ここらで ボンネットバス  近畿編 〈1〉

古い鉄道ネタばかり続きました。目先を変えて、バスについて記すことにしました。ボンネットバスのあれこれです。昭和50年代前半、ポスト蒸機・京都市電として、鉄道ネタよりも、ボンネットバスに傾注していました。この時代、別に地方へ行かなくても、京都や滋賀でボンネットバスを見ることができました。もう50年近くが経つと、蒸機も市電もボンネットバスも、ひと塊の思い出としてよみがえります。まずは近畿地方を走ったバスを、府県別、バス会社別に見て行くことにします。

京阪バス① 京都

京都、大阪、滋賀でバス輸送を担っている京阪バスには、かつて、それぞれの府県でボンネットバスが走っていました。京都では、山科区にある京都営業所に、昭和50年初頭には、3台のボンネットバスが使われていました。うち2台は営業用の緑ナンバー、1台は事業用の白ナンバーのバスでした(以下、昭和49、50年撮影)。

山科を走っていた京阪バスのボンネットバス、山科区内の渋谷街道の狭隘区間を走るボンネットならではの区間で、京都では最後の路線バスとして、昭和50年ごろまで活躍が見られた。

おもに営業に使われていたのは「京2い13-96」 昭和40年式いすゞBXD30 川崎航空機ボデー 駅前再開発工事に着手される前の山科駅前を出て、三条通(旧1号線)の交差点に飛び出したところ。夕方の時刻、山科駅前で発車を待つボンネットバス、遠近のせいもあるが、手前のバスと較べると、ずいぶん小さく見える。路線は山科駅前~寺内町で、外環状線から渋谷街道を通り、大石街道と交差する寺内町まで、朝夕のみの運行だった。ある時期、山科の住民だった私にとっては、再開発前の山科駅前には懐かしい店が並んでいる。もう1台の営業用の「京2い13-94」 昭和38年式いすゞBXD30 帝国ボデー ライトがまだ2灯で、この時期では予備車のようで、営業には使われていない様子だった。

 

 

京都営業所内の白ナンバーのボンネットバス、「京22や‥6」 13-94と同じ昭和38年製いすゞBXD30だった。乗務員の移送や社内部品・用品の輸送に使われていて、突然、市内中心部に顔を出すことがあり、驚いたことがある。

 

 ここらで ボンネットバス  近畿編 〈1〉」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    いやあ~懐かしいですね。ボンネットバスと聞けばもちろん犬の鼻スタイルですが、私の記憶にはあのウサギの耳のような方向指示器=ボンネットバスだと刷り込まれています。20年ほど前でしょうか、小樽の市内観光の途中で観光用循環バスでまだこれが走っていました。空いていたので前の席に陣取っていたところ、右折の際に指示器の耳がピョコンと出たのを見て、これぞボンネットバスと大興奮しました。70年前には五条通りで補助輪付き自転車を練習していた横を、市バスの大型ボンネットバスワンマンカーに追い越されて怖い思いをしたことがありました。
    懐かしいといえば2葉目と4葉目の写真です。1971年から77年まで疎水の北に住んでいたので、駅周辺就中バスが飛び出してきた駅前通りと三条通りは裏庭のようなものでした。2葉目はちょっとよくわからないのですが、4葉目はハッキリわかります。左側のタカラブネは南東角にありましたから、写真のバスは駅前行のはずですが「寺内町」行になっています。国道1号線の信号待ちの間に折返し次便のために早手回しに変えてしまったのかもしれません。余談ですが右手に公設市場の店先が見えています。その先には地域ではよく知られた美味しいコーヒーを飲ませてくれるOコーヒー店が、左を少し駅に戻った辺りにこれも美味しいFケーキ屋があり、よくコーヒー豆とケーキを買って帰ったものでした。今思うとJR(当時は勿論国鉄)の改札口と京津線との間の猫の額ほどの狭い場所にバスが屯していたのですね。送り迎えのマイカーも出入りしていつも戦争状態でした。

    • 1900生さま
      もと山科区民の1900生さんから思い出を寄せていただき、ありがとうございます。私も山科に住んでいた6年間、ほぼ毎日、再開発前の山科駅前を通っていましたので、ボンネットバスよりも、周りの街並みの方が懐かしいです。4枚目のタカラブネの向かいは、山科公設市場ですね。結構多くの店が並んでいて、一筋西の山科街道まで通り抜けられました。2枚目は、いまの交差点名で言えば外環三条で、1枚目の反対側になります。

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