「昭和の電車」は3月24日【45696】で鹿児島市電500形、600形が登場した。
鹿児島市電は、社会人になってから撮影したのは、昭和50年代の前半1回だけで馴染みが薄いが、現役時代と京阪沿線の高校時代に撮影した画像で解説する。
両形式とも現在も現役で活躍中であり、最近訪れた方の現況報告をお願いしたい。
500形(501~515)
都電7000形をモデルに昭和30年から31年にかけて15両新製された。
鹿児島市としては戦後初の純粋な新製車で車体メーカーは東洋工機である。
制御装置はオーソドックスな直接制御、主電動機はSS-50(37.5kw×2)であった。
昭和44年からナニワ工機でワンマン改造が行われ、正面2枚窓から中央が大きい3枚窓に改造、前照灯が方向幕の上に移設され600形と同様のスタイルになった。
56年から冷房改造が行われたが、老朽化の進行により平成14年から廃車が始まり現在は501、504、507、508、512の5両が残るのみで、512は芝刈り電車に改造されている。
都電7000形はこちらを参照いただきたい。(https://drfc-ob.com/wp/archives/45789)
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ワンマン改造のためチキに積まれてナニワ工機に発送されるところ
600形(601~616)
500形に続いて昭和34年~38年にかけて登場した新製車で、601~604が34年日立製作所、605~612が35年ナニワ工機、613~615が37年、616が38年帝国車両で新製された。制御装置は500形同様直接制御、主電動機はSS-50(37.5kw×2)であった。
605~612はナニワ工機製の空気バネ台車NK-51が採用された。
正面のスタイルが大きく変わり、中央窓が大きい3枚窓になった。
42年からワンマン化、59年から冷房化が行われた。その後イベント用、車体新製による観光レトロ電車に改造等により両数が減じたが、601~603、605、611~615の9両が健在である。
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昭和40年代後半に在籍した車両
300形(301~310)
書類上は昭和24年帝国車両製となっているが、実態は都電120形(元王子電軌300形)を3000形、4000形に鋼体化した時に不要になった旧車体に別の台車、電装品を取付けたもので1両の電車が2両に化けた訳である。
当初は王子電軌→都電スタイルのまま走っていたが、いつまでも木製車体のままという訳に行かず、29年から30年にかけて局工場で半鋼製車体を新製して載せ替えた。
43年から44年にかけて元大阪市交通局2600形改造の800形と置換えで廃車になった。
303/ (44-3-22)
元王子電軌303→都電123(←東京市電気局)→24年鋼体化4052
車体 鹿児島市電303→29年10月鋼体化→44年5月廃車
308/ (44-3-22)
元王子電軌317→都電137(←東京市電気局)→24年鋼体化3060
車体 鹿児島市電308→29年9月鋼体化→44年5月廃車
310/ (44-3-22)
元王子電軌318→都電138(←東京市電気局)→24年鋼体4061
車体 鹿児島市電310→29年7月鋼体化→44年5月廃車
400形(401~416)
書類上は25、26年帝国車両製となっているが、実態は都電の木製4000、4100、4200形を4000形に鋼体化した時に不要になった旧車体に別の台車、電装品を取付けたものである。
401~412は30年から32年にかけて局工場で正面2枚窓の半鋼製車体を新製して鋼体化されたが、42年から43年にかけて元大阪市交通局2600形改造の800形と置換えで廃車になった。
413・414は、35年に局工場で新製した600形と同一車体の460形461、462に機器を譲って廃車、415、416は就役時に客室窓の2段化、腰板部を鋼板張りにする等で状態が良かったため40年頃廃車になるまで都電木製4000形の面影を残したままの姿で活躍した。
404/ (44-3-22)
都電4101(大正14年田中車輌)→23年改番4111→24年鋼体化
