連接車8

電車少年こと乙訓の老人様から私の撮っていない車両やカラー写真を送っていただいたので今回はそれを並べてみる。

仙台市交通局ダブルルーフ木造車改造の300形連接車。これは撮っておきたかった電車。超クラッシックスタイルと改造時の台車のアンバランスが魅力。 長町駅前での走行と中間台車↓

               名古屋市交通局3003と中間台車 ↓

広島電鉄5000形グリーンムーバーとその台車。ヨーロッパスタイル5車体連接の超低床車。台車がどこにあるのかさっぱりわからないが、それを撮影されているので大変参考になる台車の写真。

 

 南国鹿児島の連接車。鹿児島市交通局700形には大阪市交通局3001形を改造したものもあるという。 ↓

             筑豊電鉄旧カラーの車両。 ↓

岡崎公園に保存中の名鉄400形とそ中間台車。谷汲線走行中の姿はは連接車2[17097]参照。 ↓

福井鉄道200形の乗車の様子と鉄道線走行の姿。 福井駅前の路面停留所から荷物を三つも抱えてどっこいしょと乗り込むご婦人。これも貴重な写真。まだ、バリアフリーなどの言葉もない時代に路面線、鉄道線の両刀使いの苦肉の策の電車。鉄道線は上鯖江~家久間で福井駅前乗車風景ともに1992年10月18日の撮影。

電車少年さん有難うございました。撮影記録やこんな話、あんな話、補足説明等お願いいたします。

連接車8」への3件のフィードバック

  1. おめでとうございます。みごと写真に「指」が出ています。
    どんな秘技を使われたのでしょうか。電車少年さんの貴重な秘蔵写真も、大きくして鑑賞することができます。これからも楽しみです。

  2. 覚えていることを少し紹介しよう。
    【仙台】台車はFS72、新品である。元車体は台枠はもちろん柱や横桟は鋼鉄造りであったので再利用。電動機と制御器も再利用できたが、制動装置は手動であったので空制にされた。ところが台枠をそのまま使ったため、扉位置が2両の片面で両端だけと、なり客扱いに手間取ることになり2年半後に片面3か所に改造された。以前、仙台市電紹介の時には改造後の姿を紹介した。北2番丁車庫に301、長町車庫に302が配置されており、高校登校日朝に運転されていた。新型台車としたのは、鋼製車体と取り換える計画があったのだが実施されず、廃車後の台車はどうなったかは知らない。撮影は1959年9月2日。
    【鹿児島】
    なにわのPCC3001形4両、3021~3024は昭和41年、2回に分けて売却された。連接部の台車が新造され、1両分の走行部は分断の上2車体に分けられた。片方の車体はナニワ工機で新造された。この改造時、前面が少し狭められている。これは鹿児島の建築限界に合わせたためだが、車体幅には及んでいない。当初、郊外線と言っていた谷山線専用とされたが、市街化が進み鹿児島駅まで直通するようになった。しかし昼間時は大型であり持て余し、老人が訪ねた1989年5月3日には702、704の2両が在籍していたが、704のみが高校登校日に臨時系統で朝のみ営業に就いている、とのはなしであった。
    その翌年にはそれも無くなったそうで、整備された姿が見られラッキーであった。

  3. 乙訓の老人様
    仙台、鹿児島のご説明や苦労話、有難うございます。藤本さんも連接車はラッシュ時間帯にしか走らずに撮るのに苦労したとの話を伺っております。

    乙訓の準老人こと総本家 青信号特派員様
    おかげさまでやっと手のマークが出てきました。そのうちに手が引っ込まないか心配しております。いろいろ有難うございました。

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