季節のご挨拶(Season’s Greeting)

あんなに暑かった夏も終わり、早、10月となりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。私は熱中症やコロナで悩まされた後期高齢者、基礎疾患持ちですが、今度はインフルエンザの準備も必要です。さらに腰椎滑り症で1日8000歩歩けと言われ、それならと近場の線路際まで散歩しています。先日9月28日は富士山の初冠雪でしたが、その日に撮った京王ライナー2代目5000系です。後ろにかすかに見えるのが富士山です。

保存蒸機とその現役時代(42)

今回は何れも後ろ姿である。保存機は地元で保存会を結成したり定期的に清掃やメンテを行っているものもあるが、その多くはいたずらや部品の盗難にあっているようである。このⅮ51245は正面と炭水車後部照明が盗難にあってなくなっている。よく見ると給水温め器のカバーもない。そのため後ろ側から撮った結果、炭水車がバカでかくなってしまった。場所は元の信越本線、現在のしなの鉄道の坂城とテクノ坂城の中間で坂城町文化センターの武道館裏のわんぱく広場である。撮影は2018年7月22日の暑い日であった。しかし、ここは坂を下りていくと近くを走るしなの鉄道を併せて撮影することができる。それにしてもわんぱく広場という名前は保存地にふさわしくない。なお、坂城駅横に169系電車が保存されているのでそれも追加添付した。169系は国鉄急行電車165系の派生型で横軽対策された信越線ゆかりの車両であるがこの保存車輛はしなの鉄道にも譲渡されて活躍していた。

 

D51245は1939(昭和14)年9月、国鉄浜松工場で製造され製造番号は36。新製後、浜松、金沢、敦賀、福井等北陸本線沿いで活躍、1962年に上諏訪に転属、その後稲沢を経て1966年に中津川所属となり中央本線で活躍した。1973年7月に廃車されている。▼

 

上松付近で補機を務める姿であるが、勾配区間が終わったのかだらだらと迫力のない姿である。1971年9月25日 下り貨物D51245[中津川] ▼

 

坂城駅に保存中のクモハ169-1+モハ168-1+クハ169-29▼

 

 

甲の麓

日本100名山には勿論入っていないが、関西100名山(そんなのない?)に入れてもよいと思うのが兵庫県西宮市の甲山で阪神間のシンボル的な山である。お椀をかぶせた様な独特の山容で、前にも書いたがトロイデ式の古い死火山で標高は309mである。山陽新幹線、東海道線(JR神戸線)、阪神電車、阪急神戸線、福知山線(JR宝塚線)、阪急宝塚線何れからも眺めることができる。さぞ高い山と思われる方もおられるかもしれないが、309mなので地球のニキビのようなものだ。鉄道では阪急今津線の仁川あたりが一番近いと思っていたが、甲山をバックに写せるような場所は同線にはほとんどない。これに対して阪急神戸線夙川からの支線甲陽園線はよく眺めることができたようだ。ようだというのは昭和30年代の同線の1形、310形の写った写真を見ると甲山がよくとらえられている。今では住宅が並び撮り難いものと思う。そこで私の撮った昭和40年代の写真を暇つぶしにのせてみた。

1966年5月6日 甲陽園-苦楽園口間の夙川を渡る558。桜の頃の有名撮影地であるが甲山がかろうじて入った感じ。 なお、550形は生涯のほとんどを宝塚線で過ごした小型車で運輸省私鉄規格型で阪急タイプではない2段上昇窓が特徴で肘を外に出せる解放感が好きだった。逆に阪急タイプの下降窓は好みではなかった。▼

1969年3月4日 夙川 到着する664 雪の日でバックは甲山 ▼

保存蒸機とその現役時代(41)

横綱休場で大関の弱い大相撲や在阪球団のみっともない試合は見てられないのでコロナの巣ごもりにあって唯一の楽しみはデジ青である。最近は投稿やコメントが少ないので久しぶりに拙写、拙文を復活する。

保存蒸機は改めてその内容を見ると比較的早く消えて行ったC59~C62、D52など大型機や大正の古典機C51やD50などがあまり保存されていない。最後まで残っていた形式が選ばれたのはある面で仕方がないものと思われるがそのような中でC57は保存機でもわざわざ見に行ってみたい形式の一つである。

今回は新津鉄道資料館で保存されているC5719である。同機は1938(昭和13)年1月川崎車輛で製造(製造番号1873)され、小郡、下関、門司港等西日本、九州で活躍した。その後1956(昭和31)年11月に秋田へ転属、以降酒田、新津等へ配属されて主に羽越線沿いで活躍し、1972年9月に廃車されている。

保存車輛は駅近くに保存されていることが多いが、新津鉄道資料館は少し離れていたので孫を連れていたこともありタクシーを飛ばして行ってみた。

2018.06.30 新幹線200系と並んで展示中のC5719▼

除煙板(スモークデフレクター)には点検用切り取りがあり、主灯はLP403の大型で予備灯がないのがよい 雪国なので旋回窓がついている▼

1969.10.10 雨の今川―桑川間 青森発大阪行き荷物専用2048列車▼

翌11日坂町駅 直江津発秋田行き821列車▼

 

 

 

 

 

姫神山

C6120牽引の臨時急行「ひめかみ」号に乗ったことがあるとコメントしたところ、総本家さんから懐かしい響きだと言われた。そこで2002年11月3日に撮影した姫神山をバックにした485系の盛岡発函館行き特急「はつかり13号」の写真を掲載させていただく。調べてみると姫神山は1000mちょっとなので六甲山より少し高い程度であるが、山容が綺麗である。付近の岩手富士や青森の岩木山、八甲田山ほど有名ではないが二百名山の一つだそうである。東北と言えば今の時期は盆休みで大勢の人が帰省したことを思いだすが、私のような高齢者には帰省できない人や故郷で待っている人に同情したくなる。余命いくばくもなくなると特にそう思う。▼

小田急初代3000形SE車保存車と5連時代の姿

毎年行われている海老名でのフェスティバルで最新鋭の70000形と並んだ保存車。撮影は2019(令和元)年5月26日で罵声こそ飛ばなかったが撮影場所に行きつくのに難儀した。超高齢者には危険である。▼

連接部分の台車を見てみるとかつてどこかで見たことがあるバネの多いスタイル。▼

 

晩年は5連で「えのしま」号、御殿場線乗り入れの「あさぎり」号のほか5+5の10連特急などにも使われていた。この車両は大井川にも譲渡されたがどこかで「同志社」号のヘッドマークを付けたことがあると思うがどなたか写真があれば紹介していただきたい。下の写真は1969(昭和44)年頃渋沢の新松田よりで左手の富士山に雲がかかってしまった。御殿場線からの新宿行き「あさぎり」号である。▼

車内

先日まほろばの鉄趣味住人さんから子供の頃によく宝塚ファミリーランドに行かれた話が出ました。当時阪急電車の広告は阪急グループのみと聞いたことがあります。写真は雪の日(1969年3月4日)に夙川から次の西宮北口に向かう934号の車内を撮ったものです。いつも厳しい米手作市さんが最近は寛大で優しく、多少きずがあったりボケていても投稿することが大事だとかいわれたことにつられてほん僅かの投稿をします。多分車内でフイルムを入れ替えて1枚目がご覧のとおりとなった傷物です。宝塚ファミリーランドを始め西宮球場のオープン戦や宝塚大劇場、阪急交通社など確かに阪急グループだけです。車内ではお客さんは新聞を広げています。今ならマスクにスマホでしょう。高校生の帽子は私のもそうですが白い2本線が入っていました。私の高校は男子は全員坊主頭でした。私鉄経営の遊園地もほとんど消えていきましたが、西武の豊島園も今夏で終了です。▼

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私が撮った阪急今津線の車両(6)

