2014~2015年 凍える大地への旅 Part13 中ロ朝国境見聞録その2 琿春図們橋、南陽図們橋、三峰橋、検問に引っかかる

第11日目 1月5日

7:30 今日は昨日来た道を図們まで戻り豆満江の上流を目指して、中朝国境沿いを南下します。ナローゲージに走る鉄路が俯瞰できる場所を紹介しますとの小竹先生のお言葉にナローファンとしては楽しみに出発しました。
01_地図03_1▲ 赤線が今日の走行移動軌跡です。南坪から下が目的地なのですが直前で和龍に向かっています。その訳は・・、予想だにしない事件が発生しました。

04_地図基本03_17:30 ホテルをチェックアウトしてチャーターしたTaxiでまずは水灣~訓戒に架かる断橋を目指します。

DSC_1568_114 DSC_1592_117▲ 8:01 訪問3回目の琿春図們鉄路橋に到着。前回(2013年5月前々回(2012年11月に来た時とは違って川は凍結していました。見つからなければ双方から歩いて渡れます。
昨日は運良く国境列車が来ましたので今日もひょっとしたら前回のように北朝鮮の列車がやって来ないかとちょっと期待しましたが、残念ながら今日は来ません。ここは他の国境の橋と違って警備兵の巡回もなく気にせずに撮影ができますが、3回目となると新しく撮りたいようなカットはありません。周囲を歩いてアングルが違ったカットを撮るのみでした。

[googlemap lat=”42.903930054296005″ lng=”130.2257432937622″ align=”center” width=”550px” height=”350px” zoom=”16″ type=”G_HYBRID_MAP”]琿春図們橋[/googlemap]
02_1【不運の鉄路】
1932年に「珲春鉄路」が設立され、1935年に満鉄北鮮線の訓戎~珲春(14.8キロ)が、762mmのナローゲージで開業しています。訓戎~水湾に架かる国境の橋はこの時に建設されました。
1938年には、「東満洲鉄道」に買収され、1939年には輸送力増強のために1435mmへと改軌されました。国境の橋も、この時点で付け替えられています。その後、珲春以降の延伸が続きましたが、1945年のソ連の突然の侵攻によりソ連軍の進路を絶つために日本軍によって豆満江に架かる鉄路橋・道路橋とも破壊されました。そしてこの鉄路も消滅したようです。わずか10年で消えた不運の鉄路です。

DSC_1601_118 DSC_1607_120DSCN7530_127DSCN7524_126▲ 橋の両岸にはトーチカが設置されました。今の内部は物置に使われています。

DSCN7534_128▲ 道路橋の方はトウモロコシを干す場所に使われています。こういったのを見ていますと平和を実感します。

DSC_1616_122▲ 10:11 南陽図們橋を見下ろせる高台に到着。ご覧の通り今日も曇りで霞みがかかって対岸の北朝鮮南陽の街は薄っすらとしか見られません。
いつものように踏切に行き踏切番に北朝鮮からの列車は今日来るのかを聞いてもらいましたところ、来るが時間は定かでないとの返答でした。

DSCN7557_100▲ 説明が遅れましたが、長春で買ったSIMカードのおかげでipadが復活、現在位置が確認出来るようになりました。そして今までは中国ではGoogle地図が見られないために中国のSOS地図か百度地図を見ていました。ただこれでは航空写真が見られず、またipadのGPSとは連動できず、移動の際にナビゲーションとしては使用できませんでした。ところがふとYahoo地図に切り替えてみますと、見られることを発見しました。
ただ中国を見る時、一般の地図と航空写真では誤差が生じるようになっています。一般地図では表示に300mほどの誤差を生じますが、航空写真ならほぼ合っています。車で走っていても現在位置を見て行けます。今回、ナビゲーションとして大いに役に立ちました。

DSCN7575_129DSCN7569_100▲ 前回までは登るのに苦労した南陽図們国境橋の俯瞰撮影も立派な観光用の階段が出来ていて上には展望台が設置されていました。これで容易に国境の橋を撮影できるようになりました。

ここで列車が来るであろう昼過ぎまで粘ろうかとの話も出ましたが、煙っていて撮っても昨日同様です。帰りに再度立ち寄りますのでその時に行おう、今日はTaxiをチャーターしていますのでナローゲージが見えると言われる南坪の先に行く事にしました。
DSC_1622_101▲ 小竹先生はまず図們から対岸の南陽に向けてDLの回送がある。そして南陽に置かれた貨車を牽引して渡ってくると申されます。望遠で南陽站構内を覗いてみますと北朝鮮のDLが入れ替え作業をしているのが見えました。

DSC_1629_103DSC_1629_120▲ 11:57 南陽から1つ目の駅「江陽」です。今までは1枚だった写真が金親子の2枚に増えています。

DSC_1635_104▲ 11:47 Google座標;42.659309.129.72217
開山屯~上三峰に架かる国境橋は現在道路橋として使用されています。今回は見るだけで寄りません。このまま走り道から見えたのは次の駅、間坪です。

DSC_1640_200▲ 12:24 国境沿いを走って行きますが、食堂が見当たりません。これから増々過疎地帯を行きますので途中で人間も車も燃料補給が必要です。人家が密集している地域に入りましたのでここなら食堂はあるだろうと探しました。ところがご覧のように人が歩いていません。開山屯と同様にひと気のない町です。万屋で食堂を聞きますが「没有」ばかりの返事です。
車をゆっくりと走らせながら窓から、路地奥に町1軒の食堂を見つけました。
場所は北朝鮮側の鮮鉄の会寧炭鉱線が分岐する会寧の1つ手前站の対岸です。
[googlemap lat=”42.474991″ lng=”129.73828100000003″ align=”center” width=”550px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_HYBRID_MAP”]会寧[/googlemap]
DSCN7582_132

