やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編・4 ~室木線

寄稿文を再録する「列車・線区編」、つぎは室木線です。鹿児島本線遠賀川から南へ分岐し、筑豊本線とほぼ並行しながら走り、終点の室木に至る11.2kmが室木線でした。訪れた昭和40年代は、全列車が若松区8620の牽く客車列車、または混合列車でした。昭和49年に蒸機の活躍は終わったものの、牽引がDE10に代わっただけで客車列車はそのままでしたが、第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に廃止されています。いかにも筑豊らしい雰囲気が好きで、とくに終点の室木は、折返し列車の撮影も可能で、昭和40年代には何度も訪れたものでした。以下の原稿のもとになったのは、社会人となった直後の昭和47年11月、「桜島」に乗って、4時40分、真っ暗な折尾に着いた時から始まります。 駅長の発車合図とともに、朝靄を突いて列車は出発して行った。室木 824レ

 

タクシーを飛ばして室木まで来たものの、午前5時過ぎでは、漆黒の闇の中だった。わずかな照明のなかで、一番列車を牽く8620が静かに寝息を立てていた。黒い空に白い線が何点かあるのは、星の軌跡、メモを見ると「60S」とあり、1分の露出でも僅かに星が動いていることが分かった。

九州の夜明けは遅い。折尾で夜行列車を降りて、タクシーを乗り継いで室木駅まで駆け付けたものの、まだ空は明け切っていなかった。貧乏旅行を信条とする身にタクシーを奮発したのは他でもない。室木発が一番列車であり、始発から写そうとすると、列車でのアクセスはできない。折尾からのタクシー料金は1130円だったとメモに残している。まだ明けない空と時計を見比べながら駅前に横付けした。

闇の中に一番列車は静かに佇んでいた。空には煌々と星が輝いていた。牽引するのは、デフなし、化粧煙突、形式入りプレートと、限りなく原型に近い88622だった。822レ 

構内のわずかな照明がハチロクの牽く一番列車をかすかに照らし出していた。暗く沈みこんだ駅構内に、ホームに据え付けられたハチロクの吐き出す蒸気の音だけが唯一の生き物のように響き渡っている。わずかな乗客は、その蒸気で影絵のような姿を浮かび上がらせ、押し黙ったように車内に吸い込まれていく。6時04分、空を切り裂くようにハチロクの甲高い汽笛が響き渡った。ようやく山の端だけが赤みを帯びてきた。こうして室木線の一日が開けていく。

腕木信号が降りた。出発を待つばかりのハチロクのブロアーも天高く吹き上がる。826レ(昭和46年12月)

蒸機が筑豊にあふれていた時代、とくに筑豊本線では、都市間の電車ダイヤ並みに蒸機列車が上下していた。それはそれで夢のような現実を体感できたが、少々食傷気味だったことも事実だった。時には、ゆっくり蒸機と対峙したい、感動を反芻する時間もほしい、蒸機を取り巻く人々や風景にも目を配りたい。無聊を慰めることも必要だ。

そんな思いにとらわれた時、たまたま室木線に乗ることがあった。列車本数は少ないといえ、すべてが蒸機列車であり、しかも牽くのは本線筋では見られない大正生まれのハチロク。蒸機の本数稼ぎばかりに気を取られていた心が、すっかり室木線に魅せられてしまった。鹿児島本線遠賀川駅の室木線ホームを出た列車はすぐ左へ大きくカーブ、あとはほぼ直線で、筑豊本線とは数キロ間隔で着かず離れず並行しながら、20分余りで終点の室木に到着する。11.2キロの路線は平坦そのもの、大正生まれの非力なハチロクにとっても、さしたる力行もなく、毎日の任務を淡々とこなしているように見えた。

山の端から朝陽が昇り始めた。さすがに引き出しの際にはハチロクにも渾身の力が入る。826レ(昭和46年12月)

沿線は、お世辞にも優れた風景が続くわけでもなく、ごくありふれた筑豊の光景だが、逆に筑豊の風土に心地良く浸ることができる。なかでも室木駅のいかにも終着らしい蒸機の付け替え、出発風景は大いに写欲をそそられた。多くの人々の手によって鉄道は運営されていることも痛感する。人と鉄道の絡みも、ここでは恰好の写材となった。

1972(昭和47)年時点で、室木線は、6往復の旅客列車があり、そのうち昼間の873レ、874レは混合列車であり、貨物列車の設定はなかった。昼間は1往復以外は、列車は遠賀川で昼寝をしている。勢い朝夕に訪れることになる。筑豊は鉄道も稠密であるが、バスも網の目のように路線を張り巡らせていた。朝に室木線を撮ったあとは、バスを利用して本数を稼ぐため筑豊本線沿線などへ転戦したものだ。

歯切れのいいブラスト音が眼前を通り過ぎる。826レ(昭和46年12月)

牽引するのは、すべて若松区の8620、DCは1輌も入線していなかった。DCとなると、基地の直方からは回送するにも経路が複雑になることと、貨物列車を設定するに満たないほどの極少の貨物発着があったため、混合列車を必要とするなどの理由でDC化が先送りされていた。

1970年時点でのハチロクの陣容は、38629、38634、48675、58694、88622の5輌で、室木線のほか、隣接する香月線の朝の客車牽引、若松駅での入換に当たっていた。58694は、その後JR九州で復活することになる、現役のハチロクでもある。5輌の中での白眉は、やはりデフなし、化粧煙突、形式入りナンバープレートの88622だろう。原型のハチロクであり、美しく整備された九州の蒸機の中でも、もっとも整った蒸機の1輌だ。(続く)

当時の室木線時刻表 6往復、全列車が客車列車だった(昭和47年10月改正)。

2 thoughts on “ やっぱり蒸機が好き! 《九州》列車・線区編・4 ~室木線

  1. 総本家青信号特派員様
    私は室木線も殆ど記憶にないと思いますが、特派員さんの名文(迷文)にノーコメントでは失礼と思いつまらないコメントをしてみました。私は本線志向(指向)で数稼ぎの貧乏人でしたのでタクシー利用皆無で、バスも利用せずひたすら歩き鉄でしたが、あの時代を共有した者として感じるところ大いにあります。一番列車を撮るために夜明け前に現地入りして星をキャッチしたこと、本数が少なくてもそれなりに楽しめたことなど大物の見る目は違うなと恐れ入った次第です。筑豊の駅はどこもそうでしたが、遠賀川の跨線橋も煤で黒ずんでいたことを思い出します。ハチロクがバック運転で客車を引っ張っていたような記憶がかすかにあります。この歳になるとそういう風景が貴重です。デフなしハチロクの形式入りプレートも原形に近くよろしいですね。

    • 準特急さま
      貴重なコメントを頂戴し、ありがとうございます。私の旅行スタイルは、“最小費用で最大撮影”でした。これは、70歳余になっても変わらない信念です。もちろん、この歳になって、非常識なことはできませんから、心の中に留めていますが、若い頃は、夜行、歩き、昼食抜きが当たり前でした。撮影のため、タクシーを利用したのは、この室木行きが初めてではないかと思っています。タクシーを奮発してでも、何としても室木の始発を撮りたいという強い願望があったものと思います。

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