天然色写真で巡る40年前の九州 (9)

掲示板をご覧の皆様に新年のご祝詞を申し上げます。

新年早々、湯口先輩、藤本さん、西村さん、KH生さんの投稿も拝見し、不肖、総本家青信号特派員は今年もセッセと投稿を続けていくことにします。

鹿児島本線のC60・C61

今回の九州行きの大きな目的は、完全電化間近の鹿児島本線で、C60・C61を撮ることだった。昭和44年のこの時期、C60・C61に関しては、東北の牙城だった盛岡区は、前年の東北本線完全電化で姿を消し、奥羽本線用に青森区が残るのみ。九州は、長崎本線のDL化で鳥栖区になく、残るは鹿児島本線用の鹿児島区のみで、それも昭和45年10月に予定されている鹿児島本線熊本~西鹿児島間の電化までの命で、風前の灯だった。同じハドソン機でも、函館本線、呉線で急行列車をなおも牽いていたC62とは対照的だった。
さて、鹿児島本線の電化が迫っていたが、何ヵ所かは別線になる区間があり、まだ架線柱のない正統写真が撮れる。鹿児島に近い、上伊集院~薩摩松元間がその代表であった。単線ではあるが、旅客、貨物ともかなりの頻度で通り、しかも10~20‰の勾配が続く。

上伊集院から歩くこと10数分、いきなりやってきたのが、写真の下り急行「桜島」だった。牽引はC60102である。この時期の「桜島」は、東海道線最後の急行で名を売った「桜島・高千穂」時代のものでなく、大阪~西鹿児島間の不定期急行で、写真のようにグリーン車1両のみ、あとはすべてハザという列車であった。優等列車で蒸機牽引はこの「桜島」などの不定期・臨時列車のみ、あとはDD51牽引、普通列車はC60またはC61、貨物列車はD51、面白いのは、伊集院方から国鉄に乗り入れる鹿児島交通のDCで、車両は前記のキハ100ではなく、国鉄キハ10をベースにしたキハ300形が単行で使用されていた。また山野線の貨物を牽くC56が回送として普通列車にブラ下がっていく光景も見られた。

シラス台地を登って行くC60102の牽く「桜島」

 

天然色写真で巡る40年前の九州 (9)」への1件のフィードバック

  1. 実際に見てはいませんが記事は懐かしいですね。
    薩摩松元とか上伊集院あたりになると鹿児島市外から20キロ近く
    外になるのですが、桜島の噴煙が見えるのです。
    初めての鹿児島旅行時にもその、シラス台地の風景の向こうから見えて
    雄大な感想を持ちました。

    DD51の二桁ナンバー機は九州には4台くらいしか配属されず、主に運用されたのは
    鹿児島本線。長崎本線でも使われたかもしれません。と思ったのですが
    記事を読み直すと長崎線運用がメインだったようです。
    これは牽引定数と勾配と、あとトンネルの多い区間充当だからでしょう。日豊本線は大好きなDF50の王国でした。

    あと「桜島」が不定期、「霧島」が定期の東京-西鹿児島走破の客レだったように
    思うのですが、調べてみないと判りません。
    「霧島」は電化で583の「きりしま」になり関西-西鹿児島の電車寝台特急に。
    「桜島」は「霧島」からか食堂車を譲り受け、日本一ロングランの「高千穂」と併結の
    オール座席急行になります。
    この列車について語りたい人は山ほどおられるでしょうから、このあたりで。

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