天然色写真で巡る40年前の九州 (8)

鹿児島交通

指宿枕崎線に乗って南国の旅は続く。車窓から見る開聞岳は美しい円弧を描いている。終点の枕崎で鹿児島交通のキハ105に乗り換える。キハ100形101~106は、国鉄キハ07の100番台車と酷似した自社発注車で昭和27年製。赤に青帯という強烈な塗装が南国らしい。単行の車内は高校生で満員。この頃から田舎の高校生の車内マナーは悪かったが、現代のような悪態はなく、バンカラの延長ともとれる、まだ容認できるものであった。

キハ07似の鹿児島交通キハ100

鹿児島交通は、当時、枕崎と伊集院を結んでいた49.6kmの私鉄で、かつては南薩鉄道と名乗っていた。途中から分岐して知覧までの支線もあったが、水害によって訪れる4年前に廃止になっている。ちょうと中間の加世田に車庫がある。
加世田を有名にしたのは、7両の蒸機の廃車体である。いずれも自社で使用され、廃車後、10年以上前から野外に放置されたままになっている。その錆び方も尋常ではない。

下の写真の一枚目、1・2両目は、開業時に製造した大正2年製のハノーバー社製C型タンク機の2・1号機。3両目は4号機で、大正15年日車製のC型タンク機、二枚目の3両、先頭から13・14・12号機、いずれも国鉄C12形を飽和式に改めた自社機12形で、この3両が在籍していた。
加世田駅・車庫はこの放置蒸機だけでなく、オープンデッキの客車や貨車の廃車体もおびただしく、建屋も朽ち果てて末路を見る思いだったが、意外に長持ちし、昭和59年3月に廃止となった。直接の要因も、水害による不通区間の復旧困難のためで、最後までイベント蒸機の運転や軽快気動車の導入が検討されていたという。

加世田の放置蒸機。先頭はドイツ・ハノーバー社製

国鉄C12と同型の自社機12形は3両連なって放置

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