◆札幌、小樽築港、倶知安でC62を駅撮り 昭和43(1968)年9月10日
小樽築港機関区で撮ったあと、その日の午後は、千歳線で運転されたお召列車を鉄鈍爺さんと写し、その後も、開道百周年記念で道内各地で運転されたお召列車を写しながら、DRFCメンバーとともに、道北、道東を転戦、約10日後に再び夜行列車に乗って札幌に戻ってきました。
▲釧路発の夜行鈍行424レで札幌に到着し、約3時間ほど、発着する列車を写したことは、以前の「駅撮り一時間」で報告したとおりだが、その中に、急行「石北」を牽くC62 32の姿もあった。43・10以前のC62の運用は後述するが、夜間に札幌から旭川へ一往復「石北」を牽く運用があった(札幌22:00→旭川0:56 旭川3:36→札幌6:25)。北海道のC62の活躍ぶりは、函館や小樽といったところでは、現地へ行って理解できるようになったが、中央部の旭川までC62が足を伸ばしていたとは、それを実見した時にも、どうしても信じられなかった。
札幌で写したあとは、札幌10時発の「ていね」に乗って、小樽築港まで行くことにした。3番ホームの自由席乗り場には、もうすでに列ができている。函館方面へ行くのには、室蘭本線経由が早いのは、一般の乗客も百も承知だろう。「ていね」より1時間40分あとに出る特急「北斗」に乗れば、ほぼ同時刻に函館に着く。誰も好き好んで、乗ったら最後、身体全体が真っ黒になるような列車には決して乗りたくなかったから、この列は、倶知安、長万部方面に行かざるを得ない客なのだろう(「北斗」は長万部を通過)。列の前を見ると、制服警官と少年が並んで待っていた。何気に下のほうを見ると、手錠でしっかりつながっていた。警察の犯罪容疑者の移送にまで、列車が使われている時代だった。
▲札幌から乗った函館行き「ていね」の5両の自由席車は、70、80%の乗車率だった。まだまだ山線区間の輸送が旺盛だった。牽引は札幌からD51の単機で、前記のように、10日程前に小樽~滝川の電化が完成しているが、ごく一部が電車に置き換えられただけで、列車はほぼ蒸機牽引だった。最初の停車駅、小樽築港で飛び降りる。さすがにここでの下車客は少ない。D51が離れると、すぐ下り方に待機していたC62重連が近づき、がっちり連結される。C62 3+C62 2の逆ゴールデンコンビだった。次位ながらも、デフのツバメマークが確認できた。
▲小樽築港での停車時間はわずか、発車ブザーが鳴り終わると、駅長の合図があって、咆哮二声、猛烈なドレンを吐きながら、倶知安、長万部へ向かっていった。
▲後続の列車で倶知安へ向かい、早めに倶知安YHにチェックインしたあと、下り「ていね」狙いで、また倶知安駅へ向かった。18時05分、今まで静まりかえっていた駅構内が急に賑やかになる。下り「ていね」の到着だ。そのあとに有名になる倶知安の発車シーン狙いだ。 ▲私も一人前に三脚を取り出して、ASA400、絞り8,1秒でバルブ撮影を試す。到着したC62重連には、多くの係員が張り付いて、整備・点検に忙しい。C62は、今までの苦しかった行路を思い出すように、ゆっくり蒸気を吐き、缶水を補給するインゼクターのせわしい音が響く。▲停車時間は4分、またもや咆哮二声が、薄暗くなった構内に響き渡る。今度は、ASA400、絞り2.0、1/30秒で連写する。眼前を通り過ぎる時、“ドドドッ”という空転の音が響き渡った。
本稿で「石北」札幌~旭川はC62牽引と記しました。同年9月6日の深夜、下り「石北」の乗車記録によると、C62牽引であるものの、前にED76の付いた、電蒸運転だったことが分かりました。電化は滝川まででしたので、滝川からC62単機牽引になったようです。
編成表も出てきましたので、以下に挙げておきます。
下り「石北」昭和43年9月6日 札幌駅で確認
ED76507+C623+スハフ447+スハフ4422+スハ4546+スハ4534+オハ36125+スハフ4423+スロ5218+オロハネ10502+オハネフ12506+オハネ12502+オハネフ12503+スユニ61515+マニ602062
総本家青信号特派員さま
そういえばこんな豪華な編成でしたね。スロ52にオロハネ10、ハネが3両も。おまけに電蒸とはいえC623まで。今見るともう涙が出そうです。客荷車だけで13両もの堂々編成で石北峠を越えていたのですね。そりゃ遅かったはずで、遠軽にはいつも10~20分ほど遅れて着いていたのも頷けます。
因みに1年後の昭和44年831日に小生が乘った時の編成です。愛称が517レ急行「大雪6号」に変わっていました。
ED76 501+⑩スハフ44 7旭キミ+⑨オハフ33 30函ハコ+⑧オハ36 126函ハコ+⑦スハ45 28函ハコ+⑥スハ45 40函ハコ+⑤スハフ44 14函ハコ(指定席)+④スロ54 505札サウ+➂オロハネ10 501札サウ+②オハネ12 501札サウ+①オハネフ12 510札サウ+スユニ61 505旭アハ+マニ60 2458東スミ
⑩号車は北見回転車。スロが54に、ハネにオハネ12が入り1両減車の2両になっています。
C62のアルバイト運用には先にご紹介のあった「たるまえ」の後、朝の大沼発函館行通勤・通学列車を牽いていた時期もあり、8mmに撮っていますのでまたお目にかけたいと思います。
1900生さま
いつもC62の思い出コメント、ありがとうございます。私の見た「石北」は、滝川から電機も離れて、13両編成をC62単機で、深夜の函館本線を走ったはずです。夜間のため、残された写真は、雑誌を探しても見当たりませんが、神居古潭の渓谷区間を走って、旭川まで到達していたことを想像するだけで胸がときめきます。
「たるまえ」のあとの、函館口の通勤列車は私も撮っていますが、時間帯が少し遅くなり、ちょうど朝の斜光線を浴びて走っていましたね。