、「学校前」バス停にある大津市立葛川小学校の児童を乗せて招待運転を行った。バスは細川→学校前と回送されて、児童たちを乗せて、学校前~坊村、片道10分程度を往復した。▲小学校の校舎に上がらせてもらって、「学校前」の橋を渡るボンネットバスを撮影。到着後、児童から乗務員への花束の贈呈、記念撮影などが行われた。
▲児童を下ろして、細川へ戻ったボンネットは、細川15:40発の定期便として、堅田へ向けて最後の運転。行きは一部をクルマに乗せてもらっての撮影だったが、戻りは細川から堅田まで全区間乗車とした。撮影名所地だった上貫井の藁葺き屋根の前で、さっそく停車してもらい撮影した。この組み合わせも、今日が最後。▲坂下~足尾谷の難所の大岩を越えてバスは行く。「学校前」では、先ほど乗った児童が校舎から手を振ってくれ、車内からも手を振って、本日の別れを惜しんだ。▲旧道に入り「下在地」に到着、もう陽も傾き始めて、ボンネットの車体を照らす。▲最後の力走、堅田までの全区間を、京都から来た高校生と乗り続けて来た。以上の写真は、途中で停車しての撮影サービス、先行してもう一台が定時ダイヤで運転しているので、一般乗客に影響はないとは言え、よくぞ、こんなことまでしていただいた。乗務員の皆さんのご厚意には、感謝しかない。▲バスは確かめるように走り抜け、夕暮れの堅田駅に到着。調子に乗って、車庫まで乗せてもらった。最後になっても、洗車して、雪まみれの泥を落としていた。ボンネットへの関係者の愛着を最後まで感じた一瞬だった。
終点の細川にも行きました。ボンネットバスが休んだ木造車庫はすでになく、コンクリートの土台が残るだけで、付近の民家は人が住んでいるのかわからない状態でした。
バス停の標柱は2本ありますが、江若は土日と休日のみの運転。高島市営バスが朽木方面へ6本運転されているようです。
旧国道の難所、大岩の本日の状況です。大岩は右手の木立に隠れてしまって見えませんが、ホントに狭い道ですね。よくボンネットバスが走ったものと感心します。ちなみに現在は足尾谷で通行止めになっており、この場所を訪れるのは釣り人か、よほどのモノ好き以外にいないと思います。
紫の1863様
まさにモノ好き以外の何物でもありません。新道ができて、この大岩付近は、廃道になっているのですか。改めて見ると、こんな見通しの悪い狭隘な道を、よく人を乗せて走ったものです。
細川も車庫の用地がそのまま更地になっている様子が分かりました。堅田からは土休日しかバスがなく、平日に坊村から比良山に登ろうとすると、公共交通が無いことになります。
各地点の現況を見せていただき、ありがとうございました。