筆者が本線上で蒸気機関車に添乗できたのは、後にも先にも1回だけ。昭和37(1962)年5月4日、山陽本線・瀬野から八本松まで、故・高橋正雄さんのはからいで実現しました。機関車は補機専用D52です。残念ながら記念すべき添乗機の機番は、控えがなく不明です。
吉田耕司さんと二人、機関士の服装に着帽の上、添乗員と都合三人、瀬野から上り貨物の後部重連補機に乗り込みました。補機の後位ならトンネル内では3両分の煙で大変、前位なら2両分の煙で済むとのことで、前位乗車となりました。超大貨物を瀬野八の急坂を押し上げますが、機関車は轟音と熱気と共に大揺れでした。手すりを持たなければとてもでないが立ってはいられませんでした。ただ煙に咽せるとか、息苦しくなるとかはありませんでした。
八本松まで約20分、自動開放して貨物を見送り、坂を下って瀬野に戻り、風呂で煤を落としてからカメラを持ちました。添乗中はカメラを持参しませんでした。持参しても撮影できる状況でなかったと思います。急坂の押し上げなど途轍もなく大変で、それはそれは貴重な経験でした。
余談ながら、あの三河島事故が起きたのが、この日の前夜でした。
▼その後機関区内で撮影したD52。小郡所属のD521。鷹取式集煙装置を付けた装備改造型1962.05.04
翌日二人は、富海-戸田間の撮影に向かいました。以下はその時の写真です。ただし、記録が無く、列車番号などは不明です。
▼富海駅近くで、D523 小郡機関区所属 1962.05.05
▼富海-戸田間、D5253、広島機関区所属 1962.05.05
▼富海-戸田間、上り貨物、機D52237、柳井機関区所属 1962.05.05
tsurukameさま
貴重な経験談・写真、ありがとうございました。セノハチに挑むD52の添乗、と聞いただけで、轟音や熱気・振動が伝わってきそうな気がします。
“迫力のセノハチ”“風景のヘタトノミ”と言われる、山陽本線の二大撮影地をきっちり記録・体験されているのですね。また、D521は集煙装置つきですね。この集煙装置は、吹田区時代、東山・逢阪山トンネル対策として装着したもので、昭和31年の大阪電化で小郡に移ってからは、無用となり、まもなく取り外されたと言われています。山陽時代の集煙装置つきD521は、期間も短く、たいへん珍しいですね。
tsurukame様 富海~戸田の入り江に沿った撮影地に行く途中のこの写真。何でもない当時の在り来たりの風景ですがこういうのがいいんですよ。電化前のすっきりした幹線蒸機の姿とハエタタキのある風景。羨ましき限りです。羨ましいといえばセノハチの補機添乗、いい経験をされましたですね。私は1962年秋の修学旅行の帰りにセノハチを通過しましたが、先頭はEF58でD52が後補機でした。
総本家青信号特派員様
情報有難うございます。吹田のD52142が最後まで集煙装置を付けていたように思います。D521は架線の下を走る姿をキャッチしておりますが、集煙装置を外した一般的な姿でした。
tsurukame様
貴重な写真と添乗記をありがとうございます。私の時代のD52と言えば末期の御殿場線、吹田ヤード、函館本線でしか会えませんでした。セノハチや富海で見たかったです。ところでセノハチのD52がNHKのしっかりした動画で見られます。新日本風土記アーカイブスの昭和35年当時の3分間の映像です。下記のURLです。http://cgi2.nhk.or.jp/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004270006_00000
D5248,D52129などが出てきます。八本松でのかもめの自動解放もありますが、この八本松の映像に 八本松の広島寄りにあった「川上弾薬庫線」が本線横にしっかり写っていてこれも貴重です。この廃線跡は今も見ることができます。ところでD521の写真ですが、このカットはターンテーブルやラウンドハウスがあることから、瀬野機関区ではなく広島かどこか他の機関区での撮影と思われますが どこなのでしょう?
西村雅幸様
ご指摘をありがとうございました。D521を『瀬野機関区で撮影』とは確かに不自然ですね。いつも通り思い込みが強く、おまけにノートが空白、撮影日以外無記録でした。記憶を元に、疑いもせず瀬野機関区と書きました。
そこで、毎日デジ青を見ているという同行の吉田耕司さんに助けを求めました。吉田さんの記憶も私とほぼ同じで、夜行「ななうら」で着いた広島から瀬野に向かい、D52に添乗、風呂に入って再び広島に向かった事くらいしか覚えていないとのことでした。
改めてフィルムを見ました。早朝の広島駅の特急「あさかぜ」、広島電軌と並び、その次がD521で、すぐその次は扇形庫内で煙をあげるC11330のデッキに立つ吉田さんでした。C11330は当時広島機関区所属でしから、D521の撮影地はほぼ広島機関区だと思われます。しかし、広島機関区に行った経緯などが二人の記憶にはありませんでした。
参考に、奥山さんの広島機関区の写真で似たようなを場所を探しました。はっきりとはしませんでしたが似たところがありました。やはり広島機関区に違いないようです。記録が無く、記憶に頼る事柄には相当慎重にせねばと反省しています。
コメントをなかなか送信できず返信が遅くなりました。コメント送信を私なりに色々テストしました。結果、ブラウザに Internet Explorer 9.0 の使用を諦め、Google Chrome に変更しました。これで送信が可能になり、また今まで、コメント記入欄がたったの3行分しか表示されなくて、眼隠し状態で入力していた不便も解消されました。
tsurukame様
「ななうら」とはなつかしい響きです。吉田殿にもお声かけ頂いたようで恐縮です。お手数をおかけしました。