準特急先輩より1月27日【55451】で会津柳津駅前に保存されているC11244が紹介されたが、何となく気になるナンバーであり、記憶を辿ってみた。
昭和49年のゴールデンウィークのこと、京都を「きたぐに」で出発し、長岡で信越本線の旧形国電、越後交通栃尾線、長岡線を撮影後、加茂から蒲原鉄道を訪れ、五泉で会津若松まで行く最終列車に乗り、上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、郡山駅で仮眠をして上野発夜行「あづま」2号で仙台入りした。
仙石線と市電を撮影後、磐越西線の川桁で宿泊して、翌朝の一番列車で喜多方に行った。
この日の目的は日中線の乗車と撮影であったようである。
朝の列車には間に合わず、次の列車は夕方の16時4分で、日中の運行は無い。
当時1時間に1本程度運行されていた喜多方~会津坂下間のバスで会津坂下に行った。この区間は鉄道はU字形に迂回するのに対し、バスは最短距離で結ぶため所要時間、運賃ともに優位であった。
会津坂下に行っても只見線は列車本数が多い訳でもなく、その辺をブラブラしていると、貨物列車が来る時間でもないのに汽笛が聞こえ、門デフのC11254とC11244の重連がやってきた。
C11244は綺麗に整備されていたが無火であった。暫く停車後只見方面に発車して行き、暫くするとC11254が単機で戻ってきた。
バスで喜多方に戻り、夕方の日中線の列車で熱塩に行き、発車を撮影。最終列車で喜多方に戻り、会津若松から上野行夜行急行「ばんだい6号」に乗車、翌日は青梅線と南武線の稲城長沼で撮影後、新幹線で帰京した。
この年の9月15日、16日に再度只見線と日中線を訪れ、会津柳津駅前に保存されているC11244を撮影した。この時は多分田淵君と一緒で、悪天候のため途中で会津坂下から会津若松行のバスで帰られたように思う。
夕方まで撮影して「ばんだい5号」で上野駅に到着後、直ぐ東京駅から「銀河」に乗車した。
翌朝、何食わぬ顔をして出勤すると、上司から直ぐ「名古屋の取引先に行ってくれ」と言われ、新幹線で往復した。サッサと仕事を済ませて名鉄瀬戸線でも撮影しようと思っていたが、予想外に仕事が長引き、諦めて帰ったことを覚えている。
藤本哲男様
充実した旅の思い出を有難うございます。今では新幹線等の利用で効率よく撮影できますが、当時の夜行列車の利用、特に旅館替わりに使用した深夜の上下列車の乗り継ぎは効率を高めてくれたものでした。こういう経験は高年齢に達したOB諸氏にもそれぞれあると思います。門鉄デフのC11など九州以外でよく撮られておりますね。信越線、仙石線、南武線、青梅線の旧国や越後交通栃尾線・長岡線、蒲原鉄道等々、短くて結構ですからどんどん発表して下さい。
準特急様
コメント有難うございます。
C11244が保存のため会津柳津駅まで回送するところを偶然撮影していましたので投稿しました。
C11244を牽引したC11254は会津田島駅前に保存されています。
昭和45年10月、早岐から会津若松に転属して50年1月廃車になっています。
藤本哲男様
C11244の保存のための回送とは非常にレアなケースに遭遇したのですね。門鉄デフC11254の方も保存地が会津田島ならそのうちに行きたいと思っております。と言いますのは東武浅草から6050系快速による最も長距離を走る列車が会津田島行であり、この列車を現地で撮影して発表したいと乙訓の老人さんに話をしたことがあるからです。それにしても藤本さんが国電やローカル私鉄のみならず国鉄蒸機にも目を向けておられたとは改めて恐れ入りました。情報有難うございます。