ここらで ボンネットバス  近畿編 〈13〉

江若交通⑧ ボンネットバスの最終日(1)

昭和57年2月16日をもって、江若交通に残っていた最後のボンネットバス「滋2い10-81」が営業を終えました。昭和56年2月に、2台のボンネットバスが廃車のあとは、1台だけとなり、おもに月~金の平日のみ、堅田~細川の一往復を走り続けてきましたが、昭和57年5月の車検切れ前に営業から退くことになりました。江若交通の最後のボンネットバス「滋2い10-81」、昭和42年の製造以来、15年間、ずっと活躍を続けてきたが、昭和57年2月16日、最終日のこの日は、通常の営業の合い間、通学に利用した沿線の葛川小学校の全校児童を乗せた特別運行があり、学校前では、乗務員に感謝の花輪が贈られた。

路線バスとしては近畿地方に残った唯一のボンネットバスだけに世間の関心も高く、昭和56年11月には、江若交通主催による、ボンネットバス撮影会が行われた。日本初のバスの撮影会とも言われ、200名近くが参加した。紅葉の日吉大社などで、ミス大津のモデルとともにボンネットバスを囲んだ。その様子はNHKの全国ニュースにも報道された。

参加者は別の2台のバスに分乗し、撮影地に着くと下車、後から来たボンネットにカメラを向けた。撮影の邪魔になるクルマは、後方でおとなしく待っていた。

年が明けて昭和57年になると、所属していたバスの趣味団体による、ツアー&撮影会も行われた。さすが、その筋だけあって、琵琶湖岸を安曇川まで向かい朽木渓谷に沿って、細川まで行くと言う、普段は経験できないコースとなった。

細川からは、いつもの若狭街道を南下、梅の木、坊村、平などで撮影を続けた。この頃には、雪が降り出して、ボンネットも白く雪化粧をした。ボンネットバスの運用は、平日のみ一往復で、撮影のチャンスに恵まれなかったが、藤本さんの熱心な働きかけで、最終日を控えた2月11日、14日の休日に、ワンマン運用のボンネット置き換えが実現した。もう二度と見られないと思っていた和邇栗原線でもその姿が再現された。

(最終日編 つづく)

 

 

 

 

 

 

 

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