前回投稿会津(滝ノ原)線撮影の翌日、磐越西線を訪れた時の記録です。この線区の機関車は、若松のD50、郡山のD60、それにD51、DF50と多彩でした。その内からD50、D60中心の写真です。
この日は好天で、残雪の磐梯山を終日眺めることができました。先ずは夜明けすぐの貨物。朝日を浴びてD50の登場。
▼貨1282レ 機D50369【若】磐越西線・翁島--更科信号場間 1965.5.5 10606
磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。
次にやってきたのは、上野発の福島行きを郡山で分離、会津若松行きの、1等車を多数併結しているが、急行扱いでない夜行列車。若松着が8時過ぎ。10時には折り返して、郡山で福島発と併結、今度は急行で上野に向かう。
▼臨時客3217レ 機D6012【郡】 同上区間 同日 C1115
上野発福島、会津若松行き
郡山区のD60は普段、磐越東線が働き場所と聞いていたが、臨時列車の西線に駆り出されたのだろうか。
▼臨時急客3208レ D6012【郡】同上区間 同日 10709
会津若松発、郡山で福島発と併結、上野行き急行。
▼同上列車
晴れ渡った磐梯山が綺麗。麓を行くのはD50牽引の219レ郡山発新津行き。
▼客219レ 機D50369【若】同上区間 同日 10715
▼貨274レ 機D50377【若】 同上区間 同日 C1206
このD50は重油併燃装置を付けていなくて、特徴ある蒸気ダメと砂箱の丸坊主頭が光ってよく見えます。1930年日立製作所製である。
突然話は変わりますが、亡くなられた澤村達也さんが愛して止まず、模型作りに精力を注いだ内の一つがこのD50でした。そんな澤村さんのD50造りがこのデジタル青信号にも登場していました。
翁島から更科信号場を経て、大寺(現・磐梯町)に至るまでの線路脇を歩いたのだが、急勾配の上り区間が続き、その勾配を緩和するために馬蹄形のカーブが何箇所にも及ぶ。磐梯山が右に・左に、列車の前方に後方にめまぐるしく変化する所でした。
更科信号場に到着。早速やってきたのがD51曳く貨物。
▼貨1281レ 機D51238【若】 更科信号場 同日 10721
変わった重連がやって来た。D51と逆向きのD50。
▼貨262レ 機D51358【若】+D50327【若】 更科信号場-大寺(現・磐梯町)
同日 10812
▼同上 10814
会津若松に戻ると、先のD50が休んでいた。ヘッドライトが変わり、化粧煙突はその姿が消され、重油併燃装置で流線型の砂箱も後ろに隠されている。デフレクタと運転室の形状、それに炭水車のリベットなどがやっとD50の特徴を残している様である。撮影した時、でっかい機関車だと思った。
▼D50327【若】 1929年・汽車製造
SLの他に、DLも。
▼客222レ 新津発郡山行き 機DF50568 更科信号場-大寺(現・磐梯町)間
同日 C1212
最後に、DC列車。
▼910D 準急『あがの1号』仙台発新潟行き。翁島-更科信号場間 同日 C1202ここに紹介の画像の他、その他の画像も若干あります。HP磐越西線もご覧ください。
tsureukame様
磐梯山とD50は湯口先輩の作品が有名ですが、tsurukameさんも貴重な写真有難うございます。特に臨時とは言え、D60牽引の急行は始めて見ました。私も辛うじて磐西のD50の列車とD51牽引の急行「ばんだい」をキャッチすることができた世代です。磐西訪問時は川桁の旅館に泊まったものの沼尻鉄道には興味がなく今思うと惜しいことをしたと思っております。近年、車で大寺~翁島あたりに連れて行ってもらいましたが多分ぐるぐる回って登る線路は昔のままではないかと思います。磐梯山は明治の噴火後の山容ですが、磐西の磐梯山をバックにしたあの付近の連続カーブの続く風景は蒸機時代はさぞよかったであろうと思います。D50が居た信越本線、磐越西線は最も蒸機の似合う風景と聞いたことがあります。
準特急様
早速に閲覧頂きありがとうございます。先日の会津線に続き、約3年振りにHPを更新しましたので、デジ青にも投稿しました。陸羽東線も近く投稿予定です。
筆者が撮影したD50は、信越線と釜石線です。信越線の機影は遠くて不鮮明。釜石線のそれは、雪と角型の排煙装置で、らしさが見当たりません。今回は斜め正面ですが、D60と共にまずまずでした。奥山さんの写真にも、ヘッドライト、化粧煙突、蒸気ダメ、砂箱の4拍子揃いはなし。ヘッドライトが卵型になっただけで、他はOKの平区のD6047が1枚あるだけでした。
大寺-翁島間に何箇所もある馬蹄形カーブですが、高原の上り下りで傾斜が急な為は兎も角、何故あんなに何度も、曲折しているのかよく判りません。中央の道を車で追えば、同じ列車を何度も撮影できるのではないでしょうか。
話が全く変わり、しかも公共の場を借りて私話で申し訳ありませんが、準特急さんの故郷の武庫川を河口から水源地まで、川沿いを徒歩で辿る計画を実行中です。現在4日間で宝塚市と伊丹市の市境まで来ました。これから宝塚、生瀬、武田尾、道場と険しい路を辿ることになります。この間の様子は拙著ブログ『気付くままカメラに』でご覧ください。ブログは2,500回に到達し、もう止めようと思うのですが、大津の86さんには続けてくださいとの激励を頂いています。