私が撮った阪急今津線の車両(6)

井原 実さんから思わぬ2300系のコメント投稿を頂き感謝感激しております。

6000系は2200系の車体に5100系の機器を装備して130両製造され、2200系から編入の10両を加えると140両となる。1976(昭和51)年から製造され出力は140kw×4で2200系からのT形ワンハンドルマスコンを採用している。アルミ試作車が2両ある。

今津線での6000系の当初の姿は白黒のこの写真しかない。1992年4月1日 仁川-小林間の宝塚行き6114で右側の樹木の方向に熊野神社がある。▼

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私が撮った阪急今津線の車両(5)

オートカー(人工頭脳電車)と言われた当時の神戸線2000、宝塚線2100、京都線2300(2800)系は当時のエース的車両であったが、今津線ではいずれの車両も撮ったことがない。また、これらの車両は今日に至る新鋭車両まで基本的に同じようなスタイルが継承されおりそれだけ完成された車両であると思うが、画一的で面白みに欠ける。ファンというのは勝手なもので変化を好み多種多様な車両を好む傾向がある。そういう意味で2000系あたりからの車両は興味が薄れる。

さて、2000、2100を撮っていないとなると次は3000系である。最近まで現役であったことはかなり長生きした車両と思う。昇圧即応車として1964年から114両製造された。電動車の出力は170Kw×4。

 

2010.03.27 仁川駅は駅の横が川である。表示幕と尾灯、標識灯改造前で当時、行先板を付けた車両が残っていて話題になった頃である。仁川始発の西宮北口行き3058▼

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私が撮った阪急今津線の車両(4)

前回の1000形の発展型量産タイプで1956(昭和31)年より神戸線1010系35両、宝塚線1100系51両が製造された。両型式とも今津線での撮影が少なく1984.04.01小林駅の1112くらいしか記録がない。2扉車や3扉車が混在したが最終的には前照灯が2灯化され、全車3扉に統一され、1010系と1100系の違いはほとんど同じで見分けがつかなかった。▼

 

 

京都線の1600系と同じ考え方で神宝線の1010・1100形式と同じ車体に旧型車の台車、部品を流用。最終的には台車は900・920形、電気品は600形を流用したとあるが、この時代の阪急のタライまわしは難しくて理解しがたい。1200系は1956(昭和31年)から20両製造されたがその一生はほとんど宝塚線で過ごしたと言っても過言ではない。1978年3月18日門戸厄神-西宮北口間の撮影で行先板には仁川-西宮北口とあり、これも競馬開催時の臨時電車と思われる。▼

 

私が撮った阪急今津線の車両(3)

京都線710形と神宝線810形は異なる両線の車両を統一規格にしたことで有名である。再度ややこしい話をすると京都線710形のトップナンバーは711号で710号は700形である。神宝線のトップナンバーは0から始まるので810形のトップナンバーは当然810である。ナンバーを神宝線にあわせたのは5300系からである。阪急統一規格のそれ以降の車長は19mで810形はその先陣を切って今日まで続いている。製造は昭和25(1950)年で710形共々新性能電車への過度期の車両でいろいろ試行錯誤している点で興味深い。前照灯が大きく窓も900・920形、800形に比べて縦長で大きくなり私の最も好きなスタイルであった。最初の810~813(Mc)、861~863(Tc)の8両はクロスシートであり複電圧車であったが、どういう訳か運用の都合で今津線にまぎれこんできたことがある。深々としたシートにランドセル姿で乗ったことがある。当然2連であった。残念なのは台車がKS33イコライザーであったことである。814以降も細部等変更があったが台車がゲルリッツ式FS103になり乗り心地がよさそうで全体のスタイルはこちらの方が上と考えた。しかし、ロングシート車である。晩年には3扉化し前照灯のシールドビーム2個ライト化で男前を落としたのは残念である。出力は140kw×4、170Kw×4ともありよくわからないがいずれにしても大出力のMT編成であった。

 

1969.03.04 仁川 雪の日の宝塚行き後部810 ロングシート化されて年月が経つが均整の取れたスタイルはそのままである。▼

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私が撮った阪急今津線の車両(2)

前回は車長15m級の小型車を発表したが、宝塚線用に戦後新造した運輸省規格型の半鋼製550形16両は今津線では見たことがないので割愛した。今回は車長17m級の600形、900・920形である。なお、800形(当初700形)14両も今津線での写真はないので同じく割愛した。

