保存蒸機とその現役時代(1)

2010年8月26日、残暑厳しい木曽福島でホーム横にD51775が保存されているのを見て1枚だけシャッターを切ったのがこれ。あとで調べてみると現役時代の同機を撮影していることがわかった。その後いろいろ調べてみると全国各地で結構な数の蒸気機関車が解体されずに保存されていることを知った。皆さんも旅の途中どこかの駅前、公園、学校等に保存されている姿を目にしたことが一度や二度ではないと思う。それなら全国で保存されているのを片っ端から撮ってやろうと思い、最近撮影を始めた。こういう鉄道趣味のジャンルでは元大洋、巨人で俊足好打で鳴らした屋鋪要選手が有名であるが、私の場合は特に現役時代に撮ったものと比較掲載をしてみたい。D51775号は1942年度汽車製造会社製である。

D51は大きく分けてナメクジドームの初期形、標準形、戦時形に分けられ、標準形が圧倒的に多い。この775号機も標準形であるが、煙突がやや短い。C57にも煙突の短いのを見かけたが、多分、下3枚の現役時代の写真に見られる集煙装置をつけた影響ではないかと思う。

2010.8.26 中央本線木曽福島 D51775ゆかりの地の保存である↓

s-10 08 26木曽福島D51775

 

糸魚川時代のD51775

DRFC同期生のSさん、Tさんに見送られ夜行で北陸・信州に向かった。翌朝、筒石で下車。この時の日誌には「D50、C57を期待したが、C57は1回来ただけ、D50は休車状態。殆んどがD51でうんざりした。雪も期待したが冬の日本海の冷たい風に悩まされ早々と切り上げる。」とある。1966.2.12北陸本線筒石付近 直江津8時16分発236列車米原行き20分遅れで通過。因みにこの列車の米原到着予定時刻は18時14分である。↓

s-66.2.12筒石D51775

 

中央本線(西線)重連仕業

1973.1.21中央本線贄川付近を下るD51775[木曽福島]+D51201[中津川]↓

s-73.1.21贄川D51775横_edited-1

1973.1.21 中央西線贄川付近を上る上り貨物D51775[木曽福島]+D51201[中津川]  この日は大糸線の旧型国電を撮った後現地入り。既に客車列車はDD51が牽引し、蒸機も晩年の姿であった。直ぐ上の写真と同じカマなので塩尻で折り返してきたのだろうか。冬は日が暮れるのが早く、駅に向かう途中で撮ったものと思われる。2台目の機関車は斜め光線を受けてつぶれている。↓

s-73.1.21贄川D51775斜前

 

 

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