DSCN7589_133▲ 12:37 やっと見つけた地元民も知らないような食堂ですが結構まともな物がメニューには載っていました。お昼ですので水餃子とワンタン等を注文です。

DSC_1645_105[googlemap lat=”42.431149″ lng=”129.643463″ align=”center” width=”550px” height=”300px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]会寧炭鉱[/googlemap]
▲ 14:33 道路から北朝鮮の町が見えましたので止まっての撮影です。場所は会寧中心部から南に約10キロ、会寧炭鉱線の終点鶏林(계림역)から少し先です。
会寧(회령시)は李氏朝鮮の時代には流罪の地、朝鮮にあっても辺境の地だった所です。現在でも北朝鮮最大の強制収容所であるそうです。昔からこの炭鉱では囚人や政治犯たちが働かせられているのでしょうね。

DSC_1651_106
▲ 13:41 少し行ってから川べりにクレーン車があったので不思議に思い止まってみました。望遠で見ると確かにレールがあり、前後に稼動できるようです。豆満江へ下りる通路が設置してあるところから船輸送での積降に使用されているものかと思われます。

DSC_1659_107 DSC_1660_108▲ 豆満江沿いの国境沿いの道をひたすら南下していきますが、すれ違う車は殆どありません。勿論、信号などなく鉄条網が続きます。50~100km/hで快走していきました。ipadでナビゲーションをしていますが、途中何回も携帯電波は切れて、「圏外】表示になります。辺境の地のようです。

[googlemap lat=”42.305102357916226″ lng=”129.19409036636353″ align=”undefined” width=”550px” height=”320px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]南坪手前交差点[/googlemap]
【 検問に引っかかる 】
15:12 もうすぐ南坪です。前回2013年5月に訪問した時に通った道に入ろうかと向かいますと前方で検問が行われているのが見えました。丁度和龍から南坪への道路とT字路交差点になっていて迂回する道路はない場所です。今までも何度か検問には合っています。トランクを開けられての荷物検査とカメラで撮った画像チェックがあって面倒なものですが、おとなしく指示に従わないと大変な事態になります。既に韓国人の乗った車が検査を受けていましたが、今までよりも念入りにやっています。

若い兵士たちに囲まれて、我々の順番になりました。パスポートのチェックから始まります。次にトランクからキャリアケースが出されて、開けて1つ1つ不審な物がないか確認します。次にカメラですが見せていると途中から取り上げられました。上官へと持っていきます。そして、国境を写している写真が多い、なぜかと聞かれます。撮影禁止場所で撮影した画像ではない事を説明しますが分かってはもらえません。とにかく国境の光景はダメだと画像を1カットずつ見ながら片っ端に消していきます。こうなれば逆らってもダメです。諦めて好きにさせました。
カメラにはRaw用のCFカードとJpg用のSDカードの2枚を装着していました。昨日までの画像はカメラのモニターでは見えないように非表示処理をしていましたが今日の画像はまだ未処理です。多分今日のCFカード画像はやられたなあと思いました。まあ同じ画像がJpgにもありますし、後で復元ソフトで復活できますので手間が発生した程度の事です。

これで済めば良かったのですが、様子が今までとは違っています。小竹先生は今回の訪中は30日間にわたっています。東北⇒广州⇒紛争の多い新疆ウィグル自治区の哈密⇒東北と移動距離が半端ではありません。私もパスポートには多くの国と中国の出入国印がこれでもかと押されています。普通に考えても疑られる要因を持っています。
しばらく待ての指示がでました。どうやら不審者と見なされたようでさらに上の上官を呼んだようです。面倒なことになりました。

約30分後にパジェロに乗って公安官がやってきました。もうカメラは関係ありません。パスポートを見ながら行動経路の確認と理由を尋ねられます。長々と質問返答が続きこれで終わりかと思いましたが、まだ待てです。付近はだんだんと暗くになってきます。
そして夕闇になった約30分後、またパジェロが止まり、数名が出てきて同じ質問でした。

16:45 検問に引っかかってから約1時間半余り、最後に南坪方向に進むのは禁止を申し渡され、ようやく解放されました。こんな事は小竹先生と私は慣れっこになってきていますが運転手も姜小姐も初めてです。動揺されておられました。

もう目的地には行けません。仕方なくT字路を右に和龍を目指すことにしました。運転手には途中で琿春に返ってもらうつもりでしたがこんなに遅くなっては迷惑です。明日午前中も利用します、今日はホテルを用意するので和龍で宿泊されてはいかがですかと先生が申されて了解されました。
17:24 和龍に到着。宿を探して1688商務賓館にチェックインしました。
DSCN7620_143 DSCN7624_144

DSCN7608_139

DSCN7614_142▲ 18:30 休憩してから夕食です。

黒い餃子は初めて見ました。お味は餅粉でもっちりと、していました。

明日からの予定ですが南下出来ないので、これから先の中朝国境線視察は今回これで切り上げです。図們に戻り北朝鮮からの列車撮影に切り替えました。

執拗な検問審査に今回はマイッタ、何度も来ていればこんな事もあるだろうと諦めの就寝でしたが、ネットを見ますと年末に北朝鮮軍の兵士が凍った豆満江を超えて中国に不正入国、住んでいた中国住民の数名を殺害した事件があったと報じています。外国からの報道関係者が押し寄せる事となり、これを嫌った政府からの指示により外国人に対する周辺入場規制と警備が行われたようでした。しばらくは近寄れないでしょうね。とんだ事があった1日でした。   Part14へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください