保存蒸機とその現役時代(36)

数多いD51の中でもこの499号は後藤工場変形デフが特徴で一目見た時から忘れられない機関車である。撮られた諸兄も多いのではないか。

1941年(昭和16年)2月鷹取工場製造(製造番号27)で戦前、戦後は主に山陽、山陰筋で活躍し、晩年は福知山、亀山に所属して1973年(昭和48年)に廃車されている。

保存場所は近鉄・JRの津駅から徒歩で10分ほどの偕楽公園で近くには三重県庁があり、県庁横の陸橋からは近鉄名古屋線、JR関西本線を手軽に撮影することができる。

保存機は晩年の特徴である集煙装置や重油併燃装置がそのまま残っているがデフに付いていた後藤工場のマークは外されている。全体に厚化粧で現役時代の艶を感じないのは保存機の宿命であるがそれでも久しぶりに再会できたことは嬉しい。

2016.9.19 津市偕楽公園の保存機D51499 ▼s-16-9-19%e6%b4%a5%e5%b8%82%e5%81%95%e6%a5%bd%e5%85%ac%e5%9c%92d51499

現役時代は何れもDRFC諸兄に同行しての撮影。

1969.2.22 福知山機関区のD51499 デフに後藤マークがついている ▼s-69-2-22%e7%a6%8f%e7%9f%a5%e5%b1%b1d51499

 

1972.9.10 亀山駅出発関西本線湊町方面に向かう小荷物列車牽引のD51499 ▼s-72-9-10%e4%ba%80%e5%b1%b1d51499%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92

保存蒸機とその現役時代(36)」への4件のフィードバック

  1. 準特急さま
    D51499、特異な姿もあって、私にとっても最も思い出深いD51です。まず、高校生の時、鉄友と初めて行った福知山機関区で写したのが、このカマでした(掲示板にも掲載)、そのあとも山陰線で貨物を牽く姿を何度も見ました。山陰線で一生を終えるかと思いきや、突然の亀山区へ転属、今度は加太で出会うことになるとは夢にも思いませんでした。最期のころ、「柳生号」のヘッドマークを付けて、村田屋横の25‰築堤を、夕陽でギラリと輝かせて進んでいくシーンが忘れられません。

  2. 総本家青信号特派員様
    総本家さんなら当然撮影されておられるとは思っていましたが、米原といい、福知山といい高校生の頃から凄い活躍ですね。最近デジ青では蒸機は電車や海外に押され気味ですので山陰時代から柳生号までの姿を発表していただくと嬉しいですね。

  3. 準特急様
    保存機探訪が随分と会を重ねました。当機に我々加太会の時代(1963~68年)には残念ながら出会えませんでした。ピク誌などで見たくらいでした。特異な姿で大カーブを駆け上る姿を見たかったものです。

    そうですか?最近蒸機の話題が少ないですか。増やさないといけませんね。まだ実行できていない約束に、C57148と布原があります。今山陽電軌、九州の電車を準備していますが、蒸機も急がないといけません。

  4. tsurukame様
    当時のDRFCには「加太会」、「小海線を愛する会」の2大勢力がありましたが、このD51499は廃車前に亀山に来たようで「加太会」の方々でも撮影機会がなかったのかもしれません。総本家さんの発表を期待します。デジ青蒸機の話題ですが、tsurukameさんの加太、矢立峠、和歌山線笠田、飯山線、米坂線、山田線等々皆印象に残っております。カラーで見ると現在とは明らかに違う空気を感じるのです。山陽電車の古典電車もそうですが見ている人は見ています。阪急や阪神の吊り掛け特急、急行や播但線のC55等見たいものが山ほどあります。発表を宜しくお願いします。

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