【99673】 北のC62 全記録 〈8〉

最終日の北海道は、3度目の上目名へ  昭和43(1968)年9月14日
北海道へ入って14日目の最終日、事前のプランではフリーにしていましたが、やはり足は上目名に向かいました。いつもより遅い目の時刻に上目名に着くと、澄んだ青空に秋の深まりを感じます。最初に上目名に来た時に比べると、駅に集まる人数もぐっと少なくなっています。撮影地を探して、一人でトボトボ線路上を歩いていると、突然、自分の名前を叫ぶ声が、頭の上のほうから聞こえてきます。

次いで“ここや!ここや!”の声、声の聞こえる方向を、よ~く見定めると、なんと数日前に別れたはずの鉄鈍爺さんが、90度近い絶壁の上に立っているではないか。たしかに、その付近だけ岩場になっていて、熊笹もなく、何とか上がれそうだ。上からの声に励まされて、何度も滑りそうになりながら、人一人がやっと立てそうな岩場の頂きに到達することができて、偶然の出会いに喜び合った。鉄鈍爺さんは、倶知安YHから私より早い目に着いて、撮影地を確保し、偶然、あとから歩いて来た私を見つけたそうだ。まもなく、例のジェット機音が聞こえてきた。

 

 

 


冬ならまだしも、夏場に、上目名のこんな高所からアウトカーブの俯瞰撮影ができるとは思ってもいなかった。この角度から見ると、本務機の前面の上半分が見えて、2両の協調ぶりがよく分かる。その後、下りの「ていね」を撮るため、例の真っ暗なトンネルをくぐって、熱郛寄りまで来たものの、急にカメラのシャッターの調子がおかしくなり、一枚目を切ったあと、肝心のところで、シャッターが押せないアクシデントがあり、がっくりしながら、夕闇迫る上目名を去った。最後の失敗も重なって、再度のC62挑戦を誓ったのだった。

今回、改めて、雑誌やネットに掲載されたC62重連を検索してみた。おびただしい数の写真があって、高齢者の蒸機世代のある種のシンボルだったことが改めて感じられた。そのほとんどが「ニセコ」になってからのもので、昭和44年ごろから急激なC62重連ブームが勃発したことも読み解ける。少し前のコメント欄でも記したように、昭和43年前後の時期を象徴するC62の三灯の写真に、なかなか出会わなかったことも、それを物語っている。「ていね」「石北」「たるまえ」時代のC62は、極めて少ない。私の写真は、もちろん質も量も不足だが、まだ10歳代の大学一年のときに、よくぞ撮っていたものと改めて思った。

しばらくデジ青投稿は休みますが、9月に入りましたら、また新たな企画でお目に掛かります。

 北のC62 全記録 〈8〉” への7件のコメント

  1. お恥ずかしい作品だが、「まりも」時代のC62重連を上目名で撮影。当日は天候は小雨、上目名駅でストーブにあたりながら弁当を食べた記憶がある。昭和40年8月のこと。

  2. 実は貴殿が来られる直前、一人で三脚を設置していると、少し先の笹の茂みが1m四方くらい「ガサゴソ」と動き、だんだん近づいて来るんです。
    「スワッ、熊か!」と青ざめたのですが、リスのファミリーでした。
    そんなこんなで、地獄で仏に出逢った様に感じたものでした。

    • 鉄鈍爺さま
      コメントをいただいてから一ヶ月半経って、ようやく、現場の写真が出てきましたので、添付します。線路端から、撮影地を見たもので、見上げるような崖の上に、鉄鈍爺さんが岩の上に立っておられます。よくよく、こんなところを見つけられたものと感心します。

      • 写真のタテヨコ比が正しく表示されませんでしたので、改めてアップの写真を添付します。岩の上に乗っているのが、50年前の鉄鈍爺さんです。

        • 鉄鈍爺さま総本家青信号特派員さま
          この時分から現在の「闇鉄」に通じる敢闘精神をお持ちだったのですね。いやおみそれしました。
          熊でなくリスでよかったですね。特に北海道の大自然の中で撮っていると、急に寂寥感というか自然に対する恐怖のような感情に襲われ、居てもたっても居れなくなることがままあります。頼んでおいた迎えのタクシーが遅れたりなどすればもうパニック状態でした。

          • 言いようのない「寂寥感」、全くおっしゃる通りです。私の場合、最近は廃車体ですのでそんなに山の中や川の中には行きませんが、それでも北海道では客車があるのに人が一人もいないと ぞぞぞ~っと妙な感覚になったことがあります。

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