【98143】保存蒸機とその現役時代(39)

今回は大物登場である。ハンサムボーイC59の1軸従台車を2軸に改造(パシフィックC59→ハドソンC60)して軸重軽減をしたC60型蒸気機関車である。戦後の東海道本線電化進捗に伴い特甲線の東海道、山陽本線等からC59の戦前製39両、戦後製8両計47両が乙線規格の東北本線、常磐線、鹿児島本線、長崎本線等に使用するため改造されていった。私はC60全機39両中27両をカメラに収めることがことができたが、トップナンバーはついぞ見ることができなかった。そこで当会の奥山先輩にお願いしてTsurukame先輩監修の「奥山さんの機関区めぐりhttp://kikanku.web.fc2.com/」から該当機の記録写真をお借りして新旧対比とさせていただいた。スモークデフレクター(除煙板)下部の切り取りは行われておらず原形を保っているが煙突まわりの囲いと予備灯は典型的な東北タイプで秀麗なC60にしては少し残念な姿に変身している。撮影地は尻内機関区ということで今の方はあまり馴染みがないが、その尻内は1971年(昭和46年)に八戸に改称されている。東北のハドソン機C60、C61は平、仙台、盛岡、青森各区で撮影されたものは見かけたが尻内区での撮影は珍しい。C601は1941年(昭和16年)に日立笠戸工場で製造(製造番号1511)されたC5927で当初は姫路区に配属されて山陽本線を中心に活躍した。1953年(昭和28年)に浜松工場でC60に改造され尾久区に配属された。その後直ぐに盛岡区に転属し廃車される1968年(昭和43年)まで仙台~青森間の旅客列車を中心に貨物列車、急行列車の補機も担当した。

1966.08.09 尻内機関区 ▼

C601の保存地は仙台市青葉区の西公園で仙台市、元国鉄のOB方々、保存会の皆さんの努力でかつての保存状態よりもより綺麗に整備された姿となって保存されているのは嬉しい限りである。 2017.09.11▼

 

保存蒸機とその現役時代(39)” への15件のコメント

  1. 準特急様、
    ごめん!探したけど近似値しか無かった。前後賞で勘弁してください。

  2. 米手作市様
    近似値であろうが前後賞であろうが、あの頃の写真を有難うございます。これはどこで撮られたのでしょうか。画面左側に少し見える跨線橋やテルハらしきもので大きな駅であることは推察されます。C602は元C5962でC601と同じような経歴をたどり盛岡で生涯を終えたようです。

    • 一ノ関だったと思います。
      私も貴兄と同じくC59こそが国鉄大型蒸機の完成形だと信じております。C57ほどキザではなく、C62ほどチヤホヤされず、それでいて実力は第一級で戦後の復興に尽力していながら動態保存はされていない、古武士のような日本人の心に響く生き様に感銘しております。

      • 米手作市様
        面白い表現ですね。世間ではC57は貴婦人で有名ですが、例えば京都駅で言えば東海道本線を特急を含め堂々と行き来したのはC59で端っこの山陰線でオハ61等を牽いていたのがC57でした。C59が好きな人は御年寄りのファンには多いようです。C59の方が貴婦人と思うのは私だけではないと思います。C59はスハ43系が似合いますし、寝台車や食堂車を連ねた急行列車の先頭にもいけます。これに対してC57は普通列車や通勤通学列車などどちらかというと東海道、山陽本線の次のクラスの路線で黙々と働く割烹着姿のおばちゃんに見えました。ちょっとボイラが細過ぎて煙突が高過ぎる感じがしました。C57、C59それぞれおよそ200両の旅客用機関車でしたが、軸重の重いC59は改造されたC60を含め比較的引退が早かったので最後の呉線3両以外は知らない人が多く、もう少し長生きしたC57の方が身近で人気があったのかもしれません。

        • 同感です。
          そもそも「貴婦人」だの「ポニー」だの誰が言ったか知らないが、本人たちが一番恥ずかしがっているでしょう。
          C56なんて高原と言っても小海線だけで、ほとんどは越後線や木次線、山野線で一生を終わっています。ポニーどころかロバでしょう。機関車には貴婦人やスターは似合いません。みんな煙と油にまみれて戦後の混乱期を乗り越えてきた苦労人です。アホなネーミングを考えた人は鉄道ファンではありません。

          • 米手作市様
            徐々に米手さんの毒舌が出てきた感じで正しく昭和40年前半のDRFCを思い出します。ポニーの好きな1900生さんが真っ赤になって怒っているのではないかと心配しております。鉄道ファンは何事も美化して表現する傾向があります。北海のクイーン、スワローエンゼル、韋駄天男、どこどこの働き者等々、これは飛行機ファンにも言えると思います。

  3. 準特急様
    C60にはちょっと思い出があります。高校2年の春休み、初めて泊りがけの撮影旅行で九州に行きました。途中呉線でC59が撮りたかったのですが撮れず、鹿児島駅で撮ったのがC60でした。C59と似ているなと思っていたものの、その時は知らず、帰ってから機関車ガイドブックを見て、C59から改造されたのだと知りました。当時ハーフサイズのカメラでしたのでひどいものですが、今となってはそれなりに記録となるのでデジタル化しました。ところで撮ったのはC60107号機でC60の最後から2番目のブービー賞、米手作市様の逆をいってみました。ただ、100番以降は原型とは違うのですね。

  4. 大津の86様
    C59の1~100番は戦前製で、101~196は戦後製ということになります。1~100番を原形というなら101以降は原形と異なり船底テンダーが最も大きな違いに見えます。さらに外観上はテンダー台車や先輪の形状に違いがありますが、もっと内面上の性能等に違いがあるようですが私にはよくわかりません。大津の86さんの撮られた戦後製の方が好きだと言う人は多いです。電車少年こと乙訓の老人さんもC59の戦後製の長いテンダー付きが好きだとおっしゃていました。因みに常磐線上り「みちのく」で回送を兼ねたC62+C60戦後製の重連を撮影したことがありますが、長さはC60戦後製の方が長い、つまり日本の蒸機で一番長いのがC59戦後製(その改造機C60101~108)ということになります。写真有難うございました。C60九州型はデフの切り取りがあるものの綺麗ですね。

  5. 準特急さま 米手作市さま
    いえいえこの暑いのに顔を真っ赤にして怒ってなんかいませんよ。ご安心下さい。それにしても米手さまの毒舌、確かに絶好調になってきましたね。急に暑くなってきたのでいつも回りの早い頭の潤滑油が、ますますスベリ出したのかもしれないと思っています。が、いずれにしても昭和40年代前半のBOXの雰囲気を彷彿とさせる毒舌ではありますね。今から思うと、当時このような毒舌に打ちのめされて、泣く泣く家路についた会員は大勢いたはずなのですが、よく線路に飛び込んだりした会員がいなかったものだと思いますね。みんな毒舌に鍛えられてタフだったのでしょうね。それとも次回の反論・言い負かしネタを必死に考えていて、落ち込んでいる暇はなかったのかもしれません。
    ついでにC56と愛称ポニーについてひとこと。小生はあの愛称は、当時小海線を走っていた144・145・155?・159号機に与えられたものだと理解しています。決してC56全てを対象にしたものでは断じて無いと確信しております。こういうケジメははっきりしなくてはなりません。これをしないからC56160号機のように、殆ど入替くらいしかやったことのないドサ回り機が、あたかもC56の主のような顔をしてイベント列車で走り回るのです。
    ちょっと顔が赤くなってきたかもしれません。米手さま、これから更に暑くなりますから、余り熱くならないで下さい。
    あ~暑い暑い。

  6. 準特急様、1900生様、
    私が毒舌?BOXを思い出す?
    何を仰るうさぎさん!ですよ。あの当時の室町BOXには毒舌家がたくさんいましたね。本当によく泣かされました。こんな話を思い出しました。
    「京阪の車掌が淀川の向こうを走るP6に抜かされて、恨めしそうに涙をポロッと流していた」とか「正雀駅を通過するP6に乗っていた客が痔になった」「阪急京都線は、十三に到着する直前に追い剥ぎが出る」などです。分かる人だけに分かるお話でした。

    • 米手作市さま
      確かにわかる人だけにわかる話ばかりです。「京阪の車掌が・・」とは準特急さまの毒舌だったと記憶しますが、後の2題は紛れもなく米手さまの毒舌でしたよ。3行目の、よく「泣かされました」は「泣かしました」の間違いではないでしょうか?小生は泣かされた記憶はありませんが、準特急さまやY室君が泣きベソをかきながらBOXから帰って行かれたのをハッキリ憶えています。
      とまれ半世紀近く前に悲嘆の涙にくれたり、地団駄踏んで悔しがったりした間柄でも、今こうして友情を温めることができるのがDRFCの良いところだとしみじみ思います。

    • 「P6に乗っていた客が痔になった」は、正しくは「痔になり胃下垂になり難聴になった」です。私もその後遺症に悩んでいましたが、先だって西村さんからオロナイン軟膏を3個いただき助かっております。

      • すみません!なにせ半世紀も前のことで歳をとり、記憶も曖昧になっております。不正確なお話で、お許しください。

  7. 遅まきながら、私も保存中のC601を撮っていましたので、ご報告します。まだ市電が走っていた昭和51年、仙台の西公園に保存中のC601です。市電も入れて撮ろうと、一緒に行ったFさんと、苦労して撮りました。
    ことし冬の寒い時期、家族と青葉城へ行った帰りのバスの車内からも、保存会の努力できれいに整備されたC601に再会しました。

    • 総本家青信号特派員様
      「遅いがな」と言いながら有難うございます。相当荒れた保存状態を総本家さんご存知の元国鉄仙台機関区のOさん、同じく元国鉄で三田会のMさん、そして有名模型店やビルオーナーの三田会Iさん等々の方々が陣頭指揮をとられて今日の保存に至ったそうです。先日も信州飯田にD51の保存機を撮りに行きましたが見るも無残な保存状態でした。厚化粧でもナンバープレートが偽造品でもついていればよしとせざるを得ないのが実態です。C601はよく市電を絡めて撮られましてね。西公園は立派な公園で少し歩きますと仙台市営地下鉄がトンネルに入るところを俯瞰できる場所があります。奥山先輩や鶴先輩の記録に助けられましたが、尻内が現八戸というのも総本家さんの投稿で知った次第です。

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