関 三平氏の「昭和の電車」は、年が明けて以降「鋼体化改造車」を取り上げられており、今回は大阪市電801形が登場した。
801形は、昭和7年木製車1001形の鋼体化改造車として801~805が製作された。路面電車としては初の前中扉を持ち、中扉はドアエンジン付の両開きであった。引続き8年から10年にかけて、正面窓を向かって左側を広くして、中扉を片開きのワイドドアにした806形(806~857)52両を鋼体化改造車として製作された。中扉は自動で半開、全開が選択できた。10年に806形と同一車体の新車881形(881~890)が新製された。
戦時中多数の車両が戦災で廃車になったため、残存車は24年の改番で前述の3形式が同一形式にまとめられ、800形801~852となった。
廃車が昭和39年と早かったので我々団塊世代の撮影は、大阪市内または周辺に居住して、路面電車に興味を持っていた人がギリギリセーフと言ったところであろう。私自身801形は辛うじて撮影できたが、流線形の901形は撮影していない。
トップナンバーの801が、森之宮車両管理事務所で保存されている。
廃車後は、神戸市交通局に20両(100形101~120)、鹿児島市交通局に4両(210形211~214)譲渡されたが、いずれも短期間で廃車された。
801/(43-7-7) 三宝車庫 廃車後保存予定車として保管されていた。
815/ (39-5-16) 港車庫前
神戸市電
昭和38年に800形20両、900形15両を譲受けた。正面窓と方向幕を改造して使用されたが、救助網が無かったことで人身事故が発生したことと路線縮小の余波を受け、43年5月1日付けで全車廃車されてしまい、僅か5年間の在籍であった。
107(元818)/ (43-4-14) 兵庫駅
鹿児島市電
昭和38年に900形6両、40年に800形4両を譲受け、ナニワ工機で車体両端を絞り顏を鹿児島風に大改造した。42年から44年にかけて2600形を32両譲受けたことにより44年から45年にかけて廃車された。
ナニワ工機で改造中の846(鹿児島市413)/ (40-3-21)
左は東武鉄道日光線快速用の6000形。
211(元844)/ (44-3-22) 鹿児島駅~桜島桟橋通り
214(元847)/ (44-3-22) 上:西鹿児島駅 下:鹿児島駅
電動貨車11形
戦災で被災した854と857を電動貨車として復旧した。工場と各車庫間の部品輸送に使用された。