やっぱり蒸機が好き!  《九州》列車・線区編・2

30.3‰勾配が続く大畑ループを逞しく上って行く1121レ(昭和44年3月)

発車10分前になると門司港駅では改札が始まった。頭端式の櫛形ホームへ推進運転で客車編成がゆっくり入線、通常は、ニ1輌+ハ4輌の身軽な編成、始発駅まで来た甲斐があって大きな混雑も見られず、思い通りの席を確保して一安心する。23時30分に門司港を発車、380キロ先の都城を目指す。ある時は“蛍の光”が流れ、その演出に驚いたことがある。車内のオルゴール音とともに車内放送が始まり、夜行列車らしく、停車駅が長々と続く。「八代、人吉、吉松…」と、翌朝に下車する駅が告げられると胸が高鳴ってきた。

八代には早朝5時13分に到着、牽引機はC57に交代し、蒸機区間の肥薩線に入って行く(昭和46年12月)

空いていた車内も束の間、門司、小倉からは大勢の通勤客が乗り込んで来て、定員いっぱいの乗車率となり、夜行普通列車の二面性をさっそく見る思いだ。北九州市内の各駅から鹿児島本線下り方面に対しては、実質的な最終列車で、小倉は0時ちょうどの発車。それ以降、黒崎、戸畑、折尾と停車するものの、日付が変わった駅からは、さすがに乗車は少ない。折尾以降になると下車客ばかりで、車内は静寂を取り戻す。博多は1時16分着、深夜とあって乗降客は意外なほど少ない。博多を出ると、鳥栖までの中間駅は通過、昼間の急行列車並みの快速ぶりを見せる。

 

白熱電球がほのかに照らす車内の窓から、目を凝らすと、通り過ぎる深夜の街や、遠くの山並みが墨絵のように見える。昼間の撮影の疲れと、心地よい揺れと、冬季なら暖房があいまって、たちまち眠気が襲ってきた。鳥栖からは各駅に停車、熊本には4時5分に到着する。乗客の動きは、ほとんどないものの、先頭の荷物車からは、小倉で積み込まれた朝刊が次つぎに下ろされているのだろう。

真夜中、列車の振動でふと眼を覚ますと、見知らぬ駅に停車するところだった。周囲の乗客は、思い思いの姿勢で寝入っている。通過列車待ちなのだろうか、もう駅名を確認するほどの気力もなく、再び眼を閉じた。音の消えた停車中の薄暗い車内で、悶々とした状態で感じる寂寥感が、旅へ出た思いをいっそう強くする。この日は肥薩線坂本で下車、フラリと小駅に下車できるのも、夜行普通の魅力、小雨の中を1121レは発車して行った(昭和46年12月)。

熊本からは、1970年10月改正までは非電化区間となり、交流電機の牽引に代わってDD51がその任に当たる。八代には5時13分に到着、20分余りの停車時間に牽引機はC57に代わり、いよいよ蒸機の出番となる。客車前部にはオハユ1輌が増結される。発車して肥薩線に入り、鹿児島本線とも別れると、球磨川が寄り添ってくる。日本三大急流のひとつであり、川は激流となって岩を噛み、いくつもの瀬をつくる。特有の川霧があたりを包むこともある。

球磨川に沿う一勝地では交換のため数分間の停車、今日の牽引機は、九州のC57で一番の若番のC579〔人〕だった。先の九州豪雨で、一勝地付近は甚大な被害を受けた。

時刻は午前6時過ぎたが、冬季ならまだ周囲は暗い。さすがに九州の夜明けは遅い。白石で上りDCと交換、一勝地でもしばしの停車し、C57重連の834レと交換する。このあたりで下車して、よく整備された人吉区のC57を捉えるのもよい。球磨川を渡り終えて住宅が見え始めると、7時14分、人吉に到着する。小規模ながらも駅はラッシュ時、ホームの動きが慌ただしくなる。ここでも20分余りの停車、牽引機はC57からD51へ。駅の洗面所で顔を洗い、身も清める。大畑へ行く場合、食糧確保も必須だった。列車は山線区間へと入って行く。山の稜線からは太陽が朝の光を放ち、窓を通して車内に広がっていく。

人吉からは、いよいよ山越えが始まる。牽引機は敦賀式集煙装置に重油タンクを装備した重厚な面構えのD51が前に付いた。

 やっぱり蒸機が好き!  《九州》列車・線区編・2」への2件のフィードバック

  1. 列車・線区編1にマルーン様がお書きのように、私も夜行列車の旅を楽しませていただいてます。総本家様の文章を読んでいると、客車の走行音や、踏切警報機の音が聞こえてくるようです。遠くに見える人家の明かり、往来の途絶えた交差点で点滅を繰り返す信号機、国道を走る長距離トラックのテールライトなど、遠い昔の風景が目に浮かんできます。ついでに古い客車特有の、なんとも言えないニオイさえただよってくるようで・・・。
    乗降客の無い深夜の時間帯にも関わらず、小駅に義理堅く停まるのを疑問に感じてましたが、新聞輸送でしたか。夜行列車は始発になることも多く、当時の交通事情を考えると国鉄が果たした役割は大きかったのですね。同時に郵便物の輸送も受け持っていたようで、スユニやマニを繋いでいた理由がようやく理解できました。
    さて、1121列車は人吉でD51と交代し、いよいよ大畑へ向かうのでしょうか。続きを楽しみに待っております。

    • 紫の1863さま
      夜行列車、なかでも鈍行は、米手さんお得意のニオイまでがあり、目や耳だけで無く、鼻でも感じるという、五感を刺激した列車でした。
      夜行鈍行は、旅客ではなく、手小荷物や新聞輸送のほうに存在理由があったのかも知れません。九州ですと、小倉駅で、各方面の新聞が積み込まれます。ホームの前のほうで、パレットに山のように積まれた新聞の束が、次々に荷物車に運び込まれ、定時に何事もなかったように発車して行きます。全くの人海戦術なのですが、システム化された鉄道輸送の一面を見た思いでした。

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