まず600形は1926(大正15年)川崎造船製の3扉全鋼製車で各地にこのスタイルが採用された。当初神戸線でMcが600形、Tcが800形で18両あり、一部クロスシート化されたりその後機器の変更など複雑な変遷をたどっているが、私が自覚したのは宝塚線での姿で今津線は晩年の活躍である。さらに伊丹線では大きさもスタイルも全く異なる610形と組んだ姿には驚いたものだ。

1968.11.19小林-仁川間 今津行き600▼

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私が撮った阪急今津線の車両(1)

小学校1年の時から阪急今津線を通学利用していたので私なりに車両や若干の風景を発表したい。神戸線に比べて今津線は車両が小さくスピードがなく面白みに欠けていて趣味的に記録することはなかった。もっともカメラも持っていなかった。今津線は神戸線(梅田-神戸上筒井間)開通の翌1921(大正10)年9月に西宮北口ー宝塚間が西宝線として開通、有名なダイヤモンドクロシングは1926(大正15)年12月にでき、線名も今津線と改称されている。1型、40型、51型などが様々な姿で走っていたであろうが私が確実に覚えているのは500+300+500の3連あたりからである。その後、車両編成増に伴い今津寄りに320や380を連結した4~5連の時代が長く続いたように思う。

384を今津寄りにつけた宝塚行きの後部。380は320に続いて作られた両運車で丁度神戸線の900を小型にしたような感じで320にはリベットがあったが380は溶接技術の進歩によりリベットも少なくややすっきり見えた。385はアメリカ博塗装になったことがあるのは最近のデジ青で宮崎さんが発表されたとおりである。連合軍専用車になった車両もあるが私には知るすべもない。阪急最晩年は今津寄りに連結されていた。

1965.03.19 仁川-小林間 宝塚行き最後部384▼

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D51499

保存蒸機とその現役時代(36)D51499についてどですかでんさんが好みの機関車であるとコメントされたところ米手作市さんより早速同機の写真が発表されました。この豪快な機関車につきましては三重県庁近くで保存機を撮りデジ青2016年10月19日付け「保存蒸機とその現役時代(36)」に発表しましたが別の角度から撮ったものを再投稿します。

 

現役時代は1972年9月10日柘植駅 ▼

マシ292

温かい大阪通信員さんのコメントをいただきマシ292を探してみました。冬の陽で影が映ったりしてあまりいい写真ではありませんが、当時は夢中で撮ったものです。

「玄海」! いい響きですね。向日町付近で撮って京都まで国電で追っかけたものです。1967年12月の撮影です。▼

こういう連結が急行らしくて好きなんです。京都駅▼

 

もう一つのマシ29109です。1967年11月7日京都駅 ▼

 

マシ292の室内です。1966年10月向日町 ▼

最後のころの旧型客車

旧型客車は10系までのことのようですが、熱烈な客車ファンの中には43系までが伝統的な旧型客車だと言われる方もおられます。43系はかつての国鉄型客車を集大成したもので外観を含め魅力的であることに全く異論はありません。10系はスイススタイルとも言われ外観などが43系とは大きく異なっています。しかし、私は10系と43系が混在した所謂急行客車列車が好きでした。特に夜行となると寝台車や食堂車を連ねてそのデコボコした編成に急行らしいものを感じたものです。これに対して昼行急行列車は編成がそろえば綺麗ですが、へそ曲がりの私は3軸の食堂車やオシ16、オシ17、リベット付きのスハネ30、スハネ16、スロ54等ごちゃごちゃした編成が案外よかったと思っています。写真2枚を用意しました。

昼行急行の立山(撮影地田村1964年3月19日ED301牽引富山行き)と津軽(撮影地白岡ー蓮田1966年12月30日EF578牽引上野行き)

近場撮影

えらいことになってきましたが、お元気なWAKUHIROさん、KAWANAKAさん、どですかでんさんが家の近くでごそごそやっているようなので私も徒歩15分の所にある京王相模原線京王堀之内-南大沢間での撮影を発表します。家に閉じこもってばかりでは歩けなくなるので散歩がてらの撮影です。

 

3月25日 準特急橋本行き8763 ▼

3月29日 準特急橋本行き7754 この日は昼まで雪でした▼

 

4月14日 区間急行元八幡行き9734 この日は富士山が見えました ▼

 

4月19日 区間急行橋本行き9781 手前の木は桜ではありません▼