やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ②

留萌区 D61 〈2〉

D61の働き場所は、深川~留萌~築別であり、留萌本線、羽幌線の両方の区間で使われていました。当時は、築別から羽幌炭砿鉄道が分岐していて、終点付近には、良質炭の採れる羽幌炭坑があり、石炭を増毛、深川まで運ぶのがD61の役割でした。運用表を見ると、ほとんどが留萌~築別であり、D61の目的である、丙線での運用に合致していました。D61は二軸従台車のためキャブの揺れが少なく、D51より乗り心地が良かったと言われますが、軸重軽減のため空転が多く、途中には20‰勾配もあるため、補機が付く場合が多く見られました。今回は、今は無き羽幌線留萌~築別で撮ったD61の活躍です。

留萌に向かう872レが、D61 5+D51 543の重連で夕方の築別を発車。この日は鉄鈍爺さんと一緒だった。築別に着くとD61が蒸気を吹き上げて満を持している。聞くとまもなく発車だと言う。二人で必死になって線路上を走って駅の外れまで来ると、発車の汽笛が聞こえて来た。枕木を井桁に組んだ高台が見つかり、とっさによじ登って連写した。(昭和43年9月)

鬼鹿を通過する上り貨物、D61 2の牽引、交換可能駅では、DCと貨物の交換が多くあったが、ほとんどはDCを待たせて、貨物が轟音とともに通過して行くことが多く、貨物全盛を垣間見た。(昭和43年9月)

雨の日本海沿いを行くD61 5の牽く下り貨物893レ、この年にはD61のデフの切り詰めは完了していたようだ。この日は「利尻」で幌延へ行き、始発に乗って、羽幌線を縦断して大椴で下車した。大椴~鬼鹿(昭和44年9月)大椴の街を見下ろしながら、2862レが行く。補機は初めて写したD61 3だった。石炭列車の編成は、中央部はセキ、両端がトラ・トキだった。これは、送り先が、増毛からの航送、深川からの継送に分かれている関係からだろうか。(昭和44年9月)築別で羽幌炭砿鉄道のC111と並ぶ、D61 5、ブロアーを吹き上げて、発車準備完了、そのあと、冒頭の激走となった。

 

 

 

ご一緒の鉄鈍爺さんは、右手からシルエット撮影、電柱の右に人影が小さく見えている。このあと、二人で、戻りの列車までの間、裏さびれた築別の街を歩いて、唯一の食堂に入った。食事を終えて街に出ると、ちょうど日本海に夕陽が沈むところで、天売島、焼尻島が水平線に浮かんでいた。

昭和45年になると、羽幌炭鉱が閉山し、羽幌線の石炭列車がなくなった。D61は、D51と共通運用で一般の貨物を牽くが、もう精彩はなく、深川区の片隅で休むことが多かった。ただ、車籍は蒸機全廃の昭和50年まであって、少数機には珍しく後年まで残った。

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ②」への6件のフィードバック

  1. 学生時代羽幌線まで足を延ばしたことがなく、D61は見たことがありませんでした。それもあって3年前北海道に行った時、留萌の見晴公園に保存されているD613を見に行きました。雨ざらしですが丁寧に保存されているのかきれいな状態を保っています。重連で活躍する写真を拝見して、現役時代に訪問しておけばよかったと後悔しきりです。

    • 大津の86さま
      D61が一両だけ保存されていることは知っていましたが、野外なのに、こんな状態できれいに保存されているのですね。地図で見ますと、現地の公園は、留萌駅から徒歩15分と書かれていて、よく行かれたものと思います。

  2. 以前にも投稿したように思いますが、D61との出会いは一度だけでした。昭和44年3月6日 豪雪の留萌本線恵比島でした。駅からそう遠くない場所だったと思いますが、ここまで行くのが大変で、ナンバープレートでD61とわかるものの、本務機も後補機も雪まみれで、苦労した割にはテンダーから後ろは雪煙で見えず、ただ雪の溝の中を通り過ぎて行くのを見送るだけでした。1900生様、補足をお願いします。

    • 西村様
      貴重な写真、ありがとうございます。3月なのに、豪雪だったのですね。私も3月に北海道に二回行きましたが、唯一の心残りは、雪が少なかったことです。たしかに豪雪は、写真にまとめるのは難しいですが、むしろ思い出やエピソードとともに、記録より記憶に残る旅になったと思います。

  3. 羽幌線、力昼ー古丹別、D61重連。憧れのフレーズ。絶対撮影に行くと決めてました。しかし、羽幌炭鉱閉山で石炭列車廃止。昭和46年春の撮影計画は白紙に。D61撮影開始は昭和47年春の留萌本線、峠下ー恵比島で始まりました。3、4、5号機がまだ活躍してました。(2号機は留萌の機関庫で休車中)D61の元気な活躍を撮影できたのは幸運でした。築別の重連走行シーンは素晴らしいです。

    • 今も蒸気と共に様
      初めての方から暖かいコメントをいただき、感激しています。ありがとうございました。そうですね、羽幌炭鉱は、突然のように閉山してしまいました。以降、D61は残ったものの、石炭車+無蓋車で組成された、羽幌線独特の石炭列車は見られなくなりました。お書きの憧れのフレーズのなか、「力昼」「古丹別」、いい駅名ですね。上掲写真のなかの「鬼鹿」「大椴」も、いかにも北海道らしい駅名です。気に入っていただいた築別の重連写真、煙が真っすぐに上がっています。左側から吹く海風がうまく噴き上げてくれたのでしょう。必死になって築堤上を走り、咄嗟に枕木の置き場の上に駆け上がって写しました。

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