◆大沼で単機「ていね」を撮る 昭和43(1968)年9月13日
初めての北のC62訪問も終盤を迎えます。釧路発函館行き422レに、札幌から乗車し、大沼まで向かいます。この列車は函館本線経由の夜行鈍行で、さすがに観光シーズンも外れたこの時期、車内は閑散としており、乗車したオハフ6036は、車内設備が嫌われたのか、とくに超ガラガラで、深夜の倶知安で二人が下車すると、残ったのは自分一人だけでした。連日の夜行続きでぐっすり眠り、気がつくと、「おおぬま」の駅名標が。あわてて荷物をかき集め、発車直前に飛び降りました。
◀列車の大沼到着は4時16分、さすがに暗く、涼しさを通り越して寒い。待合室で、寝袋にくるまって仮眠し、明るくなってから撮影地へ向かう。目的地は、国道と函館本線が並行する当たりに高台があり、そこから見下ろした線路の正面に駒ヶ岳がきれいに収まる。当時のキネマ旬報社の雑誌「蒸気機関車」に載った写真が忘れられず、同じ列車、同じ写真を撮ろうと魂胆していた。ちょうど日の出前後、季節によっても光線が微妙に変化する写真的には絶好の時間帯に、C62 44の牽く「たるまえ」が通過した。
大沼の前後の区間は、上下線が離れていたり、別線区間になっていたりするが、大沼付近だけは、ボトルネックのようになって、函館へ発着する列車が集中して通るうえ、駒ヶ岳、大沼、小沼と優れた風景の中を走り、撮影には絶好のところだった。C62もいいが、私としては、重量貨物を牽くD52や、12両もの長大編成の82系DC特急に、とくに心を引かれたものだ。いま発売の鉄道雑誌の北海道特集に、知り合いのファンの方が、ちょうど50年前の大沼を懐古されており、我が意を得たりの思いだった。
この日は、終日、大沼を歩き回り、近くの大沼景雲荘YHに早めに入って、名物というカレーライスをたらふく食べて一息ついた。均一周遊券を持ちながら、この日は列車移動することなく一日を終えた。
▲「ていね」は、下りが14時35分ごろ、上りは15時40分ごろと接近して通過する。下りは待望のC62 2牽引だった。山線で力闘するC62 2もいいが、景色の良い平坦線を、軽やかに走り抜ける姿も、本来のC62のようで、気持ちのいいシーンだった。
▲1時間後に通過する上り「ていね」、編成のなかには、食堂車も見えるが、翌月の43-10改正で廃止され、編成全体も減車される。青帯客車も、昭和44年5月から、称号が二等車からグリーン車に変わってしまう。「ていね」時代ならではのシーンを、晴天の大沼で収めることができた。なお、この付近では、もちろん左側通行だが、下り線の勾配緩和の迂回線「藤城線」がトンネルに入ってから上下が逆転し、トンネルを越えた地点で待っていると、右側通行に変わっているので、びっくりした。
▲昭和40年10月の小樽築港区C62運用表 実際はもうひとつ仕業番号25があったが、昭和42年10月改正で廃止になり、これにともない、C62 27が廃車になっている。今回の「たるまえ」は、仕業番号24の1217、1216、「ていね」は、106、105に当たる。
総本家青信号特派員さま
そんな高台(というか道路拡幅時に線路側に残った切通の上)がありました。先に朝のC62通勤レのことを書きましたが、ここから8㎜撮影しています。しかしその後に撮影に行った頃には樹木が生い茂って上に上がれず、道路切通の北側大沼寄りの少し低い地点からDD51のニセコなどを撮っています。さらに北斗星が走り始めてすぐのころにも再訪しましたが、やはり樹木の生長で全く撮れませんでした。北海道の樹木の生長は内地よりは相当早いように思えます。
なお大沼付近の旧線と藤城新線との関係ですが、詳しくは知りませんが、小沼南端付近のトンネル部分で新線が旧線の下を潜って湖畔に出ますが、周辺の地形からみても、線路設計には苦労があったように見受けられます。湖畔の新線は小沼を埋めたてて敷かれています。これは新線が下り線となるように計画されたからですが、現在だったら小沼の埋め立ては大きな議論になるかもしれませんね。