北のC62 全記録 〈9〉

ひとつ前の投稿で、羽村さんが撮られたC621の原型写真を見て、つくづくC62は力強さにあふれた魅力的な機関車だと再認識しました。私も自分で撮ったC62を急に公開したくなり、「北のC62」シリーズを再開することにしました。
前回は、初めて北海道を訪れた昭和43年8、9月のC62の記録でした。今回は、その翌年、昭和44(1969)年8月28日から北海道入りして、各地を転戦しながら、C62を追った記録です。
この年の北海道行きは、前年と同じ花輪線竜ヶ森で夏の狂化合宿が行われたあとに訪問したもの。前回以上の会員が渡道し、各地で“現地闘争”と称した撮影会を行なった。私は竜ヶ森のあと、奥羽本線矢立峠でC61を撮ってから、深夜の連絡船で函館に到着。前回と同じ列車でまず五稜郭へ行き、「たるまえ」改め「すずらん6号」を待った。牽引はC6244である以外、前年と全く同じ構図の写真が、第一号の写真となった。

昭和43年10月1日、国鉄では全国的なダイヤ改正が行われた。ちょうど50年前のことで、増大する輸送需要に対応して、東北本線の全線複線電化完成など主要な幹線の複線化、電化の進捗により、優等列車が増発された。改正では、列車名の統合が徹底的に行われ、C62牽引の「ていね」は、下りは「ニセコ3号」、上りは「ニセコ1号」に、「たるまえ」は、上下とも「すずらん6号」に改称された。「ていね」の名称は3年で消えることになった。小樽築港機関区のC62の運用は、仕業番号31・32のみに減少した(配置4両、使用3両)。運用は、「ニセコ3・1号」の函館~小樽と、長万部~小樽の前補機、間合いに函館~長万部に函館~長万部の「すずらん6号」のみとなる。機関車乗務員の受け持ちも小樽築港から長万部に変更になる。運用の減少により、C6230が用途廃止となり、C62の陣容は、2、3、32、44の4両となった。電化区間の小樽~滝川の客車列車は、ED76に置き換えられたことにより、札幌駅ではC62見られなくなった。

MEMO〉26日間の旅行で使用した切符は、言うまでもなく、「北海道均一周遊券」。急行列車も乗り放題の切符は、まさに撮影者の味方だった。発駅によって有効期間はいろいろで、京都発だと25日間、これを神戸発にすると100円程度の差額で26日になる。一日延びるメリットは大きい。このため、わざわざ神戸まで出向いて、26日間有効の切符を買い求めた。右のように、各地域別に表紙デザインが異なるため、全部並べると、なかなかカラフルで楽しい。上は、みんなで競って下車印を押してもらったB券、自分の均周のなかでは最多の下車印だが、もっとヘビーな下車印もあるようだ。神居古潭、岩内、築別、上目名など、今は無い駅も見られる。

 北のC62 全記録 〈9〉」への11件のフィードバック

  1. またまた一人コメントで失礼します。下車印は、均一周遊券の表紙裏の「ご注意」にも「下車される時は必ず下車印をお受けください」と明記されているのですが、まず押してくれません。そこで、駅員に下車印を押してくれるよう頼むのですが、印がなかなか見つからず、やっと見つかって押してもらうと、今度はスタンプが切れていてカスカスの印しか押せなかったこと、また、下車印が見つからず結局、切符に押すゴム印で代用されたことも思い出です。下車印は、利用者の裁量で集めることが出来ないので、記念スタンプのようなコレクションの対象にはなりづらいものですが、こうして見ると、大きさの違い、書体の違いがあります。なかでも「神居古潭」は、タテ書き、左から右への貴重品です。廃止駅も、上記に書いた神居古潭、岩内、築別、上目名以外にも、仔細に見ると、蕨岱、根室標津、古丹別、中標津が見つかりました。下車印だけ見ても、北海道の鉄道の推移が分かります。

    • 総本家青信号特派員さま
      小生も下車印集めに奔走した想い出があります。一日違いの有効期間の為にわざわざ神戸まで買いに行かれたのですね。脱帽です。それだけSL撮影に対する情熱が強かったのだと理解します。私も狂化合宿への参加と渡道のため同じ均周を買いましたが、神戸発が一日長いなどということは全く知らず、何の躊躇いも無く京都で25日間を求めました。下車印集めの時は殆どが特派員さまの書かれているような情景でしたね。奔走の結果、期間の大半が過ぎると表面にスペースが無くなり、裏面にも押してくれる親切な駅員も居て、中には「これは凄い。見たことがない」と矯めつ眇めつ裏をひっくり返して感嘆してくれるので、時間を気にしてイライラしたこともありました。殆どは何とか押してやろうと工夫してくれる人のいい駅員が多かったのですが、中には未だに忘れもしない湧網線の佐呂間のように、頑として押してくれない駅員もいました。この時は列車交換待ちの僅かの間に入場券を買うために改札を出ようとして下車印を請求したのですが、「本当に下車するなら押すが、一時的なものなら押せない」というので、得意の「押せ」「押せない」の押し問答に発展してしまい、結局交換列車が到着して、印は貰えず入場券も買えないという、本当に癪に障る結果に終わってしまいました。国鉄には当時から入場券で増収をという流れはあったので、よもやの展開に腹も立ちましたが唖然としたものでした。当時はたまにこういう頑固というか柔軟性が無いというか、極め付きの融通のきかない職員が居ましたね。
      余談ですがこの旅の帰途は特急「北海」と「白鳥」を乗り継いで帰京しましたが、青函連絡船の中で25日間の有効期間が切れるという、有効期間に関する特例利用のギリギリの旅になりました。

      • 1900生さま
        下車印の思い出、ありがとうございます。神戸まで行って均周を買ったのは、ちょうどI原さんの紹介で新大阪駅で駅員のアルバイトをしていた時で、通勤用に限定した乗車証をもらっていました。神戸は経路外ですが、そこは“お願いします”と改札でペコリとすると、難なく通してくれました。さて、特例利用ギリギリのワープ、こんな手もあったのですね。ただ、当時の時刻表を見ると、「白鳥」に接続する連絡船は、函館0時05分出航の12便になると思いますが、函館でもう期限切れになっています。これなら丸一日が余分になりますから、神戸発と同等の効力があるのですね。

        • 総本家青信号特派員さま
          そうでした。言われるまで漠然と連絡船内で切れたとばかり思っていました。既に函館で切れていたのですね。今更ですがなにか有効期間を更に得したような気分です。そういえばやはり言われてみて、名古屋に関わる乗車券が付いていたような記憶が突然蘇りました。券自体の記憶はもうありませんが、当時何故名古屋関係の券が付いているのだろうと訝ったことを憶えていました。お恥ずかしいことですが、今の今までそういった仕組みを全く知らずに利用していたことになりますね。まあ実用には差し支えないことでしょうけど。

  2. 私も周遊券利用時にはせっせと下車印を集めました。どこの駅だっかは忘れましたが、「これ以上ハンコだらけになると(券面が読めなくなるので?)券を回収するぞ」と改札係員に注意を受けたのを思い出しました。幸い回収はされずに済みましたが、、、、
    ところで、この券は発着(有効区間)は神戸市内なのでしょうか?

    • 宇都家さま
      下車印集め派が多いのに驚きました。お尋ねの件ですが、当時は拠点駅(近畿なら大阪)があって、ほかの駅を発着とする場合は、神戸ですと、神戸→大阪、大阪→北海道、北海道→大阪、大阪→神戸の4券片になっていました。京都を発着すると、拠点駅が名古屋となり、京都→名古屋の券片になり、大阪発着より数百円安かったと思います。ただコレですと、複雑な発券を伴うことになり、昭和45年ごろに見直しがあり、拠点駅のみの発行に改められました。神戸から乗る場合は普通乗車券を買う必要がありました。同時に通用期間も短縮されて、価格も若干下げられました。大阪だと、従来25日間12100円が、20日間11000円になりました。

      • 特派員さま

        ありがとうございます。4券片で1セットだったのですね。当時の周遊券がそのような制度だったとは初めて知りました。

  3. 外部からお邪魔いたします
    いつも拝見しておりますが、私が鉄道趣味に目覚める以前の様子の投稿に、へえ~、そうやったんや、と興味が尽きません。鉄道誌などで当時のことを、ある程度は知っているつもりでしたが、生々しい体験談に想像の翼を広げています。
    昭和44年には大阪発「北海道周遊券」の通用期間が25日もあったことや、料金が12100円だったことなど、初めて知りました。現役時代の蒸機最晩年に写真を撮り始めた私にとって、北海道は遠い土地でしたが、昭和49年になってようやく出かけることができました。切符はもちろん「北海道周遊券」ですが、4枚つづりになっていた理由が、やっとわかりました。

  4. 途中下車印が押されたB券片があれば良いのですが、京都駅で渡してしまって手元に残せませんでした。京都駅からは通用20日間で、料金は10900円でした。交通公社の時刻表に神戸・伊勢市が11000円、和歌山が11200円、姫路は11300円で、いずれも通用期間は20日となっています。神戸・姫路・和歌山発着は大阪までのX・Y券片が付いた4枚綴りだったのでしょうか? 伊勢市は名古屋までのX・Y券片でしょうか? これまで気にすることもなかったのですが、新たな興味が湧いてきました。

    • 紫の1863さま
      貴重な情報、ありがとうございます。私は逆に昭和40年代の後半は、均一周遊券をあまり使うことがありませんでしたので、貴重なモノを見せてもらいました。この時代、京都駅で均周を買うと、発駅が大阪駅に包含された2枚綴りかと思っていましたが、京都→名古屋に分かれた4枚綴りだったのですね。神戸、姫路、和歌山は、やはりX・Y券片が着いていたのでしょうか。

  5. 訂正します
    神戸・伊勢市発は11100円でした。
    確認を忘れていたようです。すみません。

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