江若近江今津/鹿児島市電

なぜかしばらく鳴りを鎮めていた総本家青信号特派員氏が、憑き物でも落ちたか、心機一転されたか、俄然連続投稿。江若となると拙老も負けてなるものかと奮起したいところだが、その実あれだけ江若に通いつめたのに、終点近江今津まで行ったのはたったの1回、それも就職してからで、要は運賃がすこぶる高い鉄道だったから、に尽きる。

近江今津の本屋は屋根が尖って著しく高く、一見山小屋風?だったと記憶する。画面右側に半分写っているだけだが、ご推量願いたい。構内は広かった。撮影は1969年7月27日。

電車と、それも路面電車なんぞとは無縁と思われがちの拙老だが、少しは撮っている。これは1955年3月20日の撮影で、ドイツ製バルジーナという35mmスプリングカメラだったが、なまじファインダーにパララックス矯正装置がついているのが仇になり、例えば製造銘板や台車など、接写の際修正して、その後ほぼ間違いなく戻し忘れる。と、これも間違いなくその後の撮影はパンタやポールが切れる、という始末となる。

1955年時点での鹿児島市電は2軸単車の方が多かったように記憶する。解説は本来なら乙訓老人のお役目であろうが、このところ沈黙を続けて御座らっしゃるので、どなたか、代稽古(といっては大変失礼だが)を努めて下され。

なおフイルムは純正品を買う金がなく、写真屋で得体の知れぬ代物を使った。現像するまで種類や感度が分からない、というのは、太秦あたりの映画カメラマン助手の助手あたりが、残尺と称する、撮影時中途半端に残ったネガフイルムをくすね、小遣い稼ぎに写真屋に売り、写真屋はそれを何回使ったか分からん古パトロ-ネに詰めて売り、カネのない我々が買う、という仕組みである。

それでもその後の「純正ネオパンSS」と違い、53年経過してもビクともしていないのが何とも皮肉である。

江若近江今津/鹿児島市電」への1件のフィードバック

  1. さっそくのご投稿ありがとうございます。
    私の突然の投稿を訝っておられますが、ご心配なく。単にヒマになっただけです。
    たしかに江若の運賃は高かったですね。廃止前、浜大津~近江今津間51kmが310円しました。当時の国鉄の同距離が200円ですから、1.5倍したのですね。
    かくいう私も、運賃を払って近江今津まで乗ったのは、営業最終日が最初で最後でした。それまで何回かは、会員の自家用車に便乗させてもらい、近江今津まで行きました。三角屋根の駅舎が今も現役として健在なのは、なんとも嬉しいものです。
    フィルムの話で私も思い当たる節があります。最近、東山五条の鉄道写真家の仕事をしました。貰い受けたものはデータでしたが、その中には明らかに映画用のフィルムで撮ったと思われる規格違いのフィルムが多数ありましたが、製版印刷にはなんら問題ないことに驚きました。ただ、長年の酷使がたたって、ものすごいキズの修整には閉口し、現場の技術者から文句が出ました。

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