読者の方々に、半世紀前の山陽電鉄を、先の100型に続き250型を紹介します。
モハ63系車輌(1947年、山陽700型)をはじめとする山陽電鉄系車輌の使用開始により、兵庫電軌、神姫電鉄系の在来車輌100型は、車体幅が狭く、輸送力・保安面・経済面において著しく不具合となり、車体の乗せ換え、制動機能などの変換を順次実施した。それらが、ここに紹介する250型です。
第一次250型、250~253の4両(1951年)
▼250+251 滝の茶屋-塩屋 1962.1.1 C0114
Mc+Mc編成、ロングシート、連結部貫通扉、車体長:16m、台車はBW-1
タネ車は、旧・神姫62→1003→250(1973年廃車)、同66→1004→251(廃車同年)、
同85→1008→252、同58→1001→253(1968年廃車)
▼271(上り)と251(下り) 須磨駅 1961.2.19 00915
第二次250型 254、255(1952年)、車体長:16m、台車はBW-1
▼254+255 須磨駅 1961.2.19 00916
▼上と同列車 255+254 00917
旧・神姫53→101→254(1973年廃車)、同56→103→255(1973年廃車)
第三次250型 256、257(1954年) 車体長:17m、台車:BW-3 (画像なし)
旧・神姫64→107→256(1973年廃車)、同81→1007→257(1973年廃車)
第四次250型 270~273(1959年) 車体長:17m、台車:BW-5
電鉄系で最初の運転台端面に貫通扉設置
▼270+271 東須磨駅 1966.1.1 15126
旧・神姫51→100→270(1973年廃車)、同55→102→271(同年廃車)
同72→111→272(同年廃車)、同75→113→273(同年廃車)
▼273+272 須磨-須磨浦公園間 右に緑の塔が見える 1962.1.1 C0119
第五次250型 274~289の14両(1960,61年) 車体長:17m、台車:BW-5A
手続き上、新造車
▼ 275+274 大蔵谷-西舞子間 1965.1.31 C0818
▼282+283 飾磨車庫 1961.1.2 00817
▼284+286+287 須磨駅 1962.1.1 C0104
中間電動車を挟み、普通車に使用目的の車輌ながら、軽量で均衡速度も得られて
画像のようにしばしば特急にも使用された。
▼287+286+284 須磨駅 1962.1.1. C0105
このように、旧・神姫電鉄系車輌で塗装は褐色一色の100型、1000型がツートンカラーの曲がりなりにも近代的な車輌に変遷した。一時期は電鉄の主力車輌でもあった。
次回には、同時期に活躍した800型を紹介する予定です。
またまた懐かしい写真が掲載されました。270型が特急のサボをつけて走っている姿は見た事はありませんが、250型はかなりの期間走っていた記憶が有ります。クロスシートかロングシートかは覚えて居りませんが、懐かしい写真を有難う御座いました。次の800型が楽しみです。
檜垣 礼司様
ごらんに頂き、またコメントをありがとうございます。250型はいずれもロングシートでした。その特急で姫路までなら少し疲れますね。もっとも通しの乗客は比較的少なかったようですが。
3000型が幅を利かす前、250、300、700、820、2000型が入り混じり交錯する頃は大変面白かったですね。随分と遠い昔のこととなってしまいました。
254+255だけ特別な思いがあります。
ビニール電車でしたね、たしか。
無骨な蛍光灯・ビニール張りの床・たしか赤色のビニール張りロングシート・透明貫通ホロ。
子供心ながら強烈な印象でした。
近代的な車内でしたが乗り心地は最悪で、加速するとフワーッと不安定に車体が浮き上がり、そのうち横揺れが酷くなりつり革が荷棚にカチカチ激しくぶつかる電車でした。
そのわりにスピードはちっとも出てなく、大人になってから100系の更新車だったと知りました。