井原 実さんから思わぬ2300系のコメント投稿を頂き感謝感激しております。

6000系は2200系の車体に5100系の機器を装備して130両製造され、2200系から編入の10両を加えると140両となる。1976(昭和51)年から製造され出力は140kw×4で2200系からのT形ワンハンドルマスコンを採用している。アルミ試作車が2両ある。

今津線での6000系の当初の姿は白黒のこの写真しかない。1992年4月1日 仁川-小林間の宝塚行き6114で右側の樹木の方向に熊野神社がある。▼

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私が撮った阪急今津線の車両(5)

オートカー(人工頭脳電車)と言われた当時の神戸線2000、宝塚線2100、京都線2300(2800)系は当時のエース的車両であったが、今津線ではいずれの車両も撮ったことがない。また、これらの車両は今日に至る新鋭車両まで基本的に同じようなスタイルが継承されおりそれだけ完成された車両であると思うが、画一的で面白みに欠ける。ファンというのは勝手なもので変化を好み多種多様な車両を好む傾向がある。そういう意味で2000系あたりからの車両は興味が薄れる。

さて、2000、2100を撮っていないとなると次は3000系である。最近まで現役であったことはかなり長生きした車両と思う。昇圧即応車として1964年から114両製造された。電動車の出力は170Kw×4。

 

2010.03.27 仁川駅は駅の横が川である。表示幕と尾灯、標識灯改造前で当時、行先板を付けた車両が残っていて話題になった頃である。仁川始発の西宮北口行き3058▼

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私が撮った阪急今津線の車両(4)

前回の1000形の発展型量産タイプで1956(昭和31)年より神戸線1010系35両、宝塚線1100系51両が製造された。両型式とも今津線での撮影が少なく1984.04.01小林駅の1112くらいしか記録がない。2扉車や3扉車が混在したが最終的には前照灯が2灯化され、全車3扉に統一され、1010系と1100系の違いはほとんど同じで見分けがつかなかった。▼

 

 

京都線の1600系と同じ考え方で神宝線の1010・1100形式と同じ車体に旧型車の台車、部品を流用。最終的には台車は900・920形、電気品は600形を流用したとあるが、この時代の阪急のタライまわしは難しくて理解しがたい。1200系は1956(昭和31年)から20両製造されたがその一生はほとんど宝塚線で過ごしたと言っても過言ではない。1978年3月18日門戸厄神-西宮北口間の撮影で行先板には仁川-西宮北口とあり、これも競馬開催時の臨時電車と思われる。▼

 

私が撮った阪急今津線の車両(3)

京都線710形と神宝線810形は異なる両線の車両を統一規格にしたことで有名である。再度ややこしい話をすると京都線710形のトップナンバーは711号で710号は700形である。神宝線のトップナンバーは0から始まるので810形のトップナンバーは当然810である。ナンバーを神宝線にあわせたのは5300系からである。阪急統一規格のそれ以降の車長は19mで810形はその先陣を切って今日まで続いている。製造は昭和25(1950)年で710形共々新性能電車への過度期の車両でいろいろ試行錯誤している点で興味深い。前照灯が大きく窓も900・920形、800形に比べて縦長で大きくなり私の最も好きなスタイルであった。最初の810~813(Mc)、861~863(Tc)の8両はクロスシートであり複電圧車であったが、どういう訳か運用の都合で今津線にまぎれこんできたことがある。深々としたシートにランドセル姿で乗ったことがある。当然2連であった。残念なのは台車がKS33イコライザーであったことである。814以降も細部等変更があったが台車がゲルリッツ式FS103になり乗り心地がよさそうで全体のスタイルはこちらの方が上と考えた。しかし、ロングシート車である。晩年には3扉化し前照灯のシールドビーム2個ライト化で男前を落としたのは残念である。出力は140kw×4、170Kw×4ともありよくわからないがいずれにしても大出力のMT編成であった。

 

1969.03.04 仁川 雪の日の宝塚行き後部810 ロングシート化されて年月が経つが均整の取れたスタイルはそのままである。▼

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