秋田新幹線は1997(平成9)年、新在直通方式のミニ新幹線として1992(平成4)年の山形新幹線に次いで開業した。盛岡から田沢湖線(盛岡-大曲)、奥羽本線(大曲-秋田)を経由して秋田に至っている。少々複雑であるが1964(昭和39)年の時刻表を見ると盛岡-雫石間は橋場線16.0km、生保内-大曲間は生保内線35.5km、大曲-秋田間51.7kmは奥羽本線となっており途中の空白区間雫石-生保内間は1996(昭和41)年に開通している。なお、生保内駅は田沢湖駅と改称、大曲駅では列車はスイッチバックしている。列車名は鳥や花ではなく公募により秋田ゆかりの歌人小野小町に決定されたが小野小町はクレオパトラ、楊貴妃と並ぶ世界三大美人に数えられるている。
秋田新幹線の列車は在来線乗り入れで奥羽山脈を越えるので「つばさ」同様にスピードは130km/h程度に抑えられ秋田到着は盛岡まで連結するE5系の新青森到着よりも3~40分遅く着く。
盛岡駅で「はやぶさ」を切り離して最初の在来線(旧橋場線)の駅が大釜駅である。ここは「こまち」は通過であるが単線なので「こまち」同士の列車交換も見られる。大釜から盛岡寄りに少し歩くとバックには盛岡のシンボルが岩手富士が見えてくる。2013.11.9 岩手富士バックのE3系「こまち95号」秋田行きである。▼
2013.12.4 上記と同一地点の1か月後を行く新鋭E6系東京行き「こまち12号」で岩手富士は冠雪した姿に変わる。▼
盛岡から暫く走ると新幹線の風景とは思えない渓谷に入る。この時もクモハ73106東ウラさんにお世話になった。道路横の茶店から新幹線が俯瞰できるが逆光気味なので下まで降りて秋田行きE3系「こまち25号」を順光で撮った。2013.11.9志度内信号場-田沢湖間 ▼
角館は武家屋敷があり、観光も兼ねてよく降りた。ここは秋田内陸縦貫鉄道の乗換駅でもある。駅から盛岡寄りに2kmほど歩くと平凡であるがさえぎるものがない直線区間になり上下「こまち号」が撮れる。丁度秋田内陸縦貫鉄道と線路が離れるあたりである。2016.7.3生田-角館間E6系「こまち19号」秋田行き ▼
2017.6.27同じ区間でのE6系東京行き「こまち22号」▼
2019.12.1 1日粘ってみた日の夕方16時43分、オクレのE6系秋田行き「こまち23号」がやってきた。冬の日暮れは早い。▼
2019.12.1 お昼前角館駅を出発するこまち7号。何でもない普通の在来線駅である。▼
2016.7.3角館市内菅沢(58k378m)踏切。新幹線本線内では見られない踏切がここでも見られる。E6系「こまち32号」東京行き。▼
2019.6.26 羽後長野-鑓見内間E6系「こまち19号」秋田行き。「こまち」のシンボルカラー赤が鮮やかである。▼
2019.6.27 鑓見内-羽後長野間 田沢湖線普通列車大曲発盛岡行きで広軌化されたクモハ701-5000番台の2連が行く。▼
2019.1.28雪の日の 新幹線の終着秋田駅とE6系「こまち」。大曲からスイッチバックして逆編成である。▼
これにてミニ新幹線「つばさ」、「こまち」を終了する。
準特急様
『ミニ新幹線「つばさ」、「こまち」』の三回シリーズを楽しみながら拝読いたしました。「新在直通運転」で東北新幹線と在来線の奥羽本線の一部区間を直通運転させた山形新幹線と秋田新幹線により首都圏と山形、新庄、大曲、秋田の時間距離の短縮に大いに貢献いたしました。
一方、この恩恵にあずかれなかった湯沢、横手、東能代、鷹ノ巣、大館などは取り残されて、ますます過疎化が進み、結果として「津軽」や「あけぼの」で東京と直接繋がっていた奥羽本線をズタズタにしてしまいました。私見ですが、秋田県南部を救済するためには秋田新幹線は、田沢湖線を経由するより距離が短くてスイッチバックがなくて線形も良い北上線(準特急様なら横黒線)を経由した方が横手も救済できたのではないでしょうか。
といいましても個人的にはがE7系より座席配置が4列でコンパクトな山形新幹線用のE3系や秋田新幹線のE6系を好ましく思っており、併結区間では可能な限りミニ新幹線車両に乗車しています。
2014年6月23日の盛岡での「はやぶさ7号」と併結した「こまち7号」の分割です。福島、盛岡の分割併合時は今でも一般客の人気が高く、見物客がスマホで写真を撮ってる光景が見られます。
快速つくばね様