車体 鹿児島市電404→31年3月鋼体化→44年8月廃車
405/ (44-3-22)
都電4246(昭和2年局工場)→23年改番4216→24年鋼体化
車体 鹿児島市電405→31年3月鋼体化→45年1月廃車
409/ (44-3-22)
都電4123(大正14年田中車輌)→23年改番4127→24年鋼体化
車体 鹿児島市電409→31年10月鋼体化→44年8月廃車
415/ (39-8-17)
都電4010(大正14年日本車輌)→23年改番4025→25年鋼体化
車体 鹿児島市電415→40年廃車
この時代まで戦前の都電の面影を残しながら営業運転していたことは、ある意味驚異的であった。
460形(461・462)
35年局工場で、413・414の電装品を流用して新製された。車体は600形と同一で、局の技術力の高さを示すものであった。
台車は当初種車のものを流用したが、後にナニワ工機製の空気バネ台車NK-51に履き替えた。
43年にワンマン化、61年に冷房化が行われたが平成元年廃車になった。
200形(201~206)
元大阪市電900形で39年に入線した。大阪市電900形は昭和10年から11年にかけて新製された前中扉の小型ボギー車で、車体が「く」の字状に膨らんでいるのが特徴であった。
39年2月入線時にナニワ工機で、車両限界の関係から車体両端を絞り、600形に準じた正面3枚窓に改造されたが、44年8月僅か5年で廃車になった。
203/ (44-3-22)
大阪市電914(昭和11年田中車輌)→鹿児島市電203→44年8月廃車
乳腺時にナニワ工機で顔の部分を新製したが、「く」の字形に膨らんでいる旧車体への接合は難しかったと思われる。
204/ (44-3-22)
大阪市電917(昭和11年田中車輌)→鹿児島市電204→44年8月廃車
210形(211~214)
元大阪市電800形で40年4月に入線した。こちらも5年で廃車になった。
詳細はこちらをご覧いただきたい。(https://drfc-ob.com/wp/archives/30397)
214/ (44-3-22)
大阪市電846(昭和12年川崎車輌)→鹿児島市電213→45年1月廃車
800形(801~832)
元大阪市電2600形で41年から44年にかけて譲り受けた。
入線時にナニワ工機で他の大阪市からの譲受け車と同様の改造と併せてワンマン改造が行われた。
1形式最多車両となり主力として活躍したが、60年9月30日上町線と伊敷線の廃止による余剰で17両が廃車された。
残り15両は61年から冷房化、台車交換が実施されたが、車体の老朽化により平成7年から12年にかけて9500形に台車、電装品を提供して廃車になった。
812/ (44-3-22)
大阪市電2698(昭和36年大阪車輌工業)→鹿児島市電812→平成11年2月車体新製9513(新製扱い)
817/ (44-3-22)
大阪市電2622(昭和31年大阪車輌工業)→鹿児島市電817→60年10月廃車
700形(701A+701B~704A+704B)
41年に大阪市電3000形3021、3022を譲受け、ナニワ工機で連接車に改造した。旧車体は701A+701Bに使用したため、702A+702Bの車体は新製した。
42年に3023、3024を譲受け、ナニワ工機で同様の改造を行った。704A+704Bの車体は新製した。
ラッシュ時を中心に使用されていたが、連接車としてはパワー不足と乗客減が原因で54年に701A+701Bと703A+703Bが廃車、60年に702A+702Bが廃車になった。
残る704A+704Bは平成2年に冷房改造されたが平成6年に廃車になった。
写真は、準特急様が24年4月4日に投稿された【19288】「連接車8(https://drfc-ob.com/wp/archives/19288)に掲載されているのでご覧いただきたい。
以上、昭和40年代後半に在籍した車両を中心に紹介したが、私自身30年以上訪れていないので、いずれ時期を見て訪れたいと思っている。
湯口先輩が2008年12月31日に投稿された【1433】「江若近江今津/鹿児島市電(https://drfc-ob.com/wp/archives/1433)に2軸単車、鋼体化前300形、400形等の貴重な画像が掲載されているので併せてご覧いただきたい。