やっぱり蒸機が好き! 《区名版》で巡る九州の蒸機 ⑳

人吉機関区(3) 8620 & 肥薩線川線をカラーで偲ぶ

人吉機関区の蒸機としてD51、C57を紹介しましたが、地味ながらも、もう一形式がありました。それは8620で、つねに2両が区に配置されていました。おもな運用は、湯前線の貨物牽引で、人吉~湯前を一日3往復していました。ほかには人吉駅での入換が仕事で、2両はデフ付き、パイプ煙突と、地味で目立たない8620でしたが、なんと、そのうちの一両が、現役復帰して「あそBOY」「SL人吉」などを牽くことになる58654なのです。そして、もう一両も来歴を調べていくと、今回と同じように球磨川の増水、土砂流入で土砂に埋まるという、今回と同じような災害に見舞われていたことも分かりました。夜の人吉機関区で憩うハチロク ちょっと不似合いな大型の切取り式デフ、パイプ煙突と、どちらかと言えば冴えないスタイルだが、なんとこのカマがJR九州の復活蒸機であり、「あそBOY」「SL人吉」を牽く58654の50年前の姿 昭和46年12月(以下同じ)

砲金製の「人」区名板が入っている50年前の58654、現在では、K-7の切取り式デフ、化粧煙突、ローマン書体の形式入りナンバープレートになり、ボイラーも新製されて、まるで別の蒸機のようになった。

もう一両は38633で、交代で湯前線の貨物をを牽き、人吉の入換にも使われていた。パイプ煙突で普通のデフを付けていたが、斜めにカットされており、九州では珍しいスタイルをしていた。

時は1963(昭和38)年7月、折からの豪雨で肥薩線の瀬戸石駅で抑止中の都城発門司港行き列車に、増水した球磨川が氾濫し、列車もろとも瀬戸石駅は埋まってしまったと言う。その時の牽引機がこの38633だった。今ならすぐ廃車になるだろうが、復旧されて昭和47年まで使われた。肥薩線も4日後に復旧したと記録にはある。

 

肥薩線川線をカラーで偲ぶ

二日前に肥薩線川線の第一球磨川橋梁が流出するなど、衝撃的なニュースが流れましたが、今日はまた久大線で鉄橋流失、土砂流入が起きました。久大線は一昨年、九州北部豪雨による災害不通が終わり、再開したばかり、ついこの4月にも、沿線で美しい桜の撮影を堪能したばかりで、二重の衝撃を受けています。NHKニュースから。流失した球磨川第一橋梁流出した鎌瀬~瀬戸石の第一球磨川橋梁を行くC57重連の834レ。明治41年開業当時の由緒ある曲弦プラットトラスが無残にも流されてしまった。先ほどのニュースでは、水が引いた川に、トラスが無残に横たわっていた。(以下、昭和45年9月)

大坂間~一勝地を行くD51587、大坂間は、球磨川の急流下りへの下車駅でもある。以前の川線区間は、一般客の特急「くまがわ」「九州横断特急」、観光用には「SL人吉」、ほかにも普通列車と棲み分けがされていたが、特急、普通の利用率が低下して、ついに日中は観光用「かわせみ・やませみ」しか走らない線区になり、普通に至っては5時間、6時間ヘッドとなった。観光目的ではない一般・用務客までが観光特急に乗らざるを得ない(九州は25キロまでの特急自由席が310円と全国一安く、短区間の特急利用が多い)と言う状況になり、以前のような美人アテンダントによる親切なサービスも影を潜めて、ビジネスライクな車内サービスだけになった。キハ10系3連が大坂間を発車する。当時は客車でも気動車でも3~4両が標準で、ソコソコの利用客はあった。ところが、川線(人吉~八代)の減少幅は大きく、JR九州が公表した川線の輸送密度(平均通過人員)は455人、30年前と比べて80%の減少と言う。400人台と言うのは、存廃に揺れるJR北海道に当てはめると、日高線苫小牧~鵡川、根室線滝川~富良野と同じだ。北海道の2線は、その先の区間が災害不通のまま廃止決定または予定であり、もう存廃の俎上に乗ってもおかしくないぐらいの輸送量にまで低下している。

 

