やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑱

吉松機関区 (2)

吉松には、前回のC55以外にも、C56、D51が配置されていました。C56は、栗野から分岐する山野線の貨物を牽引、D51は吉都線の客貨の牽引でした。付近では、矢岳越えの重装備のD51が有名でしたが、これは人吉区のD51が担当しており、吉松のD51が矢岳越えをすることはありませんでした。

蒸機の時代が終わってから、何度か吉松を経由することがありましたが、列車の接続が良すぎて、ホームで1分接続で乗り換えるため、途中下車すらできずに、50年近くが経過しました。しかし、2年ほど前に、待望の乗り換え時間が発生し、やっと下車して、機関区跡や駅前をゆっくり歩くことができました。機関区の跡は、広大な空き地となり、煙と人が渦巻いていた駅前は、静かな山里に還っていました。駅前に保存展示してあったC55 52は、国鉄OBの手でキレイに整備されて展示されているのが、慰めになりました。

機関区は駅の横にあって、広くて、ゆったりした構内だった。ホームからも蒸機の動きがよく見えた。

形式入りナンバーのC56 91 C56 1~90は、戦争中に改軌のうえ南方へ供出されて、戦後残ったC56のなかでは、このC5691がトップナンバー機となっていた。昭和46年の鹿児島国体でお召列車を牽き、廃車後は種子島で保存されていたが、いまは解体されたそうだ。 栗野~吉松 昭和43年3月吉松のC56の本線運用は、山野線の薩摩大口までの貨物1往復を牽くだけで、吉松を10時ごろに出て、16時には仕業を終えた。C56 92の牽く491レ 同機はC5691とともに鹿児島国体のお召を牽き、翌年の宮崎植樹祭でもお召を牽いた。栗野~吉松 昭和45年8月C56は貨物牽引以外では吉松、栗野などでの入換に使われた。C56 99は昭和43年に東新潟から来た。いまは薩摩川内市内に保存されている。昭和45年9月特徴あるテンダーを見せて、夜の機関区で憩うC56 156 昭和46年に吉松に来て、C56 91とともに最後のC56となった。 昭和46年12月ナメクジのD51 18 吉都線の客貨を牽いていた。混合列車だけでなく、貨物も設定されていて、吉都線には結構の貨物量があった。昭和42年3月都城発吉松行き627レを牽くD51 889 吉松のD51は原型スタイルで、重装備の人吉区のD51と並ぶと、スタイルの差が見て取れた。同機は、昭和45年に新見区へ転属、いまは総社市の公園で保存展示されている。吉松 昭和43年3月

7 thoughts on “ やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ⑱

  1.  総本家青信号さまが吉松駅を訪ねられた4年前の昭和39年(1964年)3月の春休みに鉄道同好会三人連れで吉松機関区に行ったことがあります。ほんまにのどかな時代でしてC51270で記念写真を撮ってもらいました。もう休車になっていたと思います。

    • 大阪通信員さま
      吉松の思い出、ありがとうございます。ほんま、のどかな時代ですね。私も蒸機に乗って記念写真を撮ったことはありますが、休車とは言え、まさか煙突まで上って写真を撮られるとは。
      C51270は、最後まで梅小路までいたC51271のひとつ前の機として、私も記憶がありますが、もちろん見たことはありません。吉松とC51で思い出すのは、私が中学2年の時に見た「鉄道ファン」の記事でした。そこには、形式入りナンバー、化粧煙突のC5178の写真があり、撮影者を羨ましく思ったものでした。後年、その撮影者が、なんと今も交誼をいただいている準特急さんと分かり、驚きました。

      • 総本家青信号特派員様
        古い話ですがあの頃は単なる機関区で撮った下手な写真でも載せていただいたものです。いつどこどこで何型を撮ったか、ただそれだけのことです。列車試乗記でもどこどこで何型の何号機に出会ったとかそんなことでもワクワクして読んだものです。今は何かを意図した写真が多く皆上手です。最近は大体が負け戦ですがまだ撮り続けています。

  2. 総本家青信号特派員さま
     学術的な記録的なレポートシリーズ楽しく読ませていただいています。文化的でないコメントを差し上げて申し訳ありません。
     さらに余談ですが、昭和39年(1964年)当時の九州撮影隊はリュックを背負う登山スタイルでした。宿はユースホステルかステーションホテル(駅の待合室のベンチで寝る)で、食事の自炊は珍しいことではありませんでした。当時、ループ線で有名な大畑駅ステーションホテルの際にホームで夕食の飯盒炊飯していた画像が残っていましたので紹介いたします。鬼籍にはいられた同行の方もおられますのでご冥福をお祈りいたします。 

    • 情報によりますと、60年前に飯盒炊さんをされた、まさにこの場所に、完全予約制のフレンチレストランが出来たそうで、テレビでも何回か紹介されています。店名はLOOPと言うそうですが、これも時代ですね。

  3. 総本家青信号特派員様
    一枚目の写真に心を奪われました。蒸気機関車がいた頃の、駅の雰囲気が伝わってきます。木製のベンチも今では見られなくなり、木造の鉄道施設も姿を消してしまいました。どこにでもある平凡な駅の風景かもしれませんが、蒸気機関車に夢中だった少年時代を思い出します。気動車のカラカラカラカラというアイドリング音が、どこからか聞こえてきそうな気がします。

    • 紫の1863様
      コメント、ありがとうございます。はい、冒頭の写真、私も好きです。吉松は駅の横が機関区でしたから、ホームの向こうに蒸機を絡める写真も多く撮ることができました。国鉄書体で書かれた電照式の駅名標も今となっては貴重ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください