【79417】読者の方々へ(4)、山陽電鉄2000型

63型車輌20両の投入(1947年)で戦後の車輌不足を凌いだ山陽電鉄はその後、820、850型18両のロマンスカーを登場させ(1948年から)戦後復興をようやく果たした(以上既説)。
その矢先、1951年9月西代車庫の火災で14両もの車輌を焼失したが、小型車の車体新造による250型を誕生(既説)させるなど、再復興と車体の大型化に対応して来ました。

曲がりなりにも安定して来た1955(昭和30)年頃、神戸高速鉄道の構想が生まれ、ほぼ同時期にWN駆動の軽量高性能車2000系が登場しました。

第一次2000型2両、MM2両編成、車体長18m、ロングシートとして誕生。1960年に中間車2508を加え3連化、2001にもパンタがついた。3両共にまだ2扉の時代です。
▼2000+2508+2001 上り特急 須磨浦公園-塩屋 1965.1.31 C0808
海岸べり(右手)の国道2号線はまだ車が少ない時代です。
▼2001+2508+2000 下り特急 大蔵谷-西舞子 1965.1.31 C0811
第二次6両、さらに1957年、特急のイメージアップを図るべく、クロスシート車3編成を新造。1959年に中間車サハを組み込み3連化しました。(2扉時代)
▼2002+2504+2003 下り特急 須磨浦公園-塩屋 1963.1.3 C0305
線路を跨ぐ後方の建造物は、画面左手の山から土砂を運び出すコンベアベルトです。海岸で土砂運搬船に積み替え神戸市三宮の南方まで曳航し、海を埋め立て神戸ポートアイランドを建設しました。
▼2003+2504+2002 上り特急 須磨浦公園-塩屋 1966.1.1  15130
中間車が3扉化された2503を挟んだ3連。
細長い島式の長田駅。ホームに相当する部分だけが専用軌道で、前後は道路と併用軌道でした。筆者の高校への通学駅です。中央後方の白い建物は神戸市電の長田車庫です。
▼2005+2503+2004 長田駅 下り特急 1966.10.25 C4109
中間車はまだ2扉の時代。
▼2007+2502+2006 下り特急 妻鹿-白浜の宮 1963.1.3 C0318
2002~2007の6両は3扉ロングシート付随車に改造され、3000系に編入されました(1970年)
▼2006+2503+2007 上り特急 妻鹿-白浜の宮 1963.1.3 C0319
第三次型2両。モータリーゼーション最中の長田交差点付近を進む下り特急。併用軌道を車列と共に進み、よくも定時運転ができたことですね。タクシー初乗り運賃90円の時代です。
▼2009+2507+2008 下り特急 長田交差点 1967.3.20  14420
第四次3両、山陽電鉄最初のステンレスカー。
▼2011+2500+2010 下り特急 妻鹿-白浜の宮 1963.1.3 C03101
須磨にもお城があった。民間の金持ちが建てたそうですが今はありません。
▼2010+2500+2011 上り特急 電鉄須磨駅 1964.6.28  09418
▼2011+2500+2010 上り特急 須磨浦公園-塩屋 1965.1.31 C0803
第5次8両、電鉄最初、かつ日本最初のオール・アルミカー。前面貫通扉、当初より3扉3連。
姫路駅でのお披露目、特別試運転列車。
▼2012+2505+2013 姫路駅 1962.7.1 1962.7.1  05215
▼2013+2505+2012 下り特急 東須磨-月見山 1962.7.1 05224
冬の弱い光に反射して鈍く光るアルミ車体。
▼2012+2505+2013 上り特急 須磨浦公園-塩屋 1963.1.3 C0303
▼車体側面窓下部に小円の模様が細工されていました。台車はOK-25。 05217
山陽本線複々線化の工事現場に上り、海を見下ろしました。山陽の左手複線が現在のJR山陽本線・下りの複線、撮影の足もとの線路は完成後上り複線となるところです。
▼2013+2505+2012 上り特急 大蔵谷-西舞子 1965.1.31 C0817
アルミカーと比較の為、同時期に誕生した前面貫通扉、当初より3扉3連のステンレスカー。
▼2015+2506+2014 下り特急 須磨浦公園-塩屋 1965.1.31 C0804
▼左から(上り各停)823、(上り特急)2011、(下り特急)2015、(下り各停)須磨駅  1964.6.28  09420
高速運転時代の先陣を切ったこれら2000型は、電鉄輸送力増強に貢献し、次代に引き継ぎその使命を果たし、3000型に改造された一部車を除き、1988(昭和63)年から1989(平成元)年)にかけて相次ぎ廃車されました。

筆者が撮影していた往時の山陽電鉄は、この2000型までです。3000型以降は最近の専門誌が詳しいと思います。ではこの辺で電鉄の古い画像紹介を終ります。

読者の方々へ(4)、山陽電鉄2000型” への4件のコメント

  1. tsurukame様
    丸っこい車体はいいですね。この形式あたりから山陽電車に対する自覚症状があります。初期車のヘッドライト、これがいいと思います。できれば正面貫通にすれば引き締まった顔になったと思います。後期車のステンレス、アルミ車は正面貫通なのでいい顔に見えます。但し、南海の6000や7000のように正面のライトの2個を離して設置するとブタの鼻のようになり私は駄目です。阪急の710なども晩年2個ライトに改造された時はがっかりしたものです。カラー写真は空気がきれいであったあの時代を思い出させてくれるようで好きです。特に、妻鹿-白浜の宮の俯瞰撮影は単調な冬枯れの田圃を松の木が補って見ごたえがあります。今はこういう写真がなかなか撮れません。それに正月からの撮影とは恐れ入ります。白黒ですが長田交差点の自動車の群れと煙突の煙もいいタイミングで撮られた傑作と思います。掲載有難うございました。
    話は変わりますが山陽電車もトップナンバーは0から始まっていますが、大手民鉄では阪急の神宝線が昔からそうでしたが、京都線も最近は1ではなく0から始まっています。大軌のデボ1000~1400形や参宮急行デ2200系も当初はも0から始まった様です。現在の民鉄界でこのような例は山陽、阪急以外にありましたら教えてください。

  2. 順特急様
    私も正面の”顔”に好き嫌いがあります。運転席窓が大きくて丸いのがカッチョイイです。シールドビームは好みませんね。山陽の3000は嫌いですね。5000型は少しマシですが。今日12月18日も三宮から尼崎まで3056に乗車して帰ってきましたが、日曜日の車内は結構込んでいました。昼過ぎの西宮、今津のホームに人が沢山でした。そう、甲子園ボールです。甲子園でも沢山下車して行きました。

    話し変わりますが、12月17日DRFC(Doshisya Rugby Football Club)が早稲田に勝ちました。1月2日国立です。随分昔、柏から国立へ何度も出向いたことを思い出します。再びあの頃の強いDRFCであって欲しいです。DRFC(Doshisya Rail Fan Club )も応援しています。

  3. tsurukame様
    同志社はラグビーと鉄道同好会です。先般ラグビー界の貴公子と言われた平尾選手が亡くなりましたがあの時代は毎年国立に行っていました。一度、鉄鈍爺さんにもゲイト前で会ったことがあります。私の兄もラグビーが好きでいつも花園に行っていますが、三宮からの直通車が遅いので特急乗継ぎにしているようです。帝京も東海も天理も外人が入っていますが、早慶明が消えた今は日本人だけで頑張る同志社に一泡吹かせてもらいたいものです。元当会顧問の星名さんもラグビーでした。そして数ある同志社の研究会、同好会でも毎年ホームカミングデイに部屋を確保して例会や講演会を行っている会はそう多くはないと思います。続けて欲しいですね。

  4. 2000系原型、Hゴム化される前は芸術品です。当時飾磨に住んでいて姫路のデパートに行くさい、親にねだって2000系のクロスシート特急が来るまで待ったものです。でも意外と270系特急が多かったです。3扉の2000系はファンデリア特有の臭いが忘れられません。子供心に、あの丸いのはクーラーに見えました。国鉄の特急にでも乗った気分。ファンデリアとクロスシートを兼ね備えたのは2扉のステンレス2000系1編成のみでしたが、この車両は乗り心地も別格でスーパーロマンスカーだと思っていました。1編成ごとに変化があって、次はどんな電車が来るかワクワクした1965年ごろの山陽電車がなつかしい思い出です。

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