江若交通⑧ ボンネットバスの最終日(1)
昭和57年2月16日をもって、江若交通に残っていた最後のボンネットバス「滋2い10-81」が営業を終えました。昭和56年2月に、2台のボンネットバスが廃車のあとは、1台だけとなり、おもに月~金の平日のみ、堅田~細川の一往復を走り続けてきましたが、昭和57年5月の車検切れ前に営業から退くことになりました。▲江若交通の最後のボンネットバス「滋2い10-81」、昭和42年の製造以来、15年間、ずっと活躍を続けてきたが、昭和57年2月16日、最終日のこの日は、通常の営業の合い間、通学に利用した沿線の葛川小学校の全校児童を乗せた特別運行があり、学校前では、乗務員に感謝の花輪が贈られた。
▲路線バスとしては近畿地方に残った唯一のボンネットバスだけに世間の関心も高く、昭和56年11月には、江若交通主催による、ボンネットバス撮影会が行われた。日本初のバスの撮影会とも言われ、200名近くが参加した。紅葉の日吉大社などで、ミス大津のモデルとともにボンネットバスを囲んだ。その様子はNHKの全国ニュースにも報道された。
▲参加者は別の2台のバスに分乗し、撮影地に着くと下車、後から来たボンネットにカメラを向けた。撮影の邪魔になるクルマは、後方でおとなしく待っていた。
▲年が明けて昭和57年になると、所属していたバスの趣味団体による、ツアー&撮影会も行われた。さすが、その筋だけあって、琵琶湖岸を安曇川まで向かい朽木渓谷に沿って、細川まで行くと言う、普段は経験できないコースとなった。
▲細川からは、いつもの若狭街道を南下、梅の木、坊村、平などで撮影を続けた。この頃には、雪が降り出して、ボンネットも白く雪化粧をした。▲ボンネットバスの運用は、平日のみ一往復で、撮影のチャンスに恵まれなかったが、藤本さんの熱心な働きかけで、最終日を控えた2月11日、14日の休日に、ワンマン運用のボンネット置き換えが実現した。もう二度と見られないと思っていた和邇栗原線でもその姿が再現された。
(最終日編 つづく)
冒頭の写真は近江今津駅のアノ写真につながる、見事な構図ですね。通学でお世話になったボンネットバスと乗務員、小学生と先生、見ているだけで感動してしまいます。
で、今日(9月21日)に現地へ行ってきました。バス停の標柱はあるものの、無情にも「休止中」の文字が…。以前は学校前の道路が国道367号線だったのですね。今は対岸に拡幅された、走りやすい道路が整備され、クルマはビュンビュン飛ばしていきます。
総本家様の写真に敬意を表し、バスの位置にクルマを配してみました。
紫の1863様
な、な、なんと、また行っていただいたのですか。しかも、バス1081号の位置に1863号を止めていただくとは。ありがとうございます。校舎は変わっていませんが、周囲の状況は、対岸に新しい道ができて、全く変わっているのですね。たしかに、バスの頃は、学校前で直角に折れて、狭い橋で対岸に渡っていました。記念写真は、たしかに出来すぎですが、近江今津と言い、記念写真を“盗撮”して、自分の手柄のようにしていては、いけませんね。