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名版》で巡る九州の蒸機 ⑳」への4件のフィードバック

  1. こんにちは。人吉の鉄道とSLに関わる物語を読ませて頂きました。
    最初にC57100の美しい写真に関心しました。
    同機は近年解体されましたが、原爆の爆心地に入った最初の救援列車を牽いた機関車として、長崎市に保存されましたが、最後は保存活動を遮断するように囲いがされて解体されました。
    今の九州は特派員氏が訪問された時代の、地域によっては人口密度が三分の1になり、残りは福岡市か県庁所在市、そして九州外の首都圏などに出て行きました。
    私も41年離れた九州に戻って来て、失われたものは、人口と建物、鉄道の心和む風景以上に、昼も夕方も、市制を敷いている町でも、人の姿を見ない。店が開いてない。そもそも店がないという現実です。
    国鉄の時代から30余年の平成時代に、これが起こったことは判ります。
    これを悲痛な死を待つのなら、何とかまだ気持ちが荒まないようなやり方で、撤退戦をやろうというのが、今の現実です。
    しかし特派員氏が、こんなにいっぱい撮られている良い写真は、地域の人にとり財産です。
    私が赴任した地区で、直前に昭和40年代に始まった村おこしの行事の50年記念で、古い写真を探して現在のDVDに収録したら、思った以上に地元の反応や、出て行った人からも欲しいと言う要望がたくさん来ました。
    もしかしたら、肥薩線の復旧は難しいかもしれませんが、駅の人物や機関士の中には一家で沿線に住み続けている家系もあるかもしれません。
    もしもそういった使われ方で、人吉&肥薩線沿線の人に励ましを与える、キャンペーンとか提唱があれば、これらの写真を、熊本や人吉の新聞等を見ている人に、何より力を与える物ではないかと、感じました。
    鉄道ファン視線にない長文コメント失礼いたしました。

    • K.H.生さま
      いつもコメント、ありがとうございます。C57100は長崎市に保存されていたのですが、チグハグな整備、塗装がされていて、せっかくの名機も、哀れにも解体されてしまいました。保存に携わる方も、本物の蒸機を知らない世代に移っていることを感じます。さて、今回の水害、K.H.生さんの赴任地の近くで起こっただけに、思い巡らすことも多いと思います。都市部以外の九州の現状は、旅行者の私でも感じるところです。そこへ、この災害ですから、鉄道の痛手は計り知れず、災害不通→そのまま廃止の図式が、肥薩線のような線区でも、選択肢として俎上に上がってくるかも知れません。古いだけで、つたない写真ですが、鉄道復興の一助になるのでしたら、最大限協力させていただきます。

  2. 大変残念ではありますが、肥薩線は他の九州島内の路線よりも遙かに被害が大きい為、尚且つ線路流出などの被害が甚大だけあること、更には利用客減少の減少や並行する九州道の利便性が高いこと(高速バスの活用)から廃線になる(高速バス[主に観光客向け]や一般路線バス[地元住民向けに移行になる])確率は極めて高いと思います。ただ、JR九州は廃線にしたとしても、車両は遊ばせないと思います。肥薩線の場合「かわせみやませみ」「いざぶろう/しんぺい」「SL人吉」の3種類の観光特急列車(SLは有料全席指定普通列車※ちなみに全国版の時刻表には快速列車の記号がない為通過駅のある普通列車である[JR線各線では通過駅のある普通列車は全国多数あり、特に首都圏のJR線各線(東海道、総武、埼京線など)ではすべての列車が一部の駅(ホームのある駅)のみに停車する列車があるがこれらもすべて普通列車である。※これらの線は線路が全駅停車線とは別々にあり、便宜上快速線と呼ばれているが、あくまで種別は普通である。※ただし一部例外がある])があるが、これらの列車を他線運用する可能性があると思いますし、実例もあります(例:「ゆふいんの森」の北九州・日豊線経由)。SLも豊肥線や長崎地区(大村線が可能性が高いと思う)に回るかもしれません。自分も限定販売の「みんなの九州きっぷ」で「SL人吉」等で肥薩線を縦断して鹿児島に日帰り旅行を予定していましたが、残念な事に当面運休(下手すれば当面どころか廃止)になることから中止して、「SL人吉」の代替として、「SLやまぐち」のチケットが取れたので、それで津和野・山口エリアを日帰り旅行することとしました。

    • 名無し様
      肥薩線の現況について、コメントありがとうございます。被害が甚大で、復旧への兆しもなく、毎日心を痛めています。たとえ復旧に向けたとしても、相当な年月が掛かります。鉄橋の架け替えだけで無く、水害の常襲地帯は、別線での新設も必要になってくると思います。一部の世論では悲観的な意見もありますし、JR九州の心のうちも分かりませんが、私としては、良い方向に向かうよう、見守って行きたいと思います。「みんなの九州きっぷ」でましたね。被災地に迷惑の掛からないよう、九州への恩返しのつもりで、きっぷも使ってみたいと思っています。

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