愛知県刈谷市の交通児童公園(駅から徒歩10分)に保存されているD51777。1944(昭和19)年9月大阪の汽車製造会社製造で製造番号は2260。履歴の概要は多治見→米原→多治見→名古屋→中津川とあり名古屋鉄道管理局管内で一生を終えた様である。廃車は1972年9月である。
屋根付きで綺麗に保存されていた。ナンバープレートは青の中津川色である。名古屋は赤ナンバーが有名であるが私の好みは緑である。撮影は2012年12月26日▼
続いてその現役末期の頃で1971年9月24日上松駅出発の下り貨物列車の姿である。この日はDRFCの諸氏と寝覚ノ床が見える旅館で1泊した覚えがある。▼
蒸機の保存地にはよく市電などが近くに保存されている。これは名古屋市交通局1603号で1951(昭和26)年11月日本車両製造であるが、詳しいことはわからない。▼
本題の付録の名古屋市電の1600型1657号の走行写真です。これも当時何でも撮ったということがご自慢のFさんに場所を教えていただき単線閉塞の専用軌道を撮りに行った時のものです。何でもこの下之一色線は1954(昭和29)年12月に日本初の路面電車によるワンマン運転を行ったとのことです。なお、1600型は全部で76両あったというから数もそこそこあったようです。
これが名古屋市内?
伏見線より田舎やね!
左上に二つある信号灯みたいなのはナニ?
米手作市様
コメント有難うございます。また、山陰旅行お疲れ様でした。
先日申し上げましたように知識のない私には質問しないで下さい。名古屋市電が保存蒸機の横にあったためその保存市電と同型を特色ある下之一色線で撮っていたのを掲載しただけで、これは名古屋市電や下之一色線のワンマンカーに詳しい方がおられると思います。勿論理解している内容ならご返事致しますがコロナ禍での病弱の身ですので投稿だけで勘弁してください。
まだ、行っていない。
名古屋市電については門外漢ですが、「津島軽便堂写真館」というサイトに下之一色(しものいしき)線が出ております。
米手様の御質問の「信号灯のようなもの」は、後続車確認標識灯だそうです。単線で交換するときに続行運転の有無を表示するもので、下之一色線の車輌特有の装備らしいです。
1600形は昭和25~6年に製造された半鋼製車で、長さは11.586m、自重は14トンと世界の鉄道1964年版に載っております。
紫の1863様
「後続車確認標識灯」とは、初めて聞く標識灯です。
いろんな事が分かりました。ありがとうございます。
紫の1863様
総本家さんの投稿などにコメントをいただいてお名前は存じあげております。私の知らないことにお答えいただきありがとうございます。
準特急さま
遅まきのコメントで失礼します。スリー7のD51の保存を見せていただきました。名鉄局の蒸機のプレートには、地色が赤、青、緑に塗られて、区ごとに区別ができました。京都から上り列車に乗ると、米原まで来ると、緑のナンバーを付けたD50に出会い、“もう名古屋圏に入った”との思いを強くしたものでした。準特急さんは、緑がお好きなようですが、私は希少性のある青のほうが好みでした。先日、長浜の鉄道ミュージアムへ行ったところ、保存中のD51793は、緑プレートでした。
総本家青信号特派員様
自分の考えや好みを堂々と述べることは大変結構なことだと思います。育った環境や感動したシーンも人さまざまですからいろいろ意見があって当然です。特に総本家さんは蒸機や京都市電など自分の経験を通して自分の意見でシリーズ投稿しているところがえらいと思います。総本家さんが見てくれた私の生家の近くを走っていたのは中津川区のⅮ51でナンバープレートは全部が全部青ではなくむしろオーソドックスな黒に金文字の方が多かったように思いますが、青も黒も石炭の煤でくすんでいたのかもしれません。名古屋区のC57は強烈な赤が印象に残っています。私が緑が好きなのは熊本区のC60や門デフのC11、D51等で見たのですが何とも言えず綺麗なナンバープレートに見えたからです。もっともカラーで撮っていないので記録に残っていません。記録と言えば趣味誌で宮原区の緑ナンバーのC62のカラー写真を見たのですが特急牽引機であったこともあり一度現物を見たかったと思ったくらいです。保存機をスリー7のD51と呼んでいただいたので又ここで脱線して京王相模原線の準特急橋本行きフォー7を載せました。2019年元旦の撮影です。
準特急さま
フォー7の写真、ありがとうございます。関西では、京阪のフォー5がいよいよ危ないと話題になっているようです。蒸機のナンパープレート色、名古屋以外でも、九州にもありましたね。ただ、煤で汚れたり、末期は他区からの黒地が転属したりで、なかなか統一感が無かったような印象でしたが、中津川といい、熊本といい、準特急さんゆかりの地の蒸機が、色地のプレートだったのですね。
添付の写真は、先月、今庄で写した保存機D51451ですが、前歴は浜田で、色プレートとは縁の無い区ですが、強烈な赤に塗られていました。
今庄でしたらD51451ではなく、D51481ではないでしょうか。
画像は総本家さんが多賀のD51スリー999(本当は1149)に忍び込むところをとらえた貴重なものです。これも赤プレートですね。
井原さま
おおっ! これは、髪の毛が辛うじて残っていた十数年前の貴重なシーンではありませんか! 懐かしいです。みんなで行きましたね。ここに保存されていたのが、スリー9のD51だと初めて知りました。いまも在るのでしょうか。