保存蒸機とその現役時代(38)

皆さんの恵那・明知(明智)旅行前後の報告も楽しく拝見させていただいたが、私は2日目のお弁当列車を失礼して南木曾の保存機D51351の撮影に向かった。前回デジ青での保存機発表は2016.12.27付[80204]で千葉県の久留里線小櫃駅近くに保存されているC12287であった。既に忘れられた投稿であるが、西村さんから応援の声をいただき再び老骨に鞭を打って再開した。ここは駅から近かったが保存機訪問は屋敷さんのように若くないので結構大変である。

南木曾は以前三留野と言ったが駅から300mくらい名古屋寄りに戻った旧線跡の公園に雨ざらしで保存されていた。妻籠宿に向かう外国人が多数通っていく途中に保存機は鎮座している。以前の画像を見ると保存機は相当壊されたりして荒れていたが私が訪問した時は厚化粧状態であった。

 

<D51351主な経歴>

1940年(昭和15年)2月日立製作所笠戸工場製 製番1230  新製後福井、金沢、富山等に配置され北陸線方面で活躍。その後1965年(昭和40年)10月新庄、横手に転属し奥羽本線方面を走った。1971(昭和46年)年10月には木曽福島に来て1973年(昭和48年)7月まで中央西線を最後の働き場所とした。

1973.01.21 贄川のD51351[木曽福島]  集煙装置をつけているが東北からの転属機であることが前照灯横に設置された予備灯の存在でもわかる。 ▼

 

2018.05.27 南木曾のSL公園の同機で補助灯は外されており、煙突も集煙装置の関係か短い。 ▼

 

 

 

保存蒸機とその現役時代(38)」への9件のフィードバック

  1. 準特急さま
    あの保存機はD51351号機でしたか。165系電車やEF64を撮りに行っていた頃に車窓から何度も見ていました。しかしケシカランと怒られそうですが、いつも旧線跡に目が向き、あぁなんかカマがいるなほどにしか見ていなかったのです。ひょっとすると先日恵那山荘で見て頂いた中に映っていたかもしれませんね。いつも撮る方に気を取られて車番等は確認していないのですが、木曽福島区への転属と撮影時期が丁度重なっていますので、可能性としてはあるかもしれません。
    電化前には客車列車はDD51牽引になりましたが、D51はやはり中央西線(東線も電化までは)の主でした。高1の春に一筆書きで信州のローカル線に乗りに出かけた際に、名古屋から臨時夜行準急「おんたけ」で早暁4時半の塩尻(もちろん旧駅)に着き、ホームの洗面台で顔を洗っている横を重連の牽引機が白い蒸気を吹きながら機回しで通過していったことや、途中深夜の中津川へ緩い左カーブで下りこんで(名古屋方向からは下り勾配)到着したことなどが走馬灯のように想い出されます。やはりD51の重連はそれなりの迫力がありました。
    保存機探訪途中で時間がありましたら、原野~宮ノ越間にある「中央線 東西接続碑」なども訪ねてみて下さい。

  2. 準特急様
    新旧対比、楽しませてもらいました。東北からの転属機が木曽福島にいたのですか、初めて知りました。通常、移動があった場合、転属先の仕様に改められることが多いと思いますが、蒸機末期のため、調子のいいカマをつぎつぎ回していた時期で、補助灯つきのまま使用したのでしょうか。ただ、集煙装置だけは、必須ですから、取り付けたのでしょう。
    余談ですが、明知ツアーのあと、恵那で宿泊したホテルの向かいの恵那市立中央図書館に、C1274が保存されているのが、部屋から眺められました。トレインビューホテルならぬ保存機ビューホテルを楽しんでいました。

  3. 1900生様
    D51351は予備灯で判断ができるかもしれませんが1900生映画社に収まっていると思いますよ。懐かしい思い出話有難うございます。私も1965年7月16日に名古屋から準急「おんたけ」に乗車していました。名古屋駅では夜行列車の気動車急行「あずみ」、臨時客車準急「おんたけ」、客車準急「きそ」は列に並ばさせられ強制的に10円払って椅子に座らせられましたが、冷房が効いていて快適に過ごせました。「おんたけ」はD51171[中津川]牽引で先頭の蛍光灯のスハフ42295名ナコに乗車したが2両目の補助椅子付きの白熱灯のオハ351220名ナコに移動しました。乗務員氏に話しかけると「中津川で交代するが、塩尻まで通しでの乗務もある」と言われました。「塩尻に行くともう電車がいるからな」と少し寂しげな様子でした。多治見から重連となり、夜が明け目が覚めると方向が逆になっていたので塩尻を通過したことがわかりました。雨になりましたがそれだけに重連の姿が魅力的に映りました。とまあこのように記録していますが、当時の中央線の準急は東線の「穂高」を含め現在の「しなの」や「あずさ」よりも貫録のある列車にみえました。

    • 準特急さま
      「おんたけ」に乗っておられましたか。小生はたぶん1965年3月に乗っていますから、半年ほど前になりますか。細かくメモを取られているのはさすがで頭が下がります。この時は車両番号すらメモせず形式も定かに憶えておりません。名古屋駅で確かに別スペースに並びましたが、10円支払って椅子に座った記憶はありません。夏季と違い混雑防止より整理が目的の並びで、強制ではなかったようです。名古屋発の夜行(今や死語!)にはキハ58系の急行「あずみ」とネとロを連結した定期準急「きそ」がありましたね。小生は「あずみ」では塩尻に早く着きすぎてかつ急行料金が高いこと、「きそ」は定期で車両もいいから混むのではと思い、臨時の「おんたけ」にしました。この時は塩尻から東線で小淵沢へ向かい、初の小海線乗車でした。塩尻では松本4時発の新宿行客レに乗継ぎましたが、D51が4両の客車を牽いて旧線の善知鳥峠を今にも止りそうな低速で喘ぎながら登ったことや、青柳から先で右側車窓から見た早朝の南アルプスの風景が、あたかも額の絵を見ているようで感動したことなどが想い出されます。

  4. 総本家青信号特派員様
    D51351の新庄区時代の記録がありました。早朝の奥羽本線の院内駅で撮影したもです。東北の蒸機は予備灯ともうひとつ旋回窓もその特徴ですね。

  5. 準特急様
    保存蒸機探訪、新旧比較シリーズの再開ありがとうございます。南木曽のD51351保存機ですが、ロッドの位置がベストの角度ですが、ここに保存設置する際に意図してこのような状態にしたのでしょうか?多分偶然なのでしょうね。あの巨体を持ち上げて車輪の位相を変えるのは至難のわざでしょうから。決してプレッシャーをかけるつもりはありませんが、続報を楽しみにしています。

    • 西村雅幸様
      せっかく保存するなら西尾克三郎さんの公式写真のようにベストロッド位置にすべきと思いますが、さまざまですね。今回の保存機は厚化粧で現役時代にはどの蒸機に接してもこのようではなかったですね。

  6. 準特急さま
    私もD51351の東北における現役時代の写真がありました。昭和44年7月、下り急行「津軽」の車窓からの撮影で、場所が不明です。なお、中央西線ではこの機関車は撮影しておりません。

  7. クモハ73106東ウラ様
    有難うございます。東北にお強い東ウラさんですがそれにしても早い時期からのご活躍ですね。ご活躍と言えば本日小田急LSE7000形の特別団体江ノ島行きを江ノ島線で撮影してきました。情報有難うございます。

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