ご意見有難うございます。私がミニ新幹線に着目したのは大人の休日俱楽部という老人用格安パスの利用ができてかつては不便であった所も簡単に行けるからです。下手な撮り鉄の私ですが、高速新幹線(本線)では撮影場所が少なく在来線内のミニ新幹線の方が改良されたとは言え自由に撮影ができるからです。ご指摘の件ですが北上-横手間の北上線(旧横黒線)経由の方が秋田へは距離的に近くつくばねさんの仰られる通りですね。そうすると北上に「はやぶさ」を停車させることになりますが、北上線には田沢湖や角館級の観光地がなく、秋田内陸縦貫乗り換えのような接続駅がないことも弱みかもしれません。東能代や鷹ノ巣は難しいと思います。新庄でも客は乗っていないのでその新庄以北の延伸もないと思います。秋田県はいろいろな指標を見ても全国順位は最下位に近く、逆にミニですがよく新幹線が行ったなと思います。(関係者がおられたらごめんなさい)
次に座席配置の件は全く同感です。「はやぶさ」の東京発8時前後は席が少なく当日買うと大体3列の真ん中B席しか残っていないことが多く、仙台から空いてくるとは言え体が痛くなります。E3、E8やE6を狙うのですが大体アウトです。写真ばかり気にしていましたが秋田新幹線も開業前は各地で誘致合戦があり先生と言われる方もいろいろあったのではないかと思います。
準特急先輩と田沢湖などで「こまち」を撮影した3週間後の2013年11月30日に大人の休日パスで雫石の先でE3系「こまち」を撮影していました。「こまち」という愛称が「つばさ」と異なり、新しい愛称なので、写真はこのくらいしかありません。
クモハ73106東ウラ様
ご一緒させていただいた2013年はまだE3系の「こまち」がいましたがその後E6系に統一されましたね。米手作市さんが乗られた「なすの」に残っていたE2系も上越、北陸から消えたようです。
新幹線車両の変遷は凄く早いですね。上越にいたE1系は間に合いましたが、山県ミニ新幹線400系は撮り損ねました。
快速つくばね様
「はやぶさ」の青いE5と「こまち」の赤いE6はその色合いのコントラストと長い鼻が見事でいつもその連結作業付近にはカメラを構えた人がいますね。先日福島に行った時に新幹線ホームの「栄冠は君に輝く」と在来線ホームの「高原列車は行く」行くを聴き快速つくばねさんから教えていただいたことを思い出しました。
クモハ73106東ウラ様
返事コメントの山県新幹線は山形新幹線の間違いです。すみません。
クモハ73106東ウラさんの車に便乗させていただいた頃は秋田新幹線はE3系からE6系に車種が変更されていった時期でしたね。クモハ73東ウラさんの準故郷盛岡駅近くのビルから撮った「はやて26号」E5系+「こまち26号」E6系の後ろ姿です。背景は北上川と思いますが右端はその支流雫石川ですか。
準特急様
重ねてのコメントありがとうございます。
2012年6月26日の秋田で発車待ちをしているE3系の「こまち22号」です。翌年の2013年3月のダイヤ改正から一部列車にE6系の営業運転が開始され、2014年3月のダイヤ改正で全列車がE6系に置き換わりました。移行期間中の1年の間、E3系の列車と区別するためにE6系を使用した列車の愛称名が「スーパーこまち」に変更されましたが、全列車が置き換わった時点で「こまち」に戻りました。
一時、山形県は「山形新幹線機能強化構想」を策定しており、2000年の陸羽西線のミニ新幹線化を立案し山形新幹線の酒田乗り入れ、2003年には大曲までの改軌延伸を構想していたようです。現状の陸羽西線は2022年5月から地域高規格道路建設の影響を受け長期の営業休止中でバス代行輸送を実施しており、奥羽本線は新庄-院内間の災害復旧にあわせて電化設備を撤去し、気動車による運行に切り替えるようです。この20年で鉄道を取り巻く環境はまさに「今昔の感」があります。
準特急様
東京は勿論、東北は関西からは正直縁遠いです。
「つばさ」や「こまち」はミニ新幹線なる在来線の広軌化。中々見たり乗ったりの機会がありません。貴重なシーンを有り難うございました。
その昔、なんじゃら温泉?へ向かうために雫石に行く機会に恵まれ、せっかくならと「こまち」の指定を取って雫石まで黄色のシートで「こまち」の乗り心地を味わったことを思い出しました。今の「こまち」は益々かっこ良くなりましたね!?
マルーン様
なんじゃら温泉とはどこの温泉なのかよく知りませんが、雫石という地名は1971年に全日空機と航空自衛隊戦闘機が上空で衝突事故があった地点ということで覚えています。マルーンさんには北陸新幹線が大阪の近くまで来てもうミニ新幹線にする必要はないと思います。北陸新幹線はJR西W7系とJR東E7系が使われております。乗務員の交代は長野駅で行われているようで2024.10.5長野14時49分発「はくたか565号」敦賀行きの東西乗務員交代風景です。
確かに雫石はその事故の記憶があります。
3月に北陸新幹線が敦賀まで延伸されましたが、福井から金沢までは未乗車ですから、いずれその間を乗って東京までの全線を乗りたいと思います。
北陸はミニ新幹線にならなくて良かったと思いますが、一日も早い大阪延伸が課題ですね。
長野駅での乗務員交換のシーンを見せて頂き有り難うございます。