1962年合宿と峠の釜めし-半世紀前-

1962年9月5、6、7日、信越線碓氷峠の合同撮影会とテント持参の合宿が開催された。5日の撮影会の後、碓氷湖畔にテントを3張り、夜を過ごすつもりだったが、夜来の大雨でとてもテントは持ちこたえられず、湖畔のボート小屋に頼み込んで一夜を過ごしたものです。

▼翌朝、雨も上がった小屋のテーブルと椅子を拝借、朝食事の模様。1962.9.6
写真右から岩波君、吉田君、中林君、別所君、鶴君、魚住君の面々。   05613
05613▼同じく右から岩波君、亀田君、中林君、宮脇君、別所君。  同日     05614   05614▼雨が上がり、火を起こしてぬれたテントを乾かすことになった。ところが魚住君持参のゴム引き布製テントが、火で穴が開いてしまった。借用してきたテントなので大いに困ってしまったのでした。 同日  0561505615 ▼0561605616▼この6人の他、写っていない亀田君と鶴君のツルカメ・コンビを加えて都合8人が参加した合宿でした。同日 05617
05617▼合宿参加の目的が全員一致ではなかったらしく、信越旧・新線撮影に出掛ける者、マージャンに興じる者めいめい勝手でした。帰りの車中でも御開帳でした。 同日 0561805618▼帰りは、横川-高崎-上越-信越-北陸周りでした。その横川で全員が、峠の釜めしを買い込みました。120円。食べた後の釜は持ち帰ったと記録されていました。1962.9.7 501234
501234▼さらに数時間後、合宿でよほど腹が減っていたのか、今度は上越線水上駅でやはり釜めしを買い込みました。150円。右上には『上州の風味』と印刷されています。こちらのほうが値段が高い割りに、横川の味に劣ると、記録にありました。 同日   501273
501273一日に、国鉄の二つの難所、信越線と上越線を通り、二つの峠で二つの国境を越えました。そして、弁当も同じ『釜めし』でした。

そんなこんなで合宿撮影会は無事終了しました。ただ、帰ってからその時の撮影写真を持ち寄り、喧々諤々討論したり、いろいろな角度から、碓氷峠について研究をしたり、纏めて発表したりした形跡などは全くありませんでした。

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