やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 5 室木線

本日の牽引は38629〔若〕、パイプ煙突でおとなしい印象のカマ、ホームが嵩上げされているが、これは長年の採掘による地盤沈下のためと言われる(昭和46年12月)。

室木線は、沿線の石炭を搬出する目的で鞍手鉄道が計画し、これを買収した九州鉄道の手で着工されますが、国有化されたため、明治41年6月29日に官設鉄道によって開業しました。すぐ近くの香月線と同日開業で、両線の性格・規模も酷似しています。開業後は、沿線で小規模な炭鉱が操業を開始し、石炭採掘量も増加、設備の改善を進めていきますが、昭和30年代後半になると石炭産業の衰退とともに、小規模な炭鉱から真っ先に閉山に追い込まれていきます。以後は、ほかの筑豊のローカル線と同じ道を辿って行くことになります。

室木行きの下り列車は逆向運転となる。タブレットの授受も、逆向きではたいへんな作業となる(以下特記以外 昭和46年12月)。

室木に到着した列車。  ▲▲ただちにカマは切り離されて終端の引上線へ。

向きを替えて、機回し線に入る。なお、この終端部のすぐ先を、山陽新幹線が走ることになり、のちに建設資材の搬入線ができることになる。

時には入れ換えも行い、室木発の貨車と連結。▲▲昭和40年代には沿線の炭砿は閉山し、石炭の積出しは見られなかったが、この日は、珍しいセラ1が留置されていた。

日曜日のこの日、何かイベントでもあるのか、2両の客車からは続々と下車客があった(昭和47年11月)。

 

ハチロクは、昭和40年代も活躍を続け、「室木線さよなら8620」として、遠賀川~室木間でお別れ列車が運転されたのは、1974(昭和49)年1月20日のことだった。最後の蒸機運転の前年のことになる。「ハチロクの廃止が先か、室木線の廃止が先か」と揶揄されていたが、結局ハチロクの廃車、DC化の方が早かった。ハチロクという老いた蒸機が昭和40年代の最後まで旅客列車の先頭に立っていたことは、思えば奇跡に近いことだった。

 そして室木線は、第一次特定地方交通線の烙印を押され、路線廃止されたのは1985(昭和60)年3月31日のことだった。廃止時はDCが6往復、肥料工場からの製品を運ぶDE10の貨物列車も走っていた。

 

 

機回しを終えたカマは、上り方に連結、▲▲折返し上り列車となって、発車を待つ。

ハチロクが消えてから35年以上、室木線が廃止されてからも25年の歳月が流れた。線路跡は道路になり、室木駅跡には工場が建ち、鉄道が走っていた時代の面影は全く感じられないという。ある意味、筑豊ほど鉄道最盛期とのギャップの激しい地域はないのかもしれない。

蒸機の聖地ともいうべき筑豊の片隅でこんな情景が日常的に繰り返されてきたこと自身、今から思えば隔世の感がある。

(「国鉄時代」22号〈北九州の煙〉特集より転載)

 

ある年の夏、例によって室木で下車して牽引機を見に行くと、リンゲルマンのチャートの横に見えたのは化粧煙突だった。▲▲期待を持って正面に回って見ると、な、なんと、ナンバープレートがペンキ書きではないか。理由は言うまでもないが、蒸機末期は部品盗難が多発していて、荒んだ世の中になっていた(昭和48年8月)。

 

 

 

 

 

2 thoughts on “ やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編 5 室木線

  1. 総本家青信号特派員様
    「国鉄時代」では何度も総本家様の作品を拝見しておりますが、『筑豊の片隅で』は何度も繰り返し読ませていただきました。朝もやに包まれた室木駅のガランとした構内、一時の賑わいを見せる狭いホーム、タブレットを受け取る駅員など、どの写真も時間をかけて見ておりました。
    ペンキ書きナンバーの88622は痛ましく思いますが、そばに立つ若者は同業者でしょうか。今となっては当時を思い出す、良き脇役ですね。遠くに見える白っぽい枕木は、新幹線用のPC枕木でしょうか。地盤沈下でかさ上げされたホームも、筑豊らしい風景に思います。確か直方駅の1番ホームも地盤沈下で使えなくなったとか、何かの本で読んだような気がします。室木線にハチロクがいた頃は遠い昔のこととなりましたが、今になって初めて分かったことも多く、興味は尽きません。
    私にとって室木線は好きな路線のひとつですが、良い写真が撮れたからではなく、地元の方から受けた親切が忘れられないからです。遠賀川から古月方面に歩いた田んぼの畔で、一番列車の820レから撮影していた時に、一人のおじいさんが話しかけてきました。どこから来た?とか、沢山カメラマンが来ているが何が良いのか?とか。そのうちに朝飯を食べて行けと言われ、丁重にお断りしたのですが「若いモンが遠慮するもんじゃなか」と半ば強引に連れていかれました。百姓やっとるけん、米はなんぼでもあるとのお言葉に甘え、しっかりいただきました。そのうちにご近所さんが顔を出し、朝から焼酎を飲む様子を見て、さすがは九州男児と感心したものです。あんたも焼酎を飲めと勧められましたが、高校生だと言って勘弁してもらいました。あの日から47年が過ぎ、遠賀川-古月間の様子はすっかり変わり、田んぼは住宅街に変わったところもあります。朝食を御馳走になったおじいさんの家を探そうにも、はっきりとはわかりません。室木線のハチロクを見ると、あの日のことを思い出します。

    • 紫の1863さま
      「国鉄時代」もご覧いただいていましたか、恐れ入ります。もう10年も前のことで、もう誰も覚えていないだろうと、高を括って載せました。ちゃんと覚えていただいたこと、ありがとうございます。
      さて、1863さんのエピソードを読んで、私も同じような経験をしていることに驚きました。
      まずひとつ目は、室木線から東の筑豊本線折尾~中間の立体交差付近です。雑草地を歩いていると、突然ドブ池にはまってしまいました。炭鉱地帯は、先に書きました地盤沈下もあって、至る所にドブ池があります。注意はしていたのですが、蒸機に気を取られて、気が付けば、白いはずのスボンが真っ黒な泥で濡れています。とにかく洗わないといけない。すぐ近くにあった炭住街の一軒に飛び込みました。怪訝な顔をされましたが、理由を話すと、タライと洗剤を貸してもらい、パンツ一丁になって、スボンを洗い、何とかもとの白いズボンに戻りました。窮地を救ってもらった見ず知らずの家の親切が忘れられません(もっとも乾燥まではできず、濡れたまま履いたことで、風邪を引きましたが)。
      二つ目の酒ですが、今でも覚えていますが、まだ未成年の頃、指宿のユースで、同宿者から焼酎を勧められました。もちろん焼酎など飲んだことはなく、勧められるままに、僅かだけ口を付けると、舌が火傷したようになり、気分が悪くなったことがありました。もちろんユースは禁酒なのですが、部屋のなかでよく酒盛りがあったものです。
      懐かしくもホロ苦い思い